かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:大田区民第九合唱団 第10回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、3週連続の最終週は、平成29年11月18日に行われました、大田区民第九合唱団第10回定期演奏会を取り上げます。

そう、自分の古巣の合唱団の定期演奏会へ足をはこんできました。きっかけは意外なことでした。

大田区民第九合唱団は、現在以下のホームページになっています。

大田区民第九合唱団
http://www.geocities.jp/ota9cho/

メールボックスも、個人のではなく、複数で管理できる形に変えており、私がいた時とは段違いにいいHPになりました。いいことなんですが・・・・・

なんと、この第10回定期演奏会にチラシを挿みたいという連絡が、前任者である私に来てしまったんです。以前私が管理していたサイトにアクセスしたようで、そこから既に退団している私に連絡がきた、と言うわけです。

私は、まずすでに事情があり退団していること、そのためにホームページは新しくなっていて、窓口が異なることを説明して、新HPへ誘導しました。その過程で、古巣がフォーレのレクイエムを演奏することを知ったのです。しかも、ラター版・・・・・

そう、私が以前エントリを立てたやつです。

今月のお買いもの:フォーレ レクイエム1893年版他
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1476

これを、古巣がやるって言うわけですが、正直言えば3週連続は体力的に持つのかという不安もあったのですが、ラター版がリアルで聴ける機会はめったにありません。思い切って古巣に連絡を取り、チケットを手配してもらったのでした。

プログラムとしては大きく3つに分かれており、第1部が��田三郎の「心の四季」、第2部がミュージカル・メドレー、そして第3部がフォーレのレクイエムでした。

��田三郎の「心の四季」も、以前下記エントリにてご紹介しています。

マイ・コレクション:水のいのち ��田三郎作品集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/870

哲学的なこの作品を、大田区民第九合唱団(以下、「九唱」と略します)は素晴らしいアンサンブルでしっかり表現できていたのには、感動するとともに、驚きました。私がいた頃など比較もできないほど、上手になっていたからです。

決して簡単に歌える作品じゃあありません。上記エントリで簡単と私は述べていますが、それは文中でも言及していますが、「水のいのち」と比較して、です。「心の四季」も決して簡単に歌える作品ではありません。むしろ、「水のいのち」よりは簡単な分、アンサンブルの乱れはすぐ顕在化し、下手やなあって思われる原因になります。

それが、ないんですよ、微塵も・・・・・ホールが私が歌っていた頃の大田区民プラザではなく、アプリコであるという点もあるかもしれませんが、それでもアマチュアならではの発声って出るんですよ、どんなホールであっても。それが少なくとも、第2部までは殆どないんですよね〜。いやあ、感心するというよりは、感動しました。

第2部は誰でも知っている作品が並びますし、「タイム・セイ・グッバイ」は基本ソリストだけなので、合唱団は楽しめればOkという感じですが、それでもしっかりとアンサンブルして、そのアンサンブルを楽しんでいたのは楽しめましたし、また感動もしました。素晴らしいです。

で、第3部に行くのかと思ったら、東京交響楽団のOBを特別ゲストとして迎えていたんですね。間奏曲のような形で、ヴァイオリンとチェロによるウェーバーの「舞踏への勧誘」が。オケ版で聴き慣れている作品ですが、実は元々はピアノ曲だと聴かされてビックリ!で、調べたところ、その通り、ウェーバーピアノ曲として作曲しているんですね。私たちが現在よく聴くオケ版は、ベルリオーズの編曲なのです。

舞踏への勧誘
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E8%B8%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8B%A7%E8%AA%98

これは私自身勉強になりました。当日はピアノでもオケでもなく、ヴァイオリンとチェロによる二重奏ヴァージョンでしたが、さすが東京交響楽団で腕を振るった芸術家だけあって、艶があり、粋で、生命力宿る演奏でした。こういう芸術家を呼べる「ライン」を持っているのは九唱の将来を見据えた時、大きな武器でしょう。なぜならば、この二人、第3部のフォーレに出演する演奏家だったからで、こういう優れた、しかも海外の芸術家がアマチュアの演奏会に出るなんて、それなりの人脈と、合唱団自体の「惹きつける魅力(主に熱意や実力)」、そしてその芸術家本人の思想に基づくからです。それは合唱団全体の実力につながっていきます。だからこそ「武器」なのです。

第3部のフォーレ「レクイエム」ラター版。1893年の第2番を作曲家で指揮者のラターが校訂したものですが、ラターが指揮した上記エントリでご紹介した演奏を基本としつつ、指揮者視点でさらなる校訂が入った演奏でした。その点では単に楽譜に忠実になるのではなく、指揮者、そして合唱団員の意思が貫かれている点で、優れた姿勢だと言えます。

その上で、演奏も素晴らしい!長いフレージングも途切れることもありませんし。残念だったのはさすがにこのレクイエムではソプラノが高音でぶら下がり気味になってしまったことです。とはいえ、フォーレのレクイエムはそもそもpやppで高音部が続く作品である上に転調が嫌らしい形なので、実はとても難しい作品です。今回の演奏ができただけでも、私がいた時よりは格段の進歩ですし、今回くらいに歌いきれる演奏もそうそうありません。テンポがを少し速めにした指揮者の選択も素晴らしかったと思います。実際、全体的には以前聴いた中央大学音楽研究会混声合唱部よりは素晴らしい演奏になったことは間違いありません。

コンサート雑感:中央大学音楽研究会混声合唱部第49回定期演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1051

この時の中大混声は、フレーズの最後を短く切ってしまっていて、作品そのものが持つ特徴や意味、魅力が半減していました。でも今回の九唱の演奏はそんなことがなく、作品が持つ特徴や意味、そして魅力を存分に表現できていました。それをできるだけ実現しようとチャレンジした結果が、ソプラノのぶら下がり気味だったのですから。残念と言う言葉以上の批判は要らないと思います。

