かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:タネーエフ・カルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集1

東京の図書館から、今回から6回シリーズで、タネーエフ・カルテットの演奏によるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集を取り上げます。

タネーエフ・カルテット(タネーエフ四重奏団)は、1946年設立の旧ソ連弦楽四重奏団です。ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第15番を初演したことでも有名なカルテットです。

その第15番がかかれたのが1974年3月。この全集に収録された演奏が同年12月。わずか9か月なんです。それはつまり、タネーエフ・カルテットがショスタコーヴィチと同じ時代を生きた人たちであり、ショスタコーヴィチの芸術に深い共感を持っていたことを示すのです。

この全集を借りましたのは、そういった「同時代性」の演奏がどういったものなのかを実感したくて、です。CDとしては名盤の一つに数えられます。

www.hmv.co.jp

ソ連崩壊後、引き継いだ国であるロシアが、ソ連同様に同国人を抑圧をしているにも関わらず「ロシア人の抑圧を救う」という目的で他国に攻め入るという事態になっている現在、このタネーエフ・カルテットが演奏するショスタコーヴィチは必ず普遍性を持つだろうと思います。借りたときにはそんなことまで考えずに借りたのですが・・・・・

今回の第1回では、第1番と第2番が収録されているアルバムをご紹介します。第1番は私にとっては非常に思い出深い曲です。以前、神奈川県立図書館のライブラリである、エマーソン弦楽四重奏団の演奏を取り上げたシリーズがありましたが、そのシリーズを借りたときにちょうど巡り合ったのが、オーケストラ・ダスビダーニャの第19回定期演奏会。この時、アンコール曲を聞いてまさか!と思ったのです。その時のアンコール曲が、弦楽四重奏曲第1番第4楽章だったからです。

当時の団長である白川氏の、素晴らしい編曲はまるで最初からオーケストラ曲であったかのようでしたが、まぎれもなく弦楽四重奏が原曲です。タネーエフ・カルテットの演奏はまさに「春が来た」かのような生命力にあふれ、そもそもはショスタコーヴィチが斜に構えるような作曲家ではなかったことを明確に示しています。

第2番の演奏は、じっくりと作品がもつ内面を抉り出すかのように、一音一音をかみしめつつ進行していきます。第1番はプラウダ批判の最中、第2番は第2次世界大戦中と、決して順風満帆の時期に書かれた作品ではありませんが、しかしショスタコーヴィチの内面はベートーヴェン同様、弦楽四重奏曲に現れると言わんかのような、情熱的かつ生命力あふれる演奏は、私の魂をズバン!と射抜いて行きます。

ロシアのウクライナ侵攻で、ロシア人が批判の対象になることが多いのですが、しかしロシア国内でもデモが起きているように、決して国民全員が支持してはじめられたものではありません。むしろプーチン周辺だけで決断されてはじめられたものと考えるべきものです。実際、逃げ出しているロシア人たちも多く、逃げ出した先で反対の声を上げているロシア人たちも数多くいます。そんなロシア人の内面を表現しているかのような二つの弦楽四重奏曲とその演奏は、ショスタコーヴィチが経験した抑圧がいまだテーマとして存在していることを示しており、如何にこの演奏が普遍的なのかを突き付けられるのです。

 


聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49
弦楽四重奏曲第2番イ長調作品68
タネ―エフ・カルテット
 ウラジーミル・オフチャレク(第1ヴァイオリン)
 グリゴリー・ルーツキー(第2ヴァイオリン)
 ヴィッサリオン・ソロヴィヨフ(ヴィオラ
 ヨシフ・レヴィンソン(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。