今月のお買いもの、まずは銀座山野楽器本店にて買い求めました、ミヒャエル・ハイドンのミサ曲とレクイエムのCDです。リリンク指揮、ブタペスト・リスト・フェレンク室内管弦楽団他の演奏です。
まず、ミヒャエル・ハイドンの説明から参りましょう。ハイドンって二人いるのかとお思いかと思いますが、はい、その通りです。兄が人口に膾炙しているフランツ・ヨゼフ・ハイドンです。
ミヒャエル・ハイドン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3
このブログでも一回ほどミヒャエルについてはモーツァルトの交響曲を取り上げた際に触れ、「音楽雑記帳」のコーナーで取り上げています。
音楽雑記帳:元モーツァルト交響曲第37番を聴く
http://yaplog.jp/yk6974/archive/513
この時に取り上げたのがミヒャエルの交響曲なのですが、上記エントリでも言及していますが、彼はかなりの交響曲を書いていながら、実は日本ではミサ曲のほうが有名な作曲家です(その点でメジャーではないことがはっきりしてしまっています。まあ、大体合唱曲が好きな人たちってそういうものが好きであることが多いのですけどね)。この時にも、ライブラリにほしいと言及していますが、今回それをかなえたことになります。
そう、このCDを買いましたのはまさしく、レクイエムが収録されているから、なのです。しかも、モーツァルトのレイクエムに影響を与えたとされている、1771年作曲のハ短調レイクエムです。
忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/3sa.html
ミヒャエル・ハイドン/レクイエム ほか
http://www.h2.dion.ne.jp/~kisohiro/michael.html
モーツァルト事典では触れられていないせいか、ウィキも珍しくそれに準拠して触れていませんが、ミヒャエルのレクイエムがモーツァルトのレクイエムに影響を与えたのは有名な話でして、恐らくともに抜け落ちたものと思います。あるいは、確証が持てないので記載がないかでしょう。確かに、モーツァルトが確実に参考にしたということではないようです。しかし、そう思われる個所は、ミヒャエルのレイクエムを聴きますと、実は随所に出てきます。
さて、まずはミサ曲から参りましょう。1803年に作曲されたミサ曲で、彼の最後のミサ曲になります。神聖ローマ帝国の皇帝フランツ2世(のちのオーストリア皇帝フランツ1世)の誕生日のために作曲されたミサ曲で、兄フランツが国歌を作曲した一方で、弟はミサ曲を作曲したということになります。
神よ、皇帝フランツを守り給え
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%82%88%E3%80%81%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8A%E7%B5%A6%E3%81%88
この演奏はハンガリーの団体によるもので、レーベルもHungarotonなのですが、実はそれはこの由緒に関係します。フランツ2世は当時神聖ローマ帝国の皇帝であったため、ハンガリー王もかねたためです。そのためか、直筆譜はハンガリーで所蔵されています。
フランツ2世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%842%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)
最初キリエは短調で入りますが、グローリアに入りますと荘重でかつドラマティックな音楽へと変わります。この部分は特にモーツァルト的な動き回るオケと長音を使った合唱部という構成が美しいコントラストを見せています。なぜ、第37番が後世間違われたのかが、このミサのグローリアを聴くだけで納得できます。この点は兄フランツよりも素晴らしい点だと私は思います。
キリエがニ短調であること以外、ブックレットにはそれがなぜかは記載がありませんが、ニ短調というとモツレクを想起する部分です。さらに、兄フランツのネルソン・ミサもキリエがニ短調であることから、それらの作品がこの曲の主張をニ短調にした影響の一つだったのかもしれません。全体としては1803年に作曲された割にはとても古風な旋律となっていますが、それは皇帝に献呈するという点が重視された結果であろうと思います。交響曲、たとえば第25番(元モーツァルトの第37番)は決してそれほど古風ではありませんから。また、最後のアニュス・デイではむしろモーツァルトからの影響(戴冠ミサなど)を感じる点があります。
