かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:メータが振る東日本大震災復興支援のための第九

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回はメータが関連する3つのオケを臨時に編成して振った第九を御紹介します。所謂、ミュンヘンでの東日本大震災復興支援コンサート、です。

http://www.hmv.co.jp/news/article/1105250048/

勿論、第九であることから借りたと言うこともあるのですが、このブログでもN響のを御紹介したことがあると思います。すでに動画は著作権の関係で見れなくなっていますが、あのN響の演奏は本当に素晴らしいものでした。

そのわずか3日後、メータ自身も「被災者」だったはずなのですが、彼はそもそも日本人ではありません。ヨーロッパで仕事が待っていたのでした。その合間を縫って、東日本大震災の復興支援のために、かの地で第九を演奏することを決意します。そのコンサートを収録したのが、今回ご紹介するアルバムで、ナクソスから出ているものなので、私持っていますって方も多いのではないでしょうか。

でも、あの時メータに感謝の言葉を述べていた人たちも、なぜ第九だったのかを理解できた人は少なかったのではないでしょうか。混成のオケと聞くと、ベルリンの壁が崩壊した時のバーンスタインが指揮する演奏を想起する人が多いかと思います。私も好きな演奏ですけれども、それは第九という作品の性質の、ほんの一面しか見ていない演奏なのです。

メータのスピーチを、上記サイトから引用します。

「震災によって苦しい生活を送る多くの人々のため、そして残念ながら命を失った多くの人々への追悼の意をこめて、今私たちに出来ることを行ないたい。そう考えます。地震が発生したとき、私は日本にいました。ニュースが繰り返し報道され、目を背けたくなるような映像が次々と流れてくる中にあって、冷静に規律正しく生きる日本人の強さに敬服しました。苦しみを耐えて強く生きている日本のみなさんに、今なお平穏な日々が戻っていないことは、本当に残念でなりません。しかし、日本という国が時と共に復興し、我々の訪日演奏会を喜んで迎えてくれる日が必ず来ると、私は確信しています。我々はこれまでにも頻繁に訪日し演奏会を行なってきましたが、そのたびに日本の聴衆は喜びを持って我々を歓迎してくれました。日本のためにできること、それが本日の演奏会です。今日ここにいる皆さんと共にこの想いを共有できることに感謝いたします。」

これは、ヨーロッパの人間であるメータならではのスピーチなんです。それは第九と言う作品が成立して現在まで至る歴史を踏まえたうえで、日本人に救いの手を差し伸べるために、私たちは連帯しようというということと、歌詞にあるがごとく、「御身の不思議な力は、再び結び合わせる、時流によって分けられた者たちを」ということを想起しているのです。

交響曲第9番 (ベートーヴェン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを

時流とは本来は、シラーの抑々成立した「歓喜によす」の詩をみれば、かなり政治的意味合いの強いものですが、それを自然災害と置き換えてみたらどうでしょう?特に、あの震災では津波で多くの人が一気に飲み込まれ、命を失うあるいは行方不明になりました。たとえ生き残ったとしても、PTSDで苦しみ、引きこもりになった老人たちもいます。実際、わたしは被災地で炊き出しをした時にそのような老人と何度か会話をしています。特に、大川小学校の有った地区の人たちが集まっていた仮設住宅(追波川)では、私が行く前、先に行った人たちがその心を開かせるためにずいぶんと苦労したようでした。

自由と言うこともあるのですが、本来は抑圧された中で離ればなれになってしまった人たちが再び連帯できること、その喜びなんですね。日本では「歓喜の歌」とされてしまっているので、何かが成就したその喜びと解釈されることが多いのですが、それは一面的なんです。それだけはないんです。

だからこそ、メータは「汝が魔力はふたたび結び合わせる、津波などが強く切り離したものを」という希望を込めて、そしてそのためにヨーロッパ人が今度は連帯しよう、と呼びかけているわけなんです。だから、第九だったわけです。

実際、わたしはメータが望んだことが成就するそのほんの少しばかりをお手伝いしました。多くの笑顔が戻り、自立へ向けて小さい一歩を踏み出した家族もいます。けれども未だ、苦しんでいる人が東北に大勢いるんです。震災から7年たった今でも・・・・・

その意味では、この演奏は今でも全く色あせることのない、普遍性を持ったものだと言えるでしょう。

メータ自身もいつものステディな演奏の中にちらほら、気持ちの高ぶりがタクトに出ている部分があります。それがいつも私が問題にする第4楽章vor Gott!の部分。vor1拍につきGott!は何と4拍!2拍分を残響にしているんです!

これはメータにしては大変態演奏だと言えますが、それだけ神々しさにメータ自身が酔ったんだと思います。メータの感情の高ぶりを示す部分だと思います。けれどもこれが全く不自然ではなく、むしろ生命力溢れる演奏に貢献しているんです。

オケは全体的に音が「立って」おり、細部がよく聴こえます。アインザッツも強めで、ミュンヘンから東北まで気持ちを届けようという意思が感じられます。躍動感がある演奏は、聴衆が最後拍手ができないくらいに、心の奥まで浸透するのにも貢献しています。

合唱団も時間がない中で素晴らしいアンサンブルを見せており、集中力の高さを物語ります。それはかつて自分たちが核の最前線にいた時、廃絶へ向けて支援してくれた日本と言う国への、恩返しという意味合いもあるのかもしれません。そして自分たちも同じように、戦争の危機の中から何とかバランスをとり、少なくとも核による滅亡だけは避けることができているという経験の分かち合いでもあるのだと思います。

そういったヨーロッパの歴史まで織りなしながら、まるで3つのオケが一つであるかのような演奏は、まさに第九が持つメッセージそのものであり、そのメッセージを届けるんだと言う、ヨーロッパの人たちの「使命感」も反映しているのかもしれません。その上で、メータ自身も純粋なヨーロッパ人ではなく、インド系なわけです。そんなファクターが複雑に絡み合い、まさにアウフヘーベンしたのが、この演奏だと言えるでしょう。

私たち日本人は、この演奏を受け取って、何を考え行動するのか・・・・・いま一度、考えてみてもいいように思います。未だ被災地でPTSDで引きこもり、苦しんでいる人たちを想像しながら・・・・・




聴いている音源
東日本大震災復興支援演奏会inミュンヘン
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068より「アリア」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
アニヤ・カンペ(ソプラノ)
リオバ・ブラウン(アルト)
クラウス・フロリアン・フォクト(テノール
ミヒャエル・フォッレ(バス)
バイエルン国立歌劇場合唱団
ミュンヘンフィルハーモニー合唱団
バイエルン放送合唱団
セーレン・エッコフ(合唱指揮)
ズービン・メータ指揮
バイエルン国立管弦楽団
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
バイエルン放送交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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