かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ヨッフムのベートーヴェン交響曲全集4

今月のお買いもの、平成29年8月に購入したものを御紹介しています。シリーズで、ディスクユニオン大阪クラシック館にて購入しました、ヨッフム指揮のベートーヴェン交響曲全集を御紹介していますが、今回はその第4集を取り上げます。

第4集は第7番と第8番が収録されていますが、二つともオケはベルリン・フィルです。ついでに、カップリングのレオノーレ第2番もベルリン・フィルです。

この第4集では、徹底的にベルリン・フィルとのセッションとなっているわけですが、特に驚くのが第7番です。実はモノラル録音なんですが、実に音質がいいんです。そのせいなのか、生き生きとは聴こえます。一方で、カラヤンなどで聞く硬質な音もそこには存在します。

と言うことは、録音って本当に様々なものに左右されるんだな、ってことです。録音技術とその水準、そしてエンジニアの腕と美意識。その上で指揮者の美意識とが、混然一体になった作品が、「アルバム」と言われるものなんだなと言えるでしょう。

ここで、私は父に言われた言葉を思い出します。「CDとは、或はレコードとは、決してリアルそのものではない、一つの物質的結果に過ぎない。本当のリアルを感じたければコンサートホールへ行け」、という言葉です。

父はツートラサンパチをライヴ会場に持ち込んで、ジャズを録音しまくった人です。設計技師として、そして録音技師として、一「エンジニア」としての経験がそこには詰まっていることを、今になって私は理解し始めています。

演奏も素晴らしいものです。躍動感にあふれ、リズムの権化の第7番が明快に解釈され、実演されています。最初からプロオケとして発足したベルリン・フィルらしい演奏だと言えますし、ヨッフムもそれを意識したのかもしれないと、録音からは感じます。

第8番の諧謔性も、テンポ感の良さで非常に明快ですし、最後のレオノーレも勇壮で、文句のつけようがありません。録音は第7番が1952年、第8番が1958年、そしてレオノーレが1961年。第8番とレオノーレはステレオ録音。私の持っているCDレシーバーでも本当にいい音で鳴ります。

オーディオファンを悪く言うわけではないんですが、私は余りにも真空管にこだわりすぎると、音楽の本質を見誤るような気が最近しています。例えば、カラヤンを評するには、オーディオとの関連は避けて通れない話ですし、特にグラモフォンと日本のソニーとの関係は避けて通れません。それと同じことが、このヨッフムの録音でも言えるのではないか、と思います。

こう聴いてきますと、ヨッフムの解釈も多分にカラヤン的で、快速な部分もあります。外面的な部分だってあるのに、なぜか人格攻撃がないのはどうしたことなのかと疑問を持ちます。いや、是非ヨッフムも人格攻撃すべきだというのではなく、全く逆で、ヨッフムはしてならないし、それはカラヤンも同等である、と言いたいのです。

カラヤンは敢えて、その時代までに構築したものを壊そうとしているように聴こえます。一方、ヨッフムはその破壊の果実を受け取りながら、実際にはそれまで構築されてきたものを守っているように思います。それぞれにポリシーがあり、それぞれに特色がある・・・・・それを受け入れることが、なぜ巨匠を侮辱することになるのでしょうか。是非説明を求めたいところです。

ヨッフムのこの演奏は、ある意味カラヤンと共にアンチテーゼであると思います。ただその対象が異なるだけ、だと言えるでしょう。




聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第8番ヘ長調作品93
レオノーレ序曲第2番作品72
オイゲン・ヨッフム指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Deutsche Gramophon 474-022-2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村