神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から2回、バッハのイギリス組曲を取り上げます。
なせこの作品を借りてきたかと言えば、前回とりあげた平均律クラヴィーア曲集を聴いたことが大きかったのです。ロマン派の作曲家達が偉大な作品として仰ぎ、参照しまねたバッハの平均律クラヴィーア曲集。さらにその成立までに至る作品たちはどんなものなのかが知りたくて、借りたのでした。
さらに伏線は、すでに購入済みであった、フランス組曲の存在です。国名が付いた組曲をバッハは書いていまして、その一つにイギリス組曲もあるわです。ならば、それも聴きたいというのは平均律クラヴィーア曲集を借りて来る前からあったのです。
まず、どんな作品なのか、見てみましょう。
イギリス組曲 (バッハ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%B5%84%E6%9B%B2_(%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F)
いわれには様々ありますが、押さえておきたい特徴は、この作品がケーテン時代に成立していると言う点です。それはこの作品が、いささか古風であることを意味します。平均律クラヴィーア曲集は最終的にはライプツィヒ時代に成立したことを考えると、イギリス組曲は旧いのです。
このウィキでは、直筆譜は僅かしか残されていないとありますが、それはその通りなのですが、さらに「バッハ事典」によれば、直筆譜以外はそれほどの差異がない、つまりコピーにあまり差異がみられないとの記述があります。それはこの作品がそれだけ手が入っていないことを意味するのです。
ということは、古い様式に留まっていることを意味するので、バロックの様式が色濃い作品であることを意味するのです。それをチェンバロで聞けば、いったいどうなるでしょう?
でも、ここで私は面白いことをやってみたのです。でもあえて、ピアノで聞いてみよう、ということです。ですので演奏はアンジェラ・ヒューイットのピアノです。さて、グールドの「平均律」のようなことが起るか否や!
そう、なぜピアノ演奏を借りてきたのかと言えば、それはグールドの解釈がその後スタンダード足り得ているか、との検証の意味があったのです。そしてその答えは、Noでした。
このヒューイットの演奏は実に端正で、テンポはそれほど急いでおらず、かといって重々しくもありません。グールドに影響を受けているとは思いますが、グールドの解釈がスタンダードになったのかと言えば、そうともいえないという事になるでしょう。あるいは、ヒューイットだけ異なるのか?
で、この時期私は瀬川氏のサロンへ通っていましたから、瀬川氏がバッハならどんなテンポで演奏するのかを聴いていました。結論から言えば、このヒューイットに限りなく近い物だったのです。それで、私はグールドの解釈はスタンダード成り得なかったと結論付けたのです。
ヒューイットのこの演奏は2002年の録音です。グールドやチェンバロの演奏が溢れる中で録音されたものであると言えるでしょう。その中でヒューイットは、どちらかと言えばチェンバロ風の演奏を選択したと言えます。ピアノの能力を十分に使って、かといって使いすぎることなく、本来はチェンバロで演奏されたものなのであるという意識に裏打ちされた、歌うような、軽快で、しかし内面から湧き上る喜びに満ちあふれる演奏になっています。
こういった学究的でありながら、聴き手にはしっかりと感動が伝わる演奏は素晴らしいと思います。特に舞曲をぞんざいに扱わず、きちんと跳ねるように演奏しているのは好印象です。形式的にはフランス風舞曲ぎっしりなのですが、それを微塵も感じさせない演奏はまさに、モダン楽器によるバロック演奏の新しい時代そのものであると言えるでしょう。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
イギリス組曲第1番イ長調BWV806
イギリス組曲第2番イ短調BWV807
イギリス組曲第3番ト短調BWV808
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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