東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回はコルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブル及び室内管の演奏による、バッハのミサ・ブレヴィス集の第1集を取り上げます。
バッハがミサ曲を書いていた、というのはすでにロ短調ミサで明らかなわけですが、ロ短調ミサは所謂「ミサ・ソレムニス」であるわけです。それ以外にもミサ・ブレヴィス、つまり規模の小さいミサ曲を複数書いていたことが分かっています。
そもそも、ロ短調ミサが幾つかのカンタータからの転用であり、またルター派のミサ曲は通常ミサ曲からいくつかを抜き出して独立して演奏することが多いと言うことは、以前このブログでもご紹介しているかと思います。
このミサ・ブレヴィスも、同様にミサ曲となっていても古典派のミサ曲のように6つの部分がそろっていると言うことはありません。そもそもがルター派のミサ曲なのですから、古典派のような構造は持っていないのが当然なのです。
例えば、第1曲目のミサ曲ヘ長調BWV233も形の上では6つの部分に分かれていますが、古典派のミサ曲、つまりカトリックのミサ曲でいえばクレド以降がすっぽり抜け落ちており、キリエとグローリアまでしかありません。キリエはひとまとまりになっていますが、グローリアが5つの部分に分かれているため、形の上では6つあることになっているのです。
時として、バッハはまだミサ曲の形として未熟なものしか書かなかったという言説がありますが、それは誤りなんです。そもそも、ルター派のミサ曲なのですから、私達が知っているミサ曲の構造になっていないだけ、なんです。だからこそ、ロ短調ミサは異様であるわけなんです。でもその異様であるミサ曲は、とても魅力的な作品です。
同様に、ここに収録されているミサ・ブレヴィスも魅力的な作品ばかりです。2曲目のミサ曲ト長調BWV236も、特にグローリアが喜びに満ちた旋律となっていますし、カップリングのサンクトゥスはさらに喜びに満ちています。バッハが決してこれらの作品を手を抜いて作ったとか、プリミティヴだったとかではないんです。バッハが喜びをもって作曲し、それが演奏すれば自然と喜びを持ったものになるように作ってあるんです。これがバッハの作品の素晴らしい点だと思います。
世俗曲もバッハは本当に素晴らしいのですが、こういった宗教曲、特にカンタータやロ短調ミサに隠れててしまう作品たちも本当に素晴らしいです。特にこういったミサ・ブレヴィスはプロテスタントだからこそコラールの影に隠れがちなんですが、美しくかつ喜びに満ちた作品が多いので、是非とも聴いてほしい作品たちです。
演奏は最初に上げた通りコルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブル及び室内管。オケに合唱団が付いているのではなく、むしろ合唱団にオケが付いているという団体ですが、モダンオケです。だからこそ室内オケというのがいいですね。圧迫感が全くないんです。バッハの作品は世俗曲であろうが宗教曲であろうが舞曲の要素に満ちているということをしっかりと認識している、プロの仕事だなあって思います。なぜバッハが舞曲の要素を作品に入れているかを、しっかりと判っているからこそ、舞曲という側面を決しておろそかにせず、聴き手がいつの間にか体を揺らしているように演奏しています。舞曲のリズムを大切にすることで、演奏者達もノッており、それが自然と私達聴衆に伝わります。そこに実は「喜び」の一つの表現が隠されているんですよね〜。
その上で、声楽もまた、喜びに満ちています。和声が喜びに満ちたものになっているだけではなく、それを喜びをもって演奏しているのが伝わってくるんです。共感する力があれば、宗教を超えてそのギフトを受け取ることができるでしょう。バロック時代の編成を考えればモダンオケなら室内オケとずっと私は言い続けていますが、その典型の演奏だとも言えるでしょう。さすがコルボと、脱帽するしかありません。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ミサ曲ヘ長調BWV233
ミサ曲ト長調BWV236
サンクトゥス ニ長調BWV238
クリステ・エレイソン ト短調BWV242
サンクトゥス ハ長調BWV237
ミシェル・コルボ指揮
ローザンヌ声楽アンサンブル及び室内管弦楽団
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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