かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:タネーエフ・カルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集4

東京の図書館から、6回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、タネーエフ・カルテットの演奏によるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集、第4回の今回は第8番~第10番が収録されたアルバムをご紹介します。

ショスタコーヴィチの音楽語法の一丁目一番地ともいえる、弦楽四重奏曲第8番。献呈されたのは「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」ですが、実際にはショスタコーヴィチ自身だといわれています。

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戦争中は勇ましいことも言っていたショスタコーヴィチも、実際にはPTSDではなかったのかと私が判断する作品が、この弦楽四重奏曲第8番です。心理の専門用語で「フラッシュバック」がありますが、まさにドレスデンショスタコーヴィチが体験したのはフラッシュバックだったわけなのです。典型的な例だと思います。

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ショスタコーヴィチの、特に弦楽四重奏曲が普遍性を持っていると私が判断する理由も、こういったフラッシュバックによって生み出される作品が多いことが挙げられるのです。そしてその結果生み出された作品は、今なお戦争が絶えず、しかもウクライナでは当事者同士で傷つきあっているという状況を生み出しているからこそ、普遍性を持つのです。

第9番も、最初に成立した作品を破棄し、あえて3年もかけて練り直したもの。これもフラッシュバックが影響しているだろうと私は見ます。

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2人目の妻イリーナに捧げられていることが、ショスタコーヴィチの精神がかなり病的になっている証拠でもあるだろうと判断するのです。幼少期の記憶がどのようなフラッシュバックをショスタコーヴィチに与えたのかまではわかりませんが、少なくとも苦しい状態に追い込まれ、作品を破棄せねばならなくなったショスタコーヴィチを救ったのが、イリーナであることは間違いないでしょう。だからこそ彼女に捧げたとすれば、腑に落ちます。

第10番はそのあとを受けた、ある意味すっきりした作品。苦しい作品が2つ続くと、こういったすっきりした作品を書いているような気がします。

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そんな経緯を、同時代を生きたタネーエフ・カルテットだからこそ、真正面から受け止めて表現しているように聴こえるのです。魂の叫び、あるいは嘆きである第8番。苦しみの中から得た喜びであるかのような第9番。そして安らぎに満ちた第10番・・・・・それはショスタコーヴィチがたどった精神の「旅路」であるという解釈の様に思われ、私も同意見です。

決して、この3曲の初演を務めたのは演奏しているタネーエフ・カルテットではありません。しかし同時代人であるからこそ、ショスタコーヴィチに限らず、多くの抑圧される人を見てきたタネーエフ・カルテットだからこその共感なんだと思います。そしてその想いは、収録しているホールにも現れています。レニングラードグリンカ・ホール・・・・・それは、第8番をベートーベン四重奏団が初演した地なのです。タネーエフ・カルテットの「想い」がそこにも込められています。

タネーエフ・カルテットがまるで恐山のイタコのように思えるのは私だけなのでしょうか・・・・・

 


聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィチ作曲
弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110
弦楽四重奏曲第9番変ホ長調作品117
弦楽四重奏曲第10番変イ長調作品118
タネ―エフ・カルテット
 ウラジーミル・オフチャレク(第1ヴァイオリン)
 グリゴリー・ルーツキー(第2ヴァイオリン)
 ヴィッサリオン・ソロヴィヨフ(ヴィオラ
 ヨシフ・レヴィンソン(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。