神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、バッハのイギリス組曲をご紹介していますが、今回はその第2回目で、後半、第4番から第6番を取り上げます。
この演奏はピアノだと言いました。そしてなぜピアノを借りてきたのかと言えば、それはグールドときき比べる意味もあったと述べました。
で、特に第5番ジーグなのですが、テンポが些か速めなのですね、ここに、ヒューイットの、グールドからの影響を感じます。でも、それだけではなく、ロマンティックな部分もかなりあり、部分部分でリタルダンドも入っています。これこそ、ピアノ演奏の醍醐味です。
本来、リタルダンドが入ることは殆どありえないわけですから。チェンバロという楽器では、それは難しいわけですから。しかし、リタルダンドを入れても不自然ではないのが、この演奏の素晴らしさであり、同時に些か古い様式であるはずのイギリス組曲が、実は同時に新しい楽器にも対応できるだけの余地を持っていた、つまり、平均律クラヴィーア曲集を用意する作品でもあったことが、明確にわかるのです。
イギリス組曲 (バッハ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%B5%84%E6%9B%B2_(%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F)
ここに、バッハという作曲家が生きた「時代」というものを明確に感じます。バロックの作曲家でありながら、実は片足は多感様式に突っ込んでおり、前古典派とも言える作曲家である、という事です。
イタリアのバロック期の作曲家を聴きますとよく理解できるのですが、バッハの様式は時として古典派と何ら変わりないこともあります。それはバッハがバロック期最後の作曲家であり、巨匠であったからなのです。バロックという時代を集大成した作曲家であり、その上で次の時代への準備をした作曲家でもありました。そして、橋渡しをしたのが、その大バッハの息子達でした。
その歴史的変遷を俯瞰してみますと、グールドの解釈がいかに新しくも、それは歴史に即していたものであったかに気が付かされますし、それは全く異なったこのヒューイットの演奏を聴いていても感じることなのです。
では、ヒューイットの演奏はつまらないのかと言えば、むしろだからこそ面白いと言えるでしょう。様々な点を気づかせてくれる奥の深さ、そして表現の多様さ。どれをとってもつまらないという事はありません。
でも、だからこそ、ではチェンバロだとどうなるのだろうと思うのが、私なんですよねえ・・・・・・さて、それは何時の事になりますでしょうか。お楽しみです。
元々舞曲が入っているからこそ、どんなにロマンティシズムが入っていようとも、ノリノリになれる楽しさもあるのがそもそもイギリス組曲の特徴かと言えるでしょうが、それはバッハの、特に器楽作品全体に言えることです。それがピアノだと現代に息を吹き返し、生き生きとした生命力を持つのが、ピアノ演奏の素晴らしさだと言えるでしょう。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
イギリス組曲第4番ヘ長調BWV809
イギリス組曲第5番ホ短調BWV810
イギリス組曲第6番ニ短調BWV811
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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