かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:中央大学音楽研究会混声合唱部 平成28年秋季演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は何度かこのブログでも取り上げています、中央大学混声合唱団のコンサートを取り上げます。平成28年9月24日に聴きに行きました。

場所は、八王子のいちょうホール。八王子市立のホールでして、音がとても柔らかい、いいホールです。残響としては多少短いのですが・・・・・

その意味では、神奈川県立音楽堂に似た響きを持つホールです。それでも、聴いていて遜色はなかったように思います。

というのは、当日のメインが、モーツァルトのミサ曲だったからです・・・・・

当日の演目は、次の通りです。

�@J.S.バッハ モテット第1番「主に向かいて新しき歌を歌え」BWV225
�AF.J.ハイドン テ・デウムHob.XX�Vc:2
�BW.A.モーツァルト ミサ曲ハ短調K.427

1曲目のバッハだけであれば、もっと残響があるホールのほうがよかったかもしれませんが、それを全く感じさせないアンサンブル。それよりも、硬さのほうが目立ったように思います。

バッハだとさすがに、音型やフーガの多用でなかなかアンサンブルが合わせづらかったのでしょう、なかなか硬さが取れないなあと思って聴いていました。そもそも、モーツァルトとの関連でコンサートピースにしたようなものだったため、練習が不足したのだろうと思います。それでも、ハーモニーがしっかりと作れていたのは、学生合唱団としては合格点に値すると言っていいと思います。

一方のハイドン。何と伸びやかな演奏でしょう!喜びという点ではバッハのBWV225も決して負けていませんが、やはりハイドンという古典派の作曲家だと歌い慣れているせいか、のびのびとしていたのが印象的です。初めて聴いた人にも、あ、この作品またCDでも聴きたいなと思わせるのに十分です。

そして、モーツァルト。さすがに一番いい演奏でした。そして、生き生きとしていました。指揮者の三沢先生の解釈でもあったのでしょうが、テンポは急いでいないのですが、恐らく付点8部音符で音を立たせているせいなのか、とても軽くてかつ荘厳な演奏が実現されていました。

合唱団もそれに乗って、作品を楽しんでいるのが見て取れてよかったです。特に当日は、ミサ曲ハ短調と言えば未完成の作品でありますが、それを完成形で演奏するという、ある意味難しい演奏となるはずなのですが、それが全く感じられません。ソリストもその合唱団に後押しされるかのように、各々本当に素晴らしく、特にソプラノとメッゾはきらびやかなアリアを聴かせてくれました。

それよりも、気になったのはその「完成形」でした。クレドはそうでもなかったですが、アニュス・デイをキリエの旋律を使いまわすというのは、レクイエムのようで何となく違和感がありました。その違和感の中で素晴らしい演奏を最後まで続けた合唱団は本当に立派です。

ではなぜ、私が違和感を感じたのかと言えば、完成しているベネディクトゥスが、まるでベートーヴェンのミサ・ソレムニスのように、オザンナの部分がサンクトゥスと若干異なっているからなのです。

そう、以前ミサ曲ハ短調を取り上げた時に触れているかと思いますが、オザンナの部分はサンクトゥスとベネディクトゥスとでは異なるのです。という事は、様々なモーツァルトの作品を分析してみれば、恐らくモーツァルトは最後のアニュス・デイは全くキリエと一緒にはしないだろうということが予想されるのです。

レクイエムがなぜ、コンムニオをレクイエムと同じにしているかと言えば、モーツァルトがそのように指示していたからです。それはおそらく、そう指示すれば、補作する人が必ずサンクトゥスとベネディクトゥスのオザンナの部分を、全く一緒に作曲するであろうと考えたからでしょう。そして、レクイエムは殆どたがわず、最後の和音だけが異なる形で完成されたのです。なぜなら、サンクトゥスとベネディクトゥスのオザンナは同じに作ると決められているからです。

しかし、モーツァルトハ短調ミサではそうしなかったのです。途中から同じになるようにしており、それは必然的に、アニュス・デイがキリエとは異なることを示しているのです。

アニュス・デイが主調がハ短調であったとしても、恐らく途中で和声を変えて、最後は長調で終わるように持って行ったであろうというのが、私の予想です。勿論正確にどの和声とまではいう事など、私は学者ではないのでいう事は不可能です。しかし、多くのモーツァルトの作品を聴いてきた経験から、このように変える時は、アニュス・デイも変るはずだと考えるのです。ただ、最初はハ短調で始まるはずです。その後、転調するでしょう。そういったことは判るのです。

なぜならば、この曲はあくまでもミサ曲だからです。レクイエムではありませんし、またモーツァルトが当時精神的に抱えていたものもそれほどなかった時期です。だとすれば、終りが短調のキリエのように終わるのではなく、むしろ長調にするだろうと想像するのです。

勿論、短調のまま終わる可能性もあります。例えば、交響曲第40番のように。その場合でも、全く同じ旋律を使うことはないだろうと思うのです。その方が自然です。

今回の演奏はその点では、とても素晴らしい冒険だったと思います。その違和感のおかげで、聴衆がモーツァルト作品をより深く知るきっかけになったとすれば、大成功だからです。

オケは白石先生死後も、素晴らしい演奏を続けているように思います。その素晴らしい演奏が学生たちへのナイスサポートになっており、すでに仲間となっているのがとても微笑ましく、一体となっていたのが印象的です。今後もこの関係がつづけばと思います。

残念ながら、冬のバッハロ短調ミサは、仕事の関係でどうしても聴きに行くことができません。次はおそらく来年になるかと思いますが、ロ短調ミサは今回のモーツァルトよりもさらに難しいと思います。ただ、しっかりと練習すれば歌える作品だと信じてください。先輩たちは受難曲も歌っています。きっとうまくいきます。信じて練習してください。成功を祈っています。




聴きに行った演奏会
中央大学音楽研究会混声合唱部 平成28年秋季演奏会
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
モテット第1番「主に向かいて新しき歌を歌え」BWV225
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
テ・デウムHob.XX�Vc:2
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ミサ曲ハ短調K.427(補筆完成版)
岩本麻里(ソプラノ)
鈴木涼子(アルト)
大島博(テノール
大森いちえい(バス)
渡部聡(オルガン)
三澤洋史指揮
アレクテ室内管弦楽団
中央大学音楽研究会混声合唱

平成28年9月24日、東京、八王子 八王子市芸術文化会館いちょうホール 大ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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