かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リスト 交響詩全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、リストの交響詩全集を特集しておりますが、今回はその第4集を取り上げます。

ブリリアント・クラシックスが元音源であるこの全集は、取りあえず交響詩はこの第4集ですべて紹介し終えるという形になります。その第4集に収録されているのは、「フン族の戦争」、「理想」、「ゆりかごから墓場まで」の3曲です。

フン族の戦争」は、以前このブログでも取り上げています。

マイ・コレクション:バトル・ミュージック
http://yaplog.jp/yk6974/archive/591

その4曲目が「フン族の戦争」です。上記エントリで紹介したナクソスの演奏はチェコのオケですが、このブリリアントのものはハンガリーのオケです。さて、どちらがよかったかと言えば・・・・・

実は、ナクソスチェコのオケだったのです。

なぜだろうと考える時、やはり、この作品がどういうものであるかを見てみるのがいいように思います。

フン族の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

元々、ハンガリーの国名の語源を辿れば、「フン族の国」という意味なのですが、となると、じつは作品の元となった壁画とかい離が生じてしまうのですね。つまり、フン族は異教徒、ヨーロッパはクリシチャンという構図から・・・・・

リストが生きた時代のハンガリーは、ハンガリー王国としてキリスト教国となっていました。その上、オーストリアの抑圧から独立しようと言う機運が高まっていた時代です。リストがこの壁画の何処に感激し、共感して作品を書こうと思ったのかまではネットではなかなか拾えませんが、作品のテクストを辿れば、推測できるのは他国からの侵略をはねのけるという部分になるかと思います。

そうすると、この作品を単なる「フン族の国」の戦争と考えてしまうと、無理があるように思います。むしろ、「フン族との戦争」と考えるほうが、曲想とマッチするように思います。

となると、「フン族の国」であるハンガリー人としては、自国が悪者という、この曲の一つの側面を、どう解釈して演奏するのかがポイントになります。19世紀ナショナリズムの結果であるハンガリ共和国の国民であるブタペスト交響楽団員が、この曲をどうとらえるのか、そして指揮者もまた、どうとらえるかが重要になります。

リストは、おそらく、ハンガリーを祖国と思っていましたから、ハンガリーを悪者として描こうとしたわけではなかったと思われます。あくまでも、リスト自身がキリスト教徒であることから、キリスト教国の一角としてのハンガリーを想定して作曲していると考えることが出来るでしょう。となると、ハンガリーの少し複雑な、4〜10世紀にかけての600年間を、どう考えるかがとても大切になります。

このアルバムの演奏は、「闘い」という部分にフォーカスしすぎていて、歴史のドラマという部分が抜け落ちているように思います。その点、チェコは相対化できるメリットがあります。20世紀にはチェコハンガリー民主化ソ連に妨害された歴史を持ちますが、かといってこの作品に関しては、さらにハンガリーの「改宗」という歴史を理解しないと、難しいと思うのです。そこの差が、出てしまったかなと思います。

2曲目の「理想」は、1857年にシラーの詩をもとに作曲された作品です。

理想 (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E6%83%B3_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

シラーの詩に音楽を付けたと言えば、リストが生きた時代で有名なのはやはり、ベートーヴェンです。特に、交響曲第9番がそうでしょう。実は、リストは第九をピアノ作品として編曲しており、しかも独奏と連弾と2ヴァージョンあるのです。

BISがワーグナー版を小川典子で出すまでは、ベートーヴェン「第九」のピアノ編曲と言えば、そのリストのものを指しました。ベートーヴェンの影響を受けているリストらしいと言えるでしょうが、リスト自身もシラーの詩に感銘を受けて作曲したという事になります。

カットが多いとの解説ですが、おそらくこの演奏では殆どカットが行われていないように思われます。リストという作曲家の「リベラリスト」の部分がよく表れている作品です。以下のサイトが理解するにはいいかもしれません。

交響詩第12番 「理想」 Die Ideale
http://classic007.web.fc2.com/list/works_sym/sy_12.html

同じように人生を扱った作品となれば、有名なのが3曲目で、リストの交響詩としては最後の作品となる、「ゆりかごから墓場まで」です。

ゆりかごから墓場まで (リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%94%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A2%93%E5%A0%B4%E3%81%BE%E3%81%A7_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

リストの交響詩は、まとまった時期に書かれていますが、この作品だけは晩年の1882年に書かれています。リストはどちらかと言えば前期ロマン派の人ですが、この作品を作曲した時期は後期ロマン派の時代に突入し、国民楽派という、19世紀ナショナリズムの結果生み出されたジャンルが勃興した時代です。そんな中、前期ロマン派のような作品をリストは書いたのです。

3番目の交響詩前奏曲」と似たテーマであり、人の生と死を扱った作品です。前奏曲と異なるのは、交響詩は本来交響曲のように楽章制など形式にとらわれないために1楽章であったものを、3つの楽章に仕上げた点です。これはリストがそもそも交響詩を楽章に囚われないモノとして考えていた証拠であるとも言えるのですが、もっと言えば、交響詩としては最も有名で、巨大な作品であるスメタナの連作交響詩「わが祖国」も念頭にあったのではないかと私は考えます。

わが祖国 (スメタナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%A5%96%E5%9B%BD_%28%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%8A%29

スメタナがリストの影響を受けたからと言って、リストもスメタナに影響を受けたと即断するわけにはいかないのですが、当時のヨーロッパは鉄道の開通や電信の発達によって、急速に狭くなっていました。20世紀においてインターネットが勃興した時と同じ状況が、当時もあったわけです。そんな中で、健常者(聴覚障害者となったスメタナと対比して)であったリストが、スメタナが連作交響詩を作曲し、初演しているという情報を、知らないわけはなかったことでしょう。であれば、触発されたと考えるのは特段不自然ではありません(ただ、断言はできません)。

我が祖国の6つ連続しての初演と、ゆりかごから墓場までの初演が同じ年というのは、偶然なのでしょうか。このあたりは、リストの作品の正確な日時が知りたいところです。このあたりは、もう少し追いかけていきたいと思います。

こう見てみると、リストの交響詩というのは、音楽史において特筆すべき作品群であると同時に、リストという人が持っていた、ナショナリズムリベラリズムが、振り子のように働いて作曲されていたと言えるでしょう。オケはそのたびに、ナショナリズムでは苦労し、リベラリズムではのびのびと演奏しているように思います。それはもしかすると、やはりナショナリズムに巻き込まれ、リベラリズムがうまく広まらなかった、ハンガリーという国の歴史を反映してしまっているのかもしれません。

となると、本来このリストの交響詩をきちんと演奏できる国は、日本であるという事になるのですが、果たして、選挙結果はそうなのでしょうか・・・・・

いま一度、ナショナリズムの「酔い」に浸っている私たちは、考える必要がありそうです。




聴いている音源
フランツ・リスト作曲
交響詩フン族の戦い」
交響詩「理想」
交響詩ゆりかごから墓場まで
アルパド・ヨー指揮
ブダペスト交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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