かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ブールジュの大聖堂のオルガン

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。今回はフランスはブールジュの大聖堂のオルガンによる演奏を収録したアルバムをご紹介します。

フランスはもとより、ヨーロッパ、特に中欧では古いオルガンが残されており、修理しながら使い続けられています。それは演奏「会」用という狭い視点ではなく、広く「演奏」のために、という方がいいでしょう。つまりは、礼拝における演奏のために、ということです。

ブールジュのオルガンもそんな一つです。そして、先日焼け落ちたノートルダムのオルガンもまた、そういったものの一つだったと言えるでしょう。再建されることを心より望んでおります。我が国も、東日本大震災では多くの文化財津波により破損し、熊本地震では熊本城が崩れ落ちました。そもそも我が国の文化財保護法鹿苑寺金閣の火災による焼け落ちが成立のきっかけでした。決して他人事とは思えません。

そんな中で巡ってきた、ブールジュ大聖堂(サン・エティエンヌ大聖堂)のオルガンの演奏を取り上げるエントリ。どこか縁を感じます。中央大学史蹟研究会OBであるあなたが取り上げよ・・・・・そんなふうに神から啓示を受けたような気すらします。

さて、このアルバムはそんなフランスのオルガンを楽しむというだけではなく、オルガン作品を楽しむ、味わうという内容になっています。鈴木雅明氏のアルバムでは最後に収録されたバッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」から始まり、クープランクラレンボー、フランク、サン=サーンス、ジグーと、フランスを代表するかのような作曲家たちの作品が次々登場します。クレランポ―やジグーといった作曲家は、あまり聞き慣れない作曲家だと思います。

このアルバムが秀逸なのは、オルガン作品といえばバッハ、という我が国の固定概念を根底から覆す収録作品になっている、ということです。クープランがオルガン曲を作曲しているなんてよもや考えない人が多いでしょうし、交響曲ではオルガンを使った作品(オルガン付き)を作曲したサン=サーンスがガチガチのオルガン曲を作曲していることもあまり知られていないことです。フランクは教科書にも名前だけは出てくるので知っている人も多いですけれど、これもナチスによって退廃音楽指定された経緯から我が国では不人気な作曲家であるがゆえに、クラレンボーやジグー並の認知度だと言っていいでしょう。

オルガン作品を聞き慣れてくると、オルガンごとに音色があり、同じ作品でも違って聴こえることに気が付きます。第1曲にバッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」が来ていることもまた、そんな理由だと思います。あまりにも有名なので聴いている人も多いこの作品を、ブールジュの大聖堂のオルガンで聴いてみれば、鈴木雅明氏が採用したドイツの田舎のオルガンとはまた違った音色になっていることに気が付かされます。だからこそ、オルガン作品を収録したものはほとんど、どのオルガンを使ったのかが明記してある、というわけなんですね。こうやって違いを認識して初めて、納得もしくは腑に落ちることは数多くあると思います。

そんな経験は私は文化財では数多く経験しており、例えば同じ慶派仏であっても快慶と運慶、湛慶などでは細部が違ってきます。それは当然で、大まかなところは同じ系譜なのでにていますが、細部となれば人間が作るんです。違ってあたりまえなんですね。

オルガン作品は、使うオルガンによって音色が異なることが予め織り込まれて作曲されているとすれば、よくある圧迫感だからオルガンは現代に合わないんだというのは全くの誤解であり、むしろそもそもオルガン曲は宗教を題材にとってはいるものの、歴史的にはラディカルな楽器だという認識があったかもしれないとわかるわけです。バッハも新しい様式への興味を失いませんでしたし、息子たちに教則は教えても様式は強制しませんでした。だからこそクラシック音楽カール・フィリップクリスティアンによって古典派へと受け継がれ、ベートーヴェンによってそれは芸術の頂点へと上り詰めたわけです。

ベートーヴェンは共和主義なのでオルガンを使わなかったではないか!というかもしれません。けれども私はベートーヴェンはオルガンが嫌いなのではなく、時代的にオルガンの時代ではないと認識していたからあえて作曲しなかっただけだと思っています。オルガンも含めてバッハ以来クラヴィーアという呼び名が定着していた時代に、ベートーヴェンは新しい楽器にこそ未来を感じたからこそ、ピアノのための作品しか書かなかったとすれば、不思議なことではないからです。バッハすらすでに忘却の彼方へと過ぎ去っていた時代です。復興させるのはメンデルスゾーンの登場まで待たねばなりません。彼が共和主義だったからオルガンを選択しなかったのではないと、歴史的に言えるでしょう。

演奏するパジェネルは、ppでは他のオルガンとは違った音を出すサン・エティエンヌ大聖堂のオルガンを、あえてppからffまで使って、存分な表現をしています。それは壮大な宇宙の表現でもあるし、そこに佇む人間を表現したものでもあるでしょう。特にロマン派以降の作曲家の作品では生命力に溢れ、優しくそしてそこに憩う人たちがまるでスクリーンのように映し出されるかのような演奏です。バッハの作品を精神性という切り口だけで力任せに弾く演奏が至高だどいう認識が、オルガンを、そしてその作品を、ひいてはその作曲者たちを貶めていると思います。パジェネルの演奏は決してラディカルではありませんが、私にはラディカルに聴こえます。オルガン作品の既成概念を覆そうという、ラディカルさを。それは、まさしくロケンローしています。

そう、この演奏はロケンローだと思います。アンチ既成概念、ですから。




聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582
コラール前奏曲「装え、わが魂よ」BWV654
トッカータアダージョとフーガ ハ長調BWV564
ルイ・クープラン作曲
シャコンヌ ハ短調
サラバンド ニ短調
ルイ・ニコラス・クレランポ―作曲
第1旋法による組曲
セザール・フランク作曲
前奏曲、フーガと変奏曲
カミーユ・サン=サーンス作曲
前奏曲とフーガ 変ホ長調作品99-3
ウジェーヌ・ジグー作曲
オルガンとピアノ・ぺダイエのための10曲より スケルツォ ホ長調
アンドレ・パジェネル(オルガン)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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