かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:タローが弾く「ゴルトベルク」

今月のお買いもの、平成30年3月に購入したものをご紹介しています。今回はアレクサンドル・タローが弾くバッハのゴルトベルク変奏曲の、ハイレゾ盤です。e-onkyoネットハイレゾストアでの購入です。

丁度今年はバッハ生誕333年なんですね。そのため、店頭ではバッハ関連の音源が注目されていたりしますが、それはe-onkyoさんでも同様の様で、幾つか音源がある中で、私が注目したのがこのゴルトベルクだったのです。

理由としてはいとも簡単なものです。近年、ゴルトベルクの演奏はチェンバロが主流になり、ピアノでのほうが傍流となりつつあります。それは作品が成立した時代を考えれば特段批判されるべきことではありませんが、近代においては、ピアノで演奏され続けられてきた作品でもあるわけです。

本来、チェンバロとピアノでは同じ鍵盤楽器だと言っても性質の異なるものですから、ピアノで弾かないほうが私は良いと思っていますが、かといって古楽演奏が当たり前になるまでのピアノでの表現において、素晴らしいものも数多くあることを鑑みれば、ゴルトベルクという作品は本来弦楽器とも言うべきチェンバロのための作品だったはずなのが、打楽器と言っていいピアノでもまた違った世界を見せるだけの広がりを本質的に持つ作品なのだと言えるでしょう。

であれば、最近のピアノ演奏を聴いてみるのも、面白いなと思い、迷わずポチりましたw

さて、ゴルトベルクの演奏と言えば金字塔のようにグールドのものがある訳で、しかもそれは誠に素晴らしいものです。しかしながら、グールドは強迫的な演奏でもあります。そこはかなり好みが分かれるのではないでしょうか。私としては好きな演奏ですが・・・・・

このタローの演奏を聴きますと、それほど強迫的にならずとも、しっかりと作品が持つ本質が、演奏者のよろこびと共に表現できるものなのだと、まるで頭をガツンと殴られるかのような衝撃をもって気づかされます。

タローと言っても、実は日本人じゃありません。フランス生まれのフランス育ち。しかもパリッ子。ですが両親が芸術家でかつとても子供にとっていい刺激になるような育て方をしたことで、私はタローはゴルトベルクを弾くべくして育てられたのだと言いたいくらいです。

王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.4 アレクサンドル・タロー
https://www.ojihall.jp/topics/interview/tharaud_int.html

この王子ホールさんのページがもっとも解説として優れていると、現時点では私は思います。特にこのゴルトベルクを聴くときに、あー成程ね〜とお名づけるだけの材料は提供されていると思います。

で、実は両親は芸術家でですけれども、母親はダンサーで、父はバリトン歌手。そこにピアノはないわけですが、それでも実家にはピアノがある訳です。けれどもそれは姉たちが占領して入り込む隙間はない。そこがとてもいい環境だったと私は思います。

今わたしはWワークで対人援助の仕事をしていますが、その経験からすれば、この環境はタローが「ピアノアディクト」にならずに済み、演奏に深みと深遠さが加わるのにとても大切な役割を果たしていると思います。まさにこのゴルトベルクの演奏は、歌い、そして踊っているから、なんです。

ピアノと言う楽器は、鍵盤を叩けば音が出る楽器です。ですからプロであればどんどん叩いていくわけ、なんですが、ピアノ演奏に置いて重要なものは、実はタッチなんです。ピアニストを間近で見ると本当によく分かるんですが、例えば瀬川玄氏の演奏を彼が主催する「音楽道場」で見ていると、楽譜通りに弾くこともさることながら、もっと大切にしているのは鍵盤へのタッチ、なんです。

それはピアニストの演奏寿命という点もありますが、タッチこそ、演奏に表情をつけるイロハのイだからです。さらにはペダル操作など、他の楽器ではなかなかないものもありますが、タッチというのはある意味、私のような合唱屋でいえば、歌うときに吐く息のスピードをコントロールすることと同じなわけなんです。ですから、タッチと言うのはピアノで表現するときに最も大切な要素だと言っても過言ではありません。

それによって強調されているのは、比較的どっしりとしたテンポの中で、速くもありゆったりもありというリズムの中で、常にバッハの音楽の舞踊性と歌唱性が重視されているという点なのです。たったそれだけで作品はまるでリビルドされたかのように生まれ変わり、新たな生命を宿すのです。

その新たな生命は、演奏に明るさを生み出しています。どこまでも明るく、饒舌で、さわやかで、豊潤です。いやあ、こんなゴルトベルクがあったのか!と膝を打たずにはいられません。それは彼がピアノという楽器といい距離感をもって取り組んでおり、だからこそ音楽に置いて他に大切な要素であるリズム、フレージングなどに視点が行っているという確たる証拠です。それをもたらしたものこそ、臨床心理の側面から言えば両親がピアノの関係ではなく舞踊と歌手であり、幼少期にそもそもピアノを触ることが難しかったけれど、ピアノを好きになったという生い立ちにこそ求められるのです。

だからこそ、このゴルトベルクの演奏も、バッハがそもそも作曲において舞踊性を重視していたことが自然と浮かび上がりますし、歌としてもしっかりと成立するということを証明もしています。そしてそれは弦をはじくチェンバロという楽器よりも、弦を叩くピアノという楽器のほうが表現として優れているわけです。まさにこの演奏はピアノという楽器で弾けばこのように表現できるものなのだと言うことを、過去の巨匠たちの演奏を踏まえつつも、自家薬篭中のものとしてしっかりと宣言したと言っていいと思います。

まさに、ピアノであればこんな演奏が聴きたかった!というもので、聴いていて私は幸せに包まれます。今後もタロー氏の音源があれば、CDを買う、もしくはハイレゾをポチりたいですね〜。ハイレゾだからこそ細かいタッチまでも聞き取れるという側面もあると思いますし、その意味ではタロー氏は恐らくCDよりも最初からハイレゾ録音のほうが適しているかもしれません。であれば、ハイレゾでポチるほうがいいかも、ですね。




聴いているハイレゾ
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ゴルトベルク変奏曲BWV988
アレクサンドル・タロー(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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