かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲全集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、エマーソンQのショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集を取り上げていますが、今回はその第2集を取り上げます。

番号順に収録されているこの全集は、まさしくショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲の「歴史」を辿る旅となっているわけですが、この第2集では第4番から第6番までが収録されています。

この3つの作品は、ショスタコが人生二度目の苦難に直面した時代に作曲されています。正確には、第4番がジダーノフ批判の時期、第5番がその直後、第3番がスターリンの死後「雪解け」の時期となります。

ウィキを参照してもいいのですが、この3つの作品には、ショスタコーヴィチの「ユダヤ人への共感」があると、ブックレットには載っています。そもそも、旧ソ連ではコスモポリタンであるユダヤ人は、非民族主義的だとして迫害されていました(あれ、今の日本そっくりですねえ)。

社会主義国でそんなことが行なわれていたのかと思う方もいらっしゃるかと思いますが、旧ソ連でもそういうことは行われていたのです。ショスタコが自らへの迫害を、同じ迫害を受けているユダヤ人への共感という形で、表現しているのが第4番だと言えます。

そもそも、ショスタコはそれ以前から、ユダヤ人への共感を持ち、味方となっていました。その点も当局に眼を付けられていたのかもしれませんが、「ショスタコーヴィチの証言」では、あからさまにユダヤ音楽への共感を表明しています。

「(ユダヤの音楽は)多面的で悲しいときも幸福そうに聞こえる。いつも泣き笑いなのだ。こういった性格は音楽がどういうものであるべきかという私の理想に近い。また、音楽にはふたつの層があるべきだ。ユダヤ人は長い間苦しんできたので、絶望を隠すすべを学んだのだ。彼らは絶望をダンス・ミュージックに表現した。(「ショスタコーヴィチの証言」より)」

それは、伝統的な西洋音楽を学んだショスタコーヴィチにとって、一つの啓示となったことでしょう。それは、バッハが受難曲などで表現した方法と同じだからです。受難曲ではユダヤ人は一方で悪者のように扱われていますが、だからと言って西洋でユダヤ人が常に悪者とされてきたわけではありませんし、所謂「シオニスト」の意見を聞いてばかりですと、ヨーロッパにおけるユダヤ人の位置というものを、見失う恐れがあります。

この第4番はかつて、室内交響曲を取り上げた時にもご紹介しておりますが、ショスタコーヴィチの屈折が如実に表れている作品でもあります。其れと共に、ユダヤ的なものも見え隠れする作品で、室内交響曲になるとさらにそれは顕著だと思います。原曲のこの弦楽四重奏でも、まるでオケと見まごうようなドラマがあります。多少力強さには欠けると言われる、エマーソンの演奏でもそれは顕著です。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 室内交響曲集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1229

ユダヤ人も、バッハ同様の表現をもっているということこそ、重要だと思います。それがユダヤ人がたとえ国家を失っても、コスモポリタンとして民族の血を維持しえた一つの理由だろうと思うからです。エマーソンは特にリズムという点においては、丁寧にかつしっかりとした演奏をしています。

第5番は3楽章からなっている点が従来の弦楽四重奏曲とは異なりますが、さらにはそれが連続して演奏されるという点においても、特徴的だと思います。この作品はその時期のユダヤへの共感のみならず、その楽章構成からベートーヴェンへのリスペクトが私には見え隠れします。

弦楽四重奏曲第5番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

第6番は雪解けの時期に作曲されたのですが、かといって明るさが支配しているのかと言えばそうでもなくて、所々に暗さもある作品です。まだ恐る恐るという感じが受け取れます。エマーソンQの演奏だからこそ、その「恐れ」というものが、際だっているように思います。

ショスタコ弦楽四重奏曲は、生涯において中盤から作曲され始めたジャンルだけあって、この第6番あたりですでにショスタコワールドとも言うべきものが全開ですが、エマーソンはそれを時に力強く、時に丁寧に演奏しています。そのコントラストが、実にショスタコーヴィチの内面をえぐるように思います。ドグマを全開にする交響曲と異なり、ひたすら内面との対話に終始する弦楽四重奏曲は、ショスタコーヴィチが気の置けない仲間に対するメッセージのように思います。

エマーソンというグループが、弦楽四重奏団という小グループであり、畢竟息遣いなどを大切にする演奏家集団であることを考慮すれば、まさしくショスタコーヴィチという作曲家の作品は、彼らにとって演奏すべき作品であったと言えましょう。その通り、彼らはブックレットの中でこう述べています。

「我々は何年もの間ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲を演奏してきた。」

なかなか、日本の団体でこういえる四重奏団はないのではないでしょうか。特に現在の偏った社会状況を勘案すると、日本の団体がショスタコーヴィチを演奏するのは、プロでは難しかろうと思います。アマチュア弦楽四重奏団などはほとんどないですが、アマオケのスピン・オフに期待したいと思います。第4番〜第6番までの作品を演奏するようなアマチュア弦楽四重奏団が出てくるという事は、日本の音楽シーンがまた一つ成熟したことを意味するからです。

さて、そんなプロにプレッシャーをかけるアマチュア、いずるやいなや。




聴いている音源
ドミトリー・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第4番ニ長調作品83
弦楽四重奏曲第5番変ロ長調作品92
弦楽四重奏曲第6番ト長調作品101
エマーソン弦楽四重奏団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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