かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:アシュケナージが弾くバッハの6つのパルティータ1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回と次回の2回で、ウラディーミル・アシュケナージが弾くバッハのパルティータを収録したアルバムをとりあげます。

パルティータ自体はバッハの作品には数多くあるのですが、それだけを集めた作品集となると、BWV825~830の6曲を集めたものになります。前奏曲との組み合わせが多いパルティータですが、この曲集は実はそれぞれがパルティータという「組曲」になっているのです。

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となると、これは性格的には舞曲集、ということになります。確かにクラヴィーア練習曲集としての性格もありますし、バッハのクラヴィーア曲の集大成とも言われますが、基本的には舞曲集、です。この作品を伴奏として、踊ってしまえるように、という意図もあるのは明白であると言えるでしょう。

ですが、アシュケナージは決してその枠に留まろうとはしません。時に優雅に、時にリズミカルに激しく演奏します。これはピアノ、つまりクラヴィーア曲ですから、と言いたげに。しかし、「舞曲である」という視点は決して忘れません。それを念頭に置きつつも、舞曲という視点だけで弾かないんです。こういう点はアシュケナージの素晴らしい点だと思います。譜読みの段階でしっかりとした「己」というものをもっているということなのですから。

そのアシュケナージの視点が生み出すのは、アシュケナージ自身の「歌」です。優雅に弾いている曲はまるで楽譜通りに弾きました~という印象を与えますが、いったんテンポアップしてしまえば、アシュケナージが作品に対して持っている情熱がほとばしります。おお~、アシュケナージはこの曲愛しているな~というのが伝わってくるんです。こう共感できるの、いいなあ。

バッハ作品の難しさって、その一見すると何もないように見えるけれども実は奥深い点が隠されている点です。聴衆として聴くとこんなの簡単でしょ?って思う作品ほどシンプルゆえに難しかったりするんです。この6つのパルティータもそんな作品だと言えるでしょう。第1集には第1番BWV825~第3番BWV827までが収録されていますが、そのどれも単純であるのに、「歌」になっている演奏なんですね~。それがアシュケナージが「己」をもって弾いている証拠だと思うゆえんなんです。

指揮者としては評価が真っ二つに分かれることが多いのですが、ピアニストとしては、やはり一流だと言っていいと思います。

 


聴いている音源
6つのパルティ―タ(CD1)
第1番変ロ長調BWV825
第2番ハ短調BWV826
第3番イ短調BWV827
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

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