レクイエムはミヒャエルは未完の作品を含め3曲作曲していますが、このCDに収録されているのは彼のミサ曲の最初とも言うべき作品で1771年にライプツィヒの大司教シギスムント(つまり、コロレドの前任者シュラッテンバッハ)を偲んで作曲されたものです。これはハ短調となっておりまして、主調だけではモーツァルトのレイクエムとの関連は全く見受けられません。その点で、ウィキな等に記載がないのは正しいスタンスだと思いますが、しかし、この曲はすでに触れていますが随所にモーツァルトのレクイエムとの関連が疑われる部分があります。
まず、それはいきなりキリエに現われます。長いフーガによるキリエがそうです。そして、オフェルトリウムとサンクトゥス、ベネディクトゥスにもそれがうかがわれます。
モーツァルトはオフェルトリウム以降をほとんど作曲していません。サンクトゥスとベネディクトゥスはジュスマイヤーの作曲です。それはハイドン的と言われますが、それはもしかするとモツレクがこのミヒャエルのレイクエムを参考に作曲されたことに関係するのかもしれないと考えれば、特段おかしなことではなくなってくるわけなのです。なぜ、現在でもジュスマイヤー版を採用する指揮者が多いのかは、こういった点からも考察できます。
また、モーツァルト作曲であるオフェルトリウムの部分、ドミネ・イェズ・クリステとオスティアスにモツレクに似た旋律と構成が現われます。開始の仕方や音型など、モツレクが好きな方ならあれ?と思う部分があるかと思います。
考えてみれば、ミヒャエルとモーツァルトはザルツブルク宮廷楽団で同じ職場だったのです。モーツァルトの作品にもミヒャエルの影響を受けたものが管弦楽曲を中心にたくさんありますし、そして何よりも、このレクイエムが大司教シュラッテンバッハの死去を悼み柵渠幾されたものであるという点も、私は注目しています。モーツァルトの人生の転換点となった、シュラッテンバッハの死。その後の大司教コロレドとは合わなかったためウィーンへ出る決心をしますが、その遠因となったのがシュラッテンバッハの死です。それを生涯心にとめていたとすれば、なぜモーツァルトが自らレクイエムを作曲する際、ミヒャエルのこのレクイエムを参考にしたと言われるのかが分かるような気がします。
私はモツレクがモーツァルトの死去後演奏された時、ミヒャエルはどんな気持ちで聴いたのだろうかと思います。作曲の手法から言って、もしモーツァルトがこのミヒャエルのレイクエムを参考にして作曲したものであれば、ミヒャエルへのリスペクトを感じるのです。それをもしミヒャエルが感じていたとすれば、彼の胸に去来するものは何だったのでしょう?
そのテクストで考えますと、何となくですがなぜミヒャエルは「聖フランツミサ」でニ短調を選択したのかが、わかるような気がします。もしかするとフランツのためのミサは、単なる皇帝に対する畏怖という側面だけではないように思うのです。当然そこには、モーツァルトに対する尊敬もあったのではないかと思います。
そうなりますと、彼のもう一つのレクイエムも聴きたくなります。1792年から95年にかけて作曲されたという点からして、意味深です。ぜひとも来月にご紹介できればと思います。
演奏面では、重厚なこの二つの曲を軽めに、しかししっかりと演奏してます。室内オーケストラを採用している点も功を奏しているように思います。その上で力強くしなやかな声楽。東欧らしい素直な発声がなせるわざでしょう。アインザッツが強めなのも緊張感があって素晴らしいです。さすが、ミヒャエルに由緒あるハンガリーの団体だと思います。ミヒャエルは人生のほとんどをザルツブルクで過ごしましたが、それ以前に実はハンガリーのグロースヴァルダイン司教の楽長に就任しています。そういった伝統に敬意を払っている点が、私にはとても好印象です。
聴いているCD
ミヒャエル・ハイドン作曲
ミサ・サンクティ・フランシスティ(聖フランツ・ミサ)
レクイエム ハ短調
イボルヤ・フェレブリクス(ソプラノ)
ユディト・ネメス(アルト)
マルティン・クリートマン(テノール)
ヨゼフ・モルドヴァイ(バリトン)
ハンガリーラジオ・テレビ合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
ブダペスト・リスト・フェレンク室内管弦楽団
(Hungaroton Classics HCD31022)
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