神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ブランデンブルクの2枚目です。
第4番〜第6番までが収録された2枚目は、もういきなり演奏を語ってしまいましょう。ごく普通の演奏です・・・・・
え?それで終わり?って?ええ、そうです。けれども、末尾に示すソリストを見てくださいな。それだけのタレントがそろえば、そりゃあ普通は濃いものになるってもんです。その濃さがまさに自然なんですよ。これがすごい。
一見すれば、特に今の日本の社会であれば、これだけのタレントがそろえば統一した演奏などできるわけがない!と一刀両断するところでしょう。ところがです、みごとなまでの統一ぶりですし、しかもそれぞれのソリストがしっかりと演奏もしており、個性も存分に出ているのに、統一感は半端ないんです。
なぜ?って思うところですよね。でも、バロック期の演奏というものは、まさにこれなんです。さすがレオンハルトの下に集いしソリストたち。これぞアンサンブルの原点だと思います。
特に、第5番はチェンバロ協奏曲と言ってもいい作品ですが、演奏するは指揮するレオンハルト。と言うことは、バロック期と古典派におけるモーツァルトあたりまでと、演奏スタイルは殆ど変っていないことすら、私たちが理解することができる演奏でもあります。
そもそも、オーケストラとは、各パートの演奏者たちが職人として集まり、アンサンブルする大きな団体だと位置付けることができます。のであれば、団員相互の理解と信頼と共感があって初めて、すばらしい演奏は成り立つと言えます。その意味では、ソリストが一つのオケを構成するということは何ら不思議ではありません。
むしろこの演奏スタイルを貫き通しているモダンの団体こそ、ムジカ・エテルナだと言えるわけです。レオンハルトがクルレンツィスだと考えれば、バロックの古楽演奏を聴き慣れている私からすれば、特段不思議なことでもないんです。あとは演奏がどれだけ素晴らしくかつ共感できるか。どんなに素晴らしくても共感できなければちょっと無理かな〜って思います。
このブランデンブルクの演奏は、ベートーヴェンの交響曲のように魂を揺すぶらされ、涙し感動するというものではありません。しかし、とても共感できる演奏なのです。ですから自然と体はゆすってしまい、ノリノリになります。それは個々のソリストの腕の確かさですし、またアンサンブルする能力の高さでもあります。
英語のAllとeveryの違いと言えばわかりやすいでしょうか。どうしても大指揮者となると、別にカラヤンでなくても、クレンペラーでもフルトヴェングラーでも、Allにしたがるんです。けれどもこのレオンハルトの演奏からはeveryにしようというソリストたちの想いしか伝わってこないのです。それこそ真に共和主義的だと思いますし、こういった演奏家達がバロックにもいたことが、のちにベートーヴェンというタレントを世に送り出すことになったのではないかって思います。
それが、実は宮廷音楽にたずさわった人たちが持っていたということ、そしてその伝統を古楽演奏者たちは受け継いでいると言う事・・・・・私たちがそこから考えるべきことは、たくさんあるように思うのです。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ブランデンブルク協奏曲
協奏曲第4番ト長調BWV1049
協奏曲第5番ニ長調BWV1050
協奏曲第6番変ロ長調BWV1051
グスタフ・レオンハルト指揮、チェンバロ
シギスヴァルト・クイケン(バロック・ヴィリオーノ・ピッコロ、ヴァイオリン、ヴィオラ)
ルシー・ファン・ダール(バロック・ヴァイオリン&ヴィオラ)
アンナ―・ビルスマ(バロック・チェロ)
ヴィーラント・クイケン(バロック・チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
アンソニー・ウッドロウ(ヴィオローネ)
クロード・リッパース(バロック・トランペット)
フランス・ブリュッヘン(ブロックフレーテ、フラウト・トラヴェルソ)
パウル・ドンブレヒト(バロック・オーボエ)
アブ・コスター(ナチュラル・ホルン)
ボブ・ファン・アスペレン(チェンバロ他)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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