そして、この演奏のさらに素晴らしかった点は、ステージそのものにありました。つまりは編成なのですが、オケ・・・・・いや、アンサンブルがよく分かるものになっていたのが今回の演奏会のプロ並みに素晴らしい点だと思っています。

私が以前ラター版を取り上げた時の演奏は、実はオケではなく、なぜか「シティ・オブ・ロンドンシンフォニアの団員」とあります。オケそのものではなく、そこから幾人かの団員によるアンサンブルになっていたわけですが、その様子が手に取るようにわかるんです。今そのラターが指揮した演奏を聴きながら書いていますが、合唱がはっきり浮かび上がる演奏になっているんです。これは今回九唱の演奏を聴いて聴きなおして気が付いた点で、こういうことこそ、リアルを聴きに行く利点だと思います。具体的には、当日の編成はヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1、ハープ1、オルガンで、プログラムにはオーケストラとありましたが、室内アンサンブルとするほうが適切な編成です。で、CDもそれより少し大きいか同等の編成でしか聴こえません。

なぜ初版でフルオケだったのが室内アンサンブルまで少なく、フォーレはしたのか。詳しいことはどこにも載っていませんが、これはあくまでも私の推理です。フォーレはこの作品を広く演奏してほしくて、小さい編成ヴァージョンを作った、ということです。それは古典派においてモーツァルトがピアノ協奏曲第14番などをピアノ四重奏曲版へ編曲したり、リストがベートーヴェン交響曲3つをピアノ演奏へトランスクリプションしたのと同じであると言えます。フォーレが生きていた印象派の時代であっても、フルオケはとても贅沢なものだったのです。だからこそ、当時の最大公約数として、実現しうる最少アンサンブルで編曲した、と考えれば腑に落ちます。実はそれをしっかりと解かっているという印象を受けたのが、トラに音大生を入れていないという点だったのです。

勿論、九唱だけでも実は私の時とは異なり、男女のバランスは比較的取れているんです。でも出られない団員が居たりして、実際には賛助団員が幾人かいたのですが、どう見ても音大生とは思えない。九唱はわたしが退団して以降、分裂していますが、恐らくその分裂した団体で歌いたい人や、他の大田区内、或は指揮者のつての合唱団に声をかけて、参加した人たちなのだろうと思います。その団員たちも九唱とレヴェルが変らず、すぐアンサンブルできる人たちだったのでしょう。溶け合っていて、室内アンサンブルとのバランスもばっちりだったのです。

現在指導あるいは指揮されている神成氏のセンスがいいのでしょうね。合唱団にとって何が一番フィットするのかを判っているなと感じましたし、また合唱団との関係も良好なのだろうと思いました。その相互主義が、演奏にしっかりと反映されていて、私は感動すら覚えたのです。

私がいた時に蒔いた種を、育て、実らせたのはその後残った人たちですし、さらに新しい人を迎えてもレヴェルを上げていく努力を怠らす、まるで「一番大切な人は新しくやってきた仲間」と言うかのように、新しい人たちを暖かく受けれる土壌がないと、私が残したものを、土を耕し、肥料をやり、大樹に育て、実らせることは難しかったろうと思います。現在援助職としてそのむずかしさを痛感する日々を送っている私はその苦労が手に取るようにわかります。それだけに、今回の演奏は私にとってむしろ勇気をもらったものでもありました。本当にご苦労様です。ここまで決して平たんな道のりではなかったと思いますが、よくぞここまで合唱団を育ててくださって、頭が下がる想いです。

次回がいつなのかわからないのは、私がいた時と同じですが、まあ、そんなもんです。でも、もしわかったら告知してくださると嬉しいです。こんなに素晴らしい合唱団に育ったのなら、聴衆として馳せ参じるのが「埋め合わせ」だと思っています。是非とも次回も、日程さえ合えば聴きに行きたいと思っています。

ただ、一つだけお願いがあります。仕事の予定とにらめっこしつつ来ているので、できれば休憩は1回でお願いしたいです・・・・・合計30分の休憩は、今回のように盛りだくさんではちょっと後の予定がきつかったです。素晴らしい演奏だっただけに、そのあたりは配慮願えると、嬉しいかなあ。




聴いてきた演奏会
大田区民第九合唱団 第10回定期演奏会
湯山れい子作曲
大田区イメージソング「笑顔、このまちから」
��田三郎作曲
合唱組曲「心の四季」
アンドリュー・ロイド・ウェーバー作曲
ミュージカル「オペラ座の怪人」より「オペラ座の怪人
ミュージカル「キャッツ」より「キャッツ」
作者不詳
タイム・セイ・グッバイ
映画「タイタニック」より「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(イタリア語版)
クロード=ミッシェル・シェーンベルク作曲
ミュージカル「レ・ミゼラブル」より「民衆の歌」
カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲
舞踏への勧誘
ガブリエル・フォーレ作曲
レクイエム(1893年版ラター校訂)
ラシーヌ賛歌(アンコール)
グレブ・ニキティン(ヴァイオリン)
諸橋健久(ヴィオラ
諸橋恵子(ヴィオラ
ベアンテ・ボーマン(チェロ)
大城真紀(チェロ)
太田早紀(コントラバス
浅野華(ハープ)
東方理紗(オルガン)
小池律子(ピアノ)
吉田貴至(ピアノ)
藤永和望(ソプラノ)
猪村浩之(テノール
薮内俊弥(バリトン
神成大輝指揮
大田区民第九合唱団

平成29年11月18日、東京大田、大田区民ホールアプリコ大ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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