神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から5回にわたりまして、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏全集を採り上げたいと思います。
以前、ショスタコーヴィチの室内交響曲を取り上げたエントリで、こう語っているかと思います。
「まさかです、この音源がさらにショスタコの室内楽へと誘うなんて、借りる時には予想だにしていませんでした・・・・・」
なぜかは、そのエントリですぐこう語っています。
「さて、楽曲の紹介に移りましょう。2枚組の第1集を今回取り上げますが、弦楽器と木管楽器のための交響曲ヘ長調作品73aと室内交響曲ニ長調作品83aが収録されています。あれ、アルファベット小文字があるんですかという突っ込みをされたあなたは敏感です。そこにこの作品の特徴が集約されているのです。
じつは、二つの作品とも編曲もので、作品73aが弦楽四重奏曲第3番、そして作品83aが弦楽四重奏曲第4番が原曲となっており、ともにルドルフ・バルシャイによる編曲なのです。」
神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 室内交響曲集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1229
そして、上記エントリで、さらにこう語っています。
「私は即『原曲が聴きたい!』と思ったものです。それは先程も触れましたが、すでに全曲を借りてリッピングしてあるということで実現したのですが、そのきっかけになったのが間違いなくこの室内交響曲だったのです。」
そのリッピングしてあるというのが、今回から5回にわたって紹介する音源なのです。演奏はエマーソン四重奏団。
エマーソン弦楽四重奏団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E5%9B%A3
幾分力強さに欠けてもいいのではと思います。少なくとも、このショスタコーヴィチの全集では、それほど不満を感じません。むしろ、私は力強いものも感じました。
この全集、番号順に収録されており、今回の第1集には第1番〜第3番が収録されています。で、第1番と言えば、このブログではすでに2度登場しています。一度目はダスビの第19回定期演奏会のコンサート評、そして二度目が室内交響曲を取り上げた時です。
コンサート雑感:オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/930
神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 室内交響曲集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1232
ともに、オケ編曲だったわけですが、オリジナルの弦楽四重奏を聴きますと、実に生き生きとしており、生命力に満ちあふれています。その意味では、やはりバルシャイ版である室内交響曲のほうが、オリジナルの雰囲気は充分伝えていると言えるでしょう。
弦楽四重奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)
ベートーヴェンにも負けない数を作曲したショスタコーヴィチですが、弦楽四重奏曲を手がけたのはベートーヴェンとは異なり遅くなってからです。しかし、作曲するときにベートーヴェンが念頭にあったことは想像に難くないと思います。なぜなら、ベートーヴェンも私的な想いを弦楽四重奏曲に込めていたわけで、交響曲第4番〜第5番にかけての事態で傷ついた自らの心をいやすためには、やはりベートーヴェンのように弦楽四重奏曲が必要であるとの想いに至ったであろうと考えられるからです。
ウィキにもあるように、弦楽四重奏曲は基本、サロンで演奏されるものですから、どうしても私的な部分がある訳です。だからこそ、あっかんべーしなくても、自らの言いたいことをそこに込めることが出来るメリットがある訳です。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の中においても、さらに当時作曲していた交響曲と比べても、明るさが見え隠れするのが第1番の特徴かと思います。しかしそれは、ショスタコーヴィチのピエロの部分であって、実際にはかなり傷ついていたのだなあといくことが、第4楽章のいきなり春が来るような部分に見え隠れするように思います。
第2番は戦争が終わる前年の1944年に作曲されており、どうしても戦争の影響から逃れられない作品です。
弦楽四重奏曲第2番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)
交響曲第8番が叫びだとすれば、この弦楽四重奏曲第2番はむしろ、心の不安をストレートに出したものと言えるでしょう。ショスタコーヴィチにとって、作曲とは自らの心の内をアウトプットすることで、対話することであったと言えるでしょう。その典型的な作品だと思います。
最後の第3番は、室内交響曲を取り上げた時にすでに取り上げています。重複しますがもう一度URLを挙げておきましょう。
神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 室内交響曲集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1229
作曲は1946年と戦後になっていますが、すでに新たな不安を抱えていることが分かる作品です。元々は各楽章に標題が付いており、それは新たな不安を想起させるものでしたが、最終的にはそれだけではなく、その中で生きることをテーマとすることにしたようです。ブックレットによれば、研究者の中には、ユダヤの結婚式の音楽を各楽章になぞらえたとする説を唱える人がいるとのことです。
実は、第3番は5楽章あるのです。いきなりですかーと思うところです。ベートーヴェンは4楽章制を崩すまで、幾分か時間をかけましたが、ショスタコは第3番でいきなりやって見せたのです。
こういった時のショスタコは、何らかのメッセージを込めていることもあるので要注意だと思っています。ユダヤ人は旧ソ連の歴史上、抑圧されてきたと言えましょう。ショスタコーヴィチは1940年にユダヤの民族音楽の包括的研究の出版を後援しており、そのことで後年迫害を受けることとなってしまうのです・・・・・
国家からの抑圧を受けた人生を送ったショスタコらしい作品だと思います。それにしても、初めにこの曲を聴いた時には、「おお〜、室内交響曲で聞いた旋律だー」と、喜びを隠せずにいたものです。
エマーソンのこの音源は、実はライヴ録音です。アスペン音楽祭におけるコンサートをそのまま録音したものだからです。彼らはそのブックレットで、聴衆も重要な役割を担うとして、ライヴ録音がいいと結論付けています。映画音楽やオペラもライフワークとしたショスタコの作品を演奏するにふさわしいスタンスかも知れません。
実際、ライヴということは取り直しがきかないということですから、まさに一期一会の世界。それは演奏側には適度の緊張感をもたらします。しかも、感情面の起伏も当然スタジオとは異なりますから、私としてはエマーソンの説明はこの演奏に置いてはウィキのものは幾分的確さに欠けると思っています。第1番第4楽章のユニゾンの力強さは、室内交響曲を演奏したミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団に決して引けを取るものではありません。
しかも、第2番と第3番に置いては、知的な部分が「情熱と冷静さの間」のバランスを絶妙に取っており、なおかつ、ショスタコの個人的心象を見事に浮き上がらせるごとく、寂しさや哀しさを十二分に表現していると思います。エマーソンのこの演奏は、実に味わい深いものに溢れています。
聴いている音源
ドミトリー・ドミトリーエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49
弦楽四重奏曲第2番イ長調作品68
弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73
エマーソン弦楽四重奏団
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
このブログは「にほんブログ村」に参加しています。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村