かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:サン=ジョルジュ ヴァイオリン協奏曲集

今月のお買いもの、平成27年5月に購入したものをご紹介しています。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスから出ているサン=ジョルジュのヴァイオリン協奏曲集をご紹介します。

ナクソスは埋もれた作曲家の発掘にも力を入れているレーベルですが、このアルバムはまさに、そのナクソスらしいアルバムだと言えるでしょう。

サン=ジョルジュと聴いて、ピン!ときた方は少ないと思います。私も、このアルバムを買って初めて知ったのです。

ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5

かなり長ったらしい名前なのですが、貴族ではなく、むしろ奴隷の子供であったという点が、この作曲家が埋もれて行った原因となってしまっていたようです。ゴセックなど当時の一流の作曲家に師事しているにも関わらす、です。ウィキの写真を見ても明らかなように、実は白人と黒人の混血なのです。

18世紀フランスにおいて、それはなかなか受け入れられるものとは言えなかったでしょう。そのために、父親はかなりの習い事をさせたようで、フェンシングもやっていたとのことです。そのため、ナクソスの帯には「サーベルをヴァイオリンに持ち替えて」とあるのです。

とにかく、貴族らしくと育てたのですが、皮肉なことに、世の中はフランス革命へと突き進みます。そして、王室と関係があったことから投獄されたことで、埋もれて行ったと言えるでしょう。

しかしです、このアルバムに収録された3曲を聴きますと、実に古典派的で、何の遜色もありません。元々ヴァイオリン奏者だったというサン=ジョルジュのこれらの協奏曲は、ヴァイオリンが歌い、踊り、華麗でかつ上品な作品となっています。

世が世であるならば、リベラルに生きることが出来たでしょうが、18世紀フランスにおいて音楽家として生きるには、王室との繋がりは大事であったと言えるでしょう。しかも、混血で差別や抑圧をはねのけるためには、絶対的に必要な庇護であったとも言えます。

その意味では、生まれるのが早すぎた人なのだろうなあと思います。19世紀、或は20世紀であれば・・・・・つい、そう考えてしまいます。

黒いモーツァルトという異名を取りましたが、確かに、モーツァルトの若いころの、前古典派的な音楽がそこにはあります。ただ、王室の庇護にあったからこそ、作風は少なくともこのアルバムに置いては保守的であると言えるでしょう。しかし、軽快さ、爽快さはモーツァルトに決して引けを取りません。

こういう作品を演奏するソリストが、日本人であるというのは、誇らしいことであると思います。私達日本人はつい、同朋が有名作曲家の作品を演奏することに栄達を求め、誇りを感じることが多いのですが(勿論、それは私にとっても誇らしいのですが)、生きた当時、肌の色が異なると言うだけで、差別を受けた作曲家の作品を、黄色人種である私達日本人が演奏するということは、誠に運命のめぐり合わせというほかはありません。

そのソリストは、西崎崇子。実はナクソスではおなじみのソリストで、ヴァイオリン協奏曲となるとある時期西崎女史ばかりという事もあったくらいお馴染みです。

西崎崇子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B4%8E%E5%B4%87%E5%AD%90

まあ、ナクソス創業者の妻であれば、露出は当然と言えるかもしれませんが、かといって西崎女史ばかりを使っているわけではないところが、ナクソスというレーベルの素晴らしいところでもあります。そう言った中で、有色人種の作品のソリスト、しかも、作品としてしっかりとしたものであるこの3つのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるというのは、やはりそのステディな技術と、表現力、そして何よりも「日本人」という部分が大きいのではないかと思います。

日本人も、明治以降、世界へ出ていくときに、特にヨーロッパにおいて差別を受けないということはなかったのです。それは、サン=ジョルジュが辿った人生と重なります。明治維新から昭和20年の敗戦に至るその歴史は、まさにサン=ジョルジュが辿った人生そっくりです。

そういった私たちが持つ歴史は、決してポジティヴなものばかりではありませんが、だからこそ、サン=ジョルジュのような、差別を受けたり、或は抑圧されたりした作曲家の作品に、共感と理解をして演奏することが出来るように思います。時にむせび泣き、時に笑い、時に楽しみ、時に哀しむ・・・・・この3つのヴァイオリン協奏曲には詰まっており、しっかりとした表現力でいかんなく作品が持つその魅力を引きだしている西崎女史の演奏は、ケルン室内という素晴らしいオケのサポートも得て、古典派らしい形式美を、私達につたえてくれます。




聴いているCD
ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ作曲
ヴァイオリン協奏曲ハ長調作品5-1
ヴァイオリン協奏曲イ長調作品5-2
ヴァイオリン協奏曲ト長調作品8
西崎崇子(ヴァイオリン)
ヘルムート・ミュラー=ブリュール指揮
ケルン室内管弦楽団
(Naxos 8.555040)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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