かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:飯森範親と日本センチュリー交響楽団のハイドン・マラソン10

今月のお買いもの、令和3(2021)年3月に購入したものをご紹介します。シリーズで買い込んでいる飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団による「ハイドン・マラソン」、今回はその第10集です。

まだまだ道は遠い、ハイドン交響曲全集。まあ、そう簡単に終わるわけありません。BCJのバッハカンタータ全曲演奏だって20年くらいかかっているんですから、ある程度の時間がかかるのが当然です。

ただ、この第10集に収録されている録音は、2017~2018年にかけての演奏会から収録したもの。ほぼ3年前なんですよねえ。もっと出版のピッチを上げてもいいと思うんですけどねえ。しかもこのコロナ禍ですから。

ところで、この第10集にはテーマがあって、「ハイドン、楽長になる!」というもの。エステルハージ楽壇の楽長ヴェルナーが死去してハイドンが楽長になった1767年以降の作品を取り上げているんですね。こういうテーマづけ、とてもいいです。だからこそ番号順ではないし、それがこの「ハイドンラソン」のテーマにもなっていて、楽しいです。

各曲、指揮者の飯森氏の判断でチェンバロ通奏低音でつかわれていますが、ハイドンの時代になると通奏低音すらなくても十分演奏は成立しますが、実際にはチェンバロがあるものも存在するので、こういう判断になったんだろうと思います。それが違和感ないのが新鮮なんです。

古典派の時代、特にハイドンベートーヴェンがデビューして活躍する時代まで生きていますので、それなりに近代的な作品も多いですけれど、この第10集のテーマである年代は1767年~1772年ごろ。第38番が1767年、第41番が1768年、そして第43番が1771年もしくは72年という時代に成立した作品達です。モーツァルトはまだよちより歩き、ベートーヴェンはまだ生まれていないという時代の作品。ですので、通奏低音チェンバロがあってもおかしくないわけです。

だからこその指揮者の判断が、見事にはまったと言えるでしょう。たまに聴こえる通奏低音の音がいいアクセントで、むしろ自然です。こういった演奏が日本の、大阪でおこなわれていることはもっと評価すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?

このシリーズ、ハイレゾで96kHz/24bitで購入し、これもそうですが、そん色ないんですが、むしろ192kHzのほうがいいのかもなあと思い始めています。スマホでイヤホンつけて聴くのならそん色ないんですが、PCでスピーカーで聴くと、どうも違和感があるんです。解像度が低いというか。ソニーのSRS-HG10なのでそれほど悪いわけないんですが、排他モードを採用してから、どうもオーケストラ曲の解像度という点では、録音によっては96kHzだと物足りなさを感じるようになりました。なるべく同じ周波数でそろえたいのですが、192kHzで不満を感じたことがほかの演奏ではないんです。そうなると、このハイドンでももっと高解像度のものへと変えてみるのも一つの選択かなあという気がします。

それは以前から感じていたことではありますが、折角の生き生きとした演奏を、もっとクリアな音で楽しみたいという気がしています。とくにロケーションのいずみホールは残響がいいだけに、その残響がクリアにならないなあと感じています。次の第11集では、192kHzのを購入してみようかなと画策しています。

 


聴いているハイレゾ
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第38番ハ長調Hob.I:38「こだま」
交響曲第41番ハ長調Hob.I:41
交響曲第43番変ホ長調Hon.I:43「マーキュリー」
飯盛範親指揮
日本センチュリー交響楽団
(Exton ovcl00722 96kHz/24bit)

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