かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シュポア 交響曲第7番・第9番

今月のお買いもの、平成27年5月に購入したものをご紹介しております。今回は銀座山野楽器にて購入しました、シュポア交響曲第7番と第9番のアルバムをご紹介します。

シュポアは、このブログでも最近取り上げましたが、その時追いかけていきたいと言及した作曲家です。今月はそれが実現できたという事になります。

それにしても、交響曲だけでも9曲作曲しており、協奏曲に至っては本当にたくさんの作品を作曲しているにもかかわらず、あまり録音が多くないというのはとてもさみしい点です。その9つの交響曲も、いまだに全集が存在しないという・・・・・

そして、その全集を目指しているのが、今回買い求めましたレーベルである、cpo。それでも、天下の山野楽器本店ですら、シュポア交響曲がそろっているなんてことは稀です・・・・・

つまり、この一枚は本当に奇跡の一枚だと言えるでしょう。

さて、まず1曲目は交響曲第7番ですが、ウィキによると「人生の世俗と神聖」という題名が付いているそうです。確かにそうであるようで、CDにもドイツ語でそうついています。しかし、だからと言って大下座というか、ベートーヴェンのように重厚で荘厳な音楽家と言えば、そうでもありません。むしろ、聴きやすい音楽だと思います。

だからなのでしょうか、シュポアの作品が録音されないのは・・・・・しかし、音楽はつまらないのかと言えばそんなことはなく、陰影がしっかりとついており、人生の山坂を平易に表現したものといえそうです。

そもそも、第7番の主調はハ長調ですし、聖なる調を持ってきているのですね。その上で、第2楽章に置いてはヴァイオリンソロもあり、ヴァイオリニストであったシュポアらしい作品だと言えるでしょう。その上で、3楽章制なのです。

作曲年代は、1841年。前期ロマン派です。4楽章制の上で楽想を練るのが普通であった時代に、あえて古典的な3楽章制を持ってくる・・・・・

人生の世俗と神聖などという、きわめて哲学的な題名を持ってきているうえで、3楽章制となると、この作品が持つ意味ががらりと変わります。つまり、人間の抑圧からの解放を意味すると解せるでしょう。なぜなら、3楽章制はフランスバロックにおいて成立した楽章数だからです。前古典派もそれを踏襲しましたが、シュターミッツによって4楽章が定着することとなるのです。

それを、破る・・・・・楽聖ベートーヴェンですらやらなかったことを(恐らく、ベートーヴェンアンシャン・レジームだからでしょう)、シュポアはやっているという事に、先進性を感じるのです。後の、新古典主義音楽の・・・・・

これだけでも、シュポアのイメージは、変ることでしょう。実際、この時期シュポアクリスティアン・バッハの研究を行っています。

次の交響曲第9番は、シュポア最後の交響曲ですが、「四季」という題名が付いていて、4楽章制を取っています。しかし、実際には冬と春が第1部、夏と秋が第2部となっており、後のサン=サーンスの「オルガン付」を想起させる構成です。いや、この季節の並べ方は、ハイドンの「四季」をも想起させます・・・・・

その意味では、古典的でありながら、次代をも想起させる作品となっています。作曲は1849年であり、音楽はたしかにその年代のものが鳴っていますが、構成は必ずしもその時代だとは思えないほどの、様々なものが詰まっています。

音楽は平易ですが、じつは深いものがある・・・・・確かに、万人受けはしにくい作品かなあと思います。こういった作品は、玄人受けするんですよねえ。実際、初演ではシューマン夫妻が聴きに来ていて評価していますが、それ以降はさっぱりという・・・・・

シュポアは損しているなあと思います。すでにベートーヴェン楽聖としてあがめられ始めていて、なおかつ魅力的な交響曲を書く作曲家も多数出始めていたその時代に、気品があり、学究的な作品を発表するというのは、一見すれば時代に逆行することであるからです。しかし、それは後期ロマン派の時代になって、サン=サーンスを媒介して、新古典主義音楽へと受け継がれていったとすれば・・・・・

シュポア音楽史において、果たした役割は決して小さくないと言えるでしょう。シュポアは指揮者としても活躍した人ですが、だからこそ、様々な作品に触れる機会があったとも言えるでしょう。

最後の作品は、「マリエンバッドの想い出」という管弦楽のための作品で、1833年に作曲された作品ですが、これもまるでモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のような作品です。「小オーケストラのためのワルツ」という副題が付いていますが、つまりは室内オケ、当時でいえば弦楽合奏を念頭に置いた作品だと言えるでしょう(それでも、木管楽器はついていますが)。前期ロマン派において、こういった作品があったのかと、目からうろこです。

しかし、考えてみれば、チャイコフスキーも同じように作曲をしており、むしろチャイコフスキーシュポアに影響を受けて、様々な作品を作曲したとも言えるのかもしれません。音楽史ではなかなかチャイコフスキーシュポアに影響を受けてなどとは、教えないですが・・・・・

ピョートル・チャイコフスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

ペテルブルク音楽院はロシアにおいては、保守的な音楽を主に教える学校としての位置