かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:タネーエフ・カルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集2

東京の図書館から、6回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、タネーエフ・カルテットの演奏によるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集、第2回は第3番と第4番を収録したアルバムをご紹介します。

ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲は、彼の交響曲よりは遅く作曲されています。その分、ショスタコーヴィチの音楽的特徴である「斜に構える音楽」が実現されており、演奏する側も多少の覚悟というか、共感を以て演奏する必要があるように私には思えます。

第3番と第4番は第2次世界大戦後の作曲。第3番は1946年(ちょうどタネーエフ・カルテットが結成された年)、第4番は1949年に完成。その分、音楽的には不協和音を多用しつつものびのびとした作品であるように思うのですが・・・・・第4番の初演は1953年。スターリンの死後を待ってと言われていますが、それは「森の歌」のエピソードを髣髴とさせます。

そういう「同時代性」を大切にしてか、タネーエフ・カルテットは特に弱音を可能な限り弱く、そして強い音は鋭く弾いているのが印象的で、そのコントラストがなぜか、私の魂を貫いていきます。まるでウクライナ侵攻に反対して脱出したロシア人たちの心という「未来」を見通しているかのようです。

私たちはこの侵攻において、ついウクライナの人が被害者だと考えがちです。勿論それは間違っていませんん。侵略を受けているのはウクライナですし、避難民もいて、また銃を取って戦っている人たちも必ずしも勇敢という一言だけで片付けるわけにはいきません。ウクライナという国の事情で、男性は強制的にウクライナに残り、戦争に協力する必要があるという「抑圧」を受けているからです。ですが、ロシア国内でも戦争反対の声を上げた人たちは拘束され、抑圧されています。それを見越して、若い人たちを中心にロシア国外へ脱出した人も数多くいます。その人たちも確実に犠牲者なのです。

そんな未来を、この演奏は見通していたのか?とつい思ってしまいます。しかしそんな超能力をタネーエフ・カルテットの4人が持っていたとは考えられません。それは彼らが生きた時代の祖国、「ソ連」という国で実際に起こっていたことが演奏に反映しただけだ、と言えるからです。

タネーエフ・カルテットが生きていた時代の「ソ連」とおなじことが、今のロシア、そしてウクライナで起きている、ただそれだけのことなのです。だからこそこの演奏は普遍性を持つと私は述べたのです。ロシア、そして旧ソ連の作曲家の作品が敬遠されることも現在では起きていますが、ショスタコーヴィチの作品ほど、今こそ演奏されるべき芸術だと私は断言します。そして特に弦楽四重奏曲においては、ショスタコーヴィチと同じ時代を生き、同じ空気を吸っていたタネーエフ・カルテットの演奏はメディアでもっと取り上げられてもいいのではないでしょうか。

そして、コンサートでも、もっとショスタコーヴィチの作品が演奏されるべき時代が来たと言えるでしょう。ショスタコーヴィチが受けた「抑圧」というテーマがどこかには存在する作品が多いのが、交響曲或いは弦楽四重奏曲だと言えるでしょう。戦争は交戦国同士で必ず「抑圧」を生みます。だからこそ、ショスタコーヴィチの作品は今こそ、その魂がベールを脱ぐ、と言っても過言ではないでしょう。

このタネーエフ・カルテットの演奏は、そうしたショスタコーヴィチの作品が持つ「抑圧」というテーマを、実に繊細かつダイナミックに表現していると言えます。だからこそ、テーマが私の魂を貫いていくのだと思います。

 


聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73
弦楽四重奏曲第4番ニ長調作品83
タネ―エフ・カルテット
 ウラジーミル・オフチャレク(第1ヴァイオリン)
 グリゴリー・ルーツキー(第2ヴァイオリン)
 ヴィッサリオン・ソロヴィヨフ(ヴィオラ
 ヨシフ・レヴィンソン(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。