今月のお買いもの、平成29年8月に購入したものを御紹介しています。シリーズでヨッフム指揮のベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第3集です。
第3集には、第5番「運命」と第6番「田園」が収録されており、「運命」がステレオ、「田園」はモノラル録音です。
で、どちらがいいかと言えば、甲乙つけがたいですが、あえて言えば「田園」です。しかし、かつての私なら「運命」でした。では何故か?
まず、以前の私であれば、モノラルということでまずはじきました。ですから、「田園」ではなく「運命」だったはずなんですが、今ではそんなことにこだわらなくなりましたから、「運命」ではなく「田園」なんです。
モノラルなので、各パートの一つ一つの音は全体の中に埋没する傾向にありますが、それでも全体が生き生きとしていて、特に第3楽章から第5楽章の、アレグロが続く部分では生命力と喜びに満ちあふれる、素晴らしい演奏となっています。
それは実は1曲目の「運命」でも一緒なんですが、第1楽章第1主題で見栄を切っているんですよねえ。いやあ、こんな演奏するのかと腰抜かしました。カラヤンならともかく・・・・・
って、カラヤンならやらないことを、ヨッフムはやったんです。これがオケとの共同作業の上でなのか、それともヨッフムの独断なのかは他の演奏を聴いてみないことには断言できませんが、いやあ・・・・・
いや、面白いと思いますよ。私は嫌いじゃないです。でも、作り話とも言われる「運命はこう戸を叩く」をリアルで行っちゃったのは、どーなんだろーって思います。まあ、悪くはないんですけどねえ・・・・・
ヨッフムが、運命が戸を叩くのはこう思っている、というのであればいいんですけどね。というかこの演奏はその点で受け入れることができないとかなり多くの人が「なにこれ」って思ってしまいかねないって思うんですね。個性的と言えば個性的ですが、うーん、私はちょっと判断できないですね。
ただ、宇野功芳氏の指揮のと同じく、面白い演奏だと思います。さらに第3楽章から第4楽章に掛けてはドラマティックな中に美しさを同居させ、高いレヴェルの演奏になっているのは間違いないと思います。
それにしても、運命にせよ田園にせよ、音がいいんですよ!カラヤン/フィルハーモニア管よりも本当に音が良い。録音状態がいいんですよね。でもこれは、実はナチス・ドイツの遺産であるということを理解しているカラヤン批判はどれだけあるでしょうか。
確かに、素晴らしいと思います。でも、技術史を紐解けば、ナチス・ドイツの広報宣伝活動に行きつきます・・・・・ドイツのオケは、レコードを出すうえでそれを受け入れないといけないですし、その技術の高さそのものは誇りになっているわけです。ですから、音作りに際しても、民主的プロセスを「入れざるを得なかった」とも言えるかもしれません。
カラヤンの音作りには、こういう歴史が深くかかわっている可能性があり、ですから私は不用意にはカラヤンを批判しません。確かに抑圧的な部分があったように記述が散見されますが、それが毎回だったのか・・・・・それは現場を見ていない私たちには計りかねます。ですから私はカラヤンの「演奏」だけ批判をします。私たちにはそこまでしか許させていないように思うんです。
カラヤンが帝王ぶったことは事実ですが、その振る舞いにはどんな裏があるのか・・・・・・私はこの演奏もさることながら、1950年代〜60年代の録音を聴きますと、思うんですね。この演奏はヨッフムが無言で「もっといろいろ考えてみた方が良いですよ」と言われているような気がしてなりません。
聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
オイゲン・ヨッフム指揮
バイエルン放送交響楽団(運命)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(田園)
(Deutsche Gramophon 474 021-2)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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