東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回は西村朗の管弦楽作品集を取り上げます。その名も「永遠なる混沌の光の中へ」。
これは第2曲目を指しているのですが、収録されている2曲は、このアルバムのために書き下ろされた委嘱作品だそうで、クラシックでもこのようなアルバムのための作品があるのかと、借りた時には珍しく思ったものです。
さて、西村朗は、N響アワーにも出ていたことからご存じの方も多いかと思います。現代日本の作曲家で、今でも精力的に作品を発表しています。
西村朗
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E6%9C%97
ウィキだと説明不足な感はありますねー。これだと、恐らく今回取り上げる作品を聴いても、ぼやっとしているだけで何もわからないんじゃないかって思うんです。
1曲目のチェロ協奏曲は現代音楽を象徴するような典型的な作品だと言えます。不協和音の多用、1楽章という古典的様式の打破など、先日ご紹介したレイフスと同じような様式を持っています。
東京の図書館から〜小金井市立図書館〜レイフス サガ・シンフォニー
https://yaplog.jp/yk6974/archive/1759
でも、西村の音楽的特徴は、実は音楽のルーツが多様である、と言う事なのです。第1曲のチェロ協奏曲はそうは言っても西洋音楽的な雰囲気に包まれていますが、おなじように不協和音を多用しているにもかかわらず、第2曲目の「永遠なる混沌の光の中へ」は、まるで声明なのです。
つまりは、読経をオーケストラで表現すると、こんな感じではないかと言う・・・・・
鐘の音は教会の様でもありますし、お寺の読経時の様でもあります。西洋音楽の中に東洋、特に日本が混じり、それが混沌の中でまさに永遠の光を放つ・・・・・どこか、スクリャービンの様でもあります。でも、神秘主義とはどこか遠く、それでいて生命力も存在すると言った感じです。
これだけの作品をしっかりと表現するには、オケにも高い実力が求められると思いますが、演奏するのは日本のオケではなく、リンツ・ブルックナー管弦楽団。指揮するはクリストフ・エッシャー。ソリストはワルター・ノータス。こう海外の演奏家による演奏を聴きますと、西村の作品は東洋的なエッセンスもあるにもかかわらず、むしろ海外のオケだからこそ表現しきれるだけの多様性を持ち、さらには国境や民族の垣根を超える普遍性を持っていることに気が付かされます。
特に、現代音楽でありながらも、生命力を感じる演奏には脱帽で、こういった点はさすが海外オケだと思います。日本のオケだとどこか日本らしさに囚われてしまって、どちらの作品も持つ様式の多様性に目を向けないことも可能性としてあるのですが、それがこの演奏ではまったくなく、ドイツのオケの重厚でふくよかなアンサンブルが自然と作品を表現するのにピッタリなんです。これが素晴らしいんですよね。
チェロは意外にもしっかりとカンタービレしていますし、オケも泣くしわめきます。それが不協和音なので判りにくい部分があるのですが、何度も根気強く聴きますと、自然と演奏がこちらに「語りかけて」来ます。そうすると作品と私との対話が始まります。
こういった作品を日本人作曲家も書けるということを、もっと知る必要があるなあと思いますし、また広めても行きたいって思います。
聴いている音源
西村朗作曲
チェロ協奏曲(1990)
永遠なる混沌の光の中へ(1990)
ワルター・ノータス(チェロ)
クリストフ・エッシャー指揮
リンツ・ブルックナー管弦楽団
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