神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は古代ギリシャの音楽を収録したアルバムをご紹介します。
古代ギリシャの音楽はどのようなものだったのか、興味があると思いませんか?え、ない?それは残念。けれども私は大有りなんです。
そもそも、私は奈良時代の音楽にも興味を持っていますし、あるいはそれ以前の音楽も。銅鐸ってありますよね?本来は屋根に吊り下げるんですが、大きいのになると屋根に吊り下げ魔除けとしてではなく、明らかに演奏用(おそらく祭祀において)として製作されたと想像されているわけなんです。実際、昔その音楽の復元に確か橿原考古学研究所が取り組んだことがあったはずです。
実は、そんな復元に影響を及ぼしたと考えられる一つのアルバムがあります。それが今回ご紹介する、古代ギリシャの音楽を収録したものなのです。
古代ギリシャの音楽を復元するためには楽譜が必要です。幸いなことにそれは残されていますが、断片でしかありません。ですから、かなりの部分想像力を使って再現するしかないのが現状です。それに挑戦したのがこのアルバムだといえます。
指揮者パニアグワの想像力の部分もありますが、基本は残された楽譜。ただ、それをどう読むのかがわからない。調性はどうなのかとか、全くわからない。だからこそ、音楽史を俯瞰して想像力を働かせるわけなんですね。そこで出来上がった演奏はといえば・・・・・
素朴で、どこか東洋的で、下手すれば日本的で、和声も不協和音バリバリで、しかし旋律ははっきりしている・・・・・で、私が想起するのが、オルフの「カトゥーリ・カルミナ」なんです。
下記に曲名を載せておきますが、それらを見て一目瞭然なのは、舞台音楽も数多く残されているという点です。むしろ、古代ギリシャでは祭りにおいて演劇が重要な役割を果たしていたということを考えれば、そのための音楽が必要だということになります。そう、残された楽譜はその多くが市民の集まりとしての祭りだとか、祭祀において演奏されたものが多いのです。例えば、第1曲目はギリシャ悲劇「オレステース」のコロス(合唱隊)による合唱です。それはまさに、カルミナ・ブラーナやカトゥーリ・カルミナそのものです。
オレステス (エウリピデス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%B9_(%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%87%E3%82%B9)
そこから、類推していくことが可能なんですね。つまり、ギリシャ音楽は綿々として現代に受け継がれている・・・・・指揮者パニアグワはそう考えたのでしょうし、私もその考えに同調するものです。古代において音楽の伝承は主に口伝だからです。楽譜はそれを補完するものでしかない。なぜなら、紙はその化学性からなくなりやすいものだからです。
人類誕生から紀元1000年代までは、音楽の伝承は口伝だったと考えて差し支えないと思います。音楽に限らず、様々なものが口伝されていきました。たださすがに紀元500年以降は様々な国家が世界中に成立していきます。ヨーロッパはそれ以前からもちろんですし、アジアでも中国が紀元前から、そしてわが日本などの東アジア中国周辺部においても、国家が成立していきます。そうすると記録がどうしても必要になります(これ、お役人様わかってらっしゃる?)。そのために、最初は粘土板や木簡に記録されましたが、のちに紙へと移行していきます。その世界的時期が紀元500年代以降、日本では奈良時代にその動きとなっていきます。
特に、木簡は平城京では出土しますが、平安京ではあまり出土しません。それは記録が木から紙へと移行したことを示すものであり、大陸など世界的流れが遣唐使によって情報としてもたらされた結果です。日本でもその時点になりようやく雅楽が成立していきます。
そんな世界的な動きの中で、ギリシャはいち早く紙によって記録し、音楽を演奏していたということは、さすが先進地域だったといえるでしょう。そのギリシャ文化は周辺へと広がっていき、エジプトでは本来はギリシャではキリスト教ではないにも関わらず、キリスト教の音楽も記譜されることとなります。それが第16曲目「オクシュリンコスのキリスト教讃美歌」です。
