かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:フレスコバルディのチェンバロ作品集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、フレスコバルディのチェンバロ作品集を取り上げます。

昨年5月に、フレスコバルディのリュート作品を取り上げていますが・・・・・

ykanchan.hatenablog.com

リュートの作品を作曲する人は結構鍵盤楽器を専門とする人も多く(時代が下ればバッハ、あるいはギターになりますがアルベニスもそうです)、フレスコバルディもそもそもは鍵盤楽器の作品が多い人です。

ja.wikipedia.org

だからこそ、上記エントリで借りたものを聴いたとき、次は鍵盤楽器だなあと漠然と思っていた自分がいます。

そのフレスコバルディのチェンバロ曲。バロックですから音が多くキラキラしたものが多いのが特徴ではありますが、このアルバムの演奏者であるレオンハルトバロック音楽の研究者的存在でもありますから、ウィキの中で言う「フレスコバルディは、テンポ(速度)について近代的な考え方をした革新者の一人であり、厳格なタクトゥスによる白譜定量記譜法と、作品中での加速と減速によって特徴付けられるテンポという近代的な概念の、いわば中間の考え方をした。」というのをアコーギクをつけることで明確にし、作品が持つ生命を存分に引き出しています。

そう、簡単に言えばそれはアコーギク、です。バロック時代の作品はあまりアコーギクをかけない、というかその概念がないというべきで、ですからテンポは一定になることが多いのですが、フレスコバルディの作品はアコーギクをかけることでがぜん生命力を持つように思います。

ただ、アコーギクをかけるのが近代的かと言えば、私としてはそうは思っていません。確かに、クラシック音楽の歴史という意味では近代的なのですが、むしろ本来民衆の音楽では普通だったのに、王侯貴族はそれを嫌っていただけである、という認識です。それが徐々に変わって行き、フランス革命以降、メジャーになっていったというのが私の歴史観です。

その意味では、フレスコバルディは先進的というか、共和的な精神を持っていた人だったと言えるでしょう。むしろ、バロック音楽には結構そういった改革者が多く、その音楽が残ってきているという事実は大きいと思います。

確かに和製的にはバロック、しかし、聴いていて特段バロック的な古さを感じないのがここに収録されているフレスコバルディの作品が持つ魅力だと思います。ロケーションは教会なのですが、実にちょうどいい響きとなっており、レオンハルトがそれほど肩に力を入れて演奏しているわけではないことを意味しており、それなのに作品が歌い、踊り、そのことにより生命を宿していくのを聴いているのは、本当に素敵な時間です。

 


聴いている音源
ジローラモ・フレスコバルディ作曲
トッカータ第1巻第10番(1615)
トッカータ第1巻第11番(1615)
リチェルカーレ第9番(4つのソジェットによる)(1615)
カンツォーナ第4番(「トッカータ集第2巻」より)(1627)
カンツォーナ第3番(「クリヴェッリ」による)(「11のカンツォーナ・アラ・フランチェーゼ」より)
フォリアによるパルティ―タ(1615)
不協和音のカプリッチョ(1624)
トッカータ第1巻第7番
1つのソジェットによるカプリッチョ(1624)
ファンタジア第3番(1つのソジェットによる)(1608)
トッカータ第2巻第2番(1627)
バレット第1番(コレントとパッサカーリ)(1637)
バレット第2番(コレント)(1637)
ファンタジア第9番(3つのソジェットによる)
トッカータ第2巻第10番
グスタフ・レオンハルトチェンバロ

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