オクシリンコス・パピルス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%94%E3%83%AB%E3%82%B9
おそらく、キリスト教がヨーロッパに広がっていったのには、紙による記録というものが重要だったといえるでしょう。それをさらに強化したのが、グーテンベルクによる活版印刷の発明だったといえます。同じことはほかの宗教でも言えることで、紙に記録するということで布教が広がっていったのは仏教もイスラム教も一緒です。特に仏教徒であれば、玄奘三蔵のインドへの旅はよく知られているエピソードですし、だからこそ「西遊記」も書かれたわけなのですから。
このギリシャの音楽は、そういった世界的な「紙に記録する」という動きの最も最初の例の一つなのです。それを実際に再現するとなると、最初の一つであるがために、口伝されたものを逆にたどっていく必要がある、というわけです。クラシック音楽が古典派以降だと信じて疑わない人たちにとっては衝撃だったでしょうが、広くかつ歴史的観点からもクラシック音楽を聴いている私にとって、この演奏は衝撃とはいえ、なるほどとうなづくものばかりでした。絵画などから再現した手作りの楽器も、それは考古学であれば当然の話ですし、それを演奏すればどうなるかなど、今では奈良国立文化財研究所や橿原考古学研究所では当たり前の話になっています。毎年開かれる「正倉院展」では、宝物の琵琶や琴の復元演奏を流すなど、もうあたりまえの風景です。それはこのアルバムが先鞭をつけたといっても過言ではないでしょう。
むしろ、この演奏を始めて私は聴いたとき、中世の音楽にとてもよく似ていると思ったものです。いったんローマ文明が滅んだあと、その文化が口伝されていたからこそ、ギリシャの音楽も中世において残ったのだと考えれば、決して不自然ではないからです。特に教会音楽において・・・・・
素朴な和声の中に、泉のように豊かに湧く音楽の姿。時として歌い、時としてBGMともなり・・・・・それは現代となんら変わりありません。ギリシャが古代において最も人間的だったといわれることが、ここには再現されているように思います。それがルネサンス期の音楽と似ているのは、もしかすると音楽も当時ギリシャの音楽というものが口伝されており、そこに習う運動だったとすれば、納得のいくものなのです。だって、絵画も彫刻も、ルネサンスはギリシャを範としているんです。どうして音楽がそうでなかったといえるでしょう?
そう考えれば、序奏と終奏の打楽器が印象的だとしても、それ以外の音楽に真摯に耳を傾ければ、古代の息吹がそこかしこに息づいていることに気が付くはずなのです。特にこのアルバムは録音も優れていると長岡氏も絶賛したアルバムですから、その録音の良さを使って、私たちの耳でしっかり受け取る必要があるように思います。耳とは確かに音を聞き、判断するための器官ですが、それは魂と直結をもしているわけなのですから・・・・・
聴いている音源
古代ギリシャの音楽
�@序奏〜「オレステース」のスタシモン
�Aコントラポリノポリスの器楽曲断片
�Bデルポイのアポロン讃歌 第1
�Cテクメッサの嘆き
�Dパピルス・ウィーン29825
�E太陽神への讃歌
�Fミューズへの讃歌
�Gネメシスへの讃歌
�Hパピルス・ミシガン
�I不断に流れる雲
�Jセイキロスの墓碑銘
�Kパイアン
�Lべラーマンの無名氏
�Mビュティア祝勝歌 第1
�Nパピルス・オクシュリンコス
�Oオクシュリンコスのキリスト教讃美歌
�Pホメロス讃歌
�Qパピルス・ゼノン、カイロの断片
�Rテレンティウス「義母」第861行
�S「道徳誌」第1歌 第11〜12行
㉑テルボイのアポロン讃歌 第2
㉒パピルス・オスロ A/B〜終奏
グレゴリオ・パニアグワ指揮
アトリウム・ムジケー古楽合奏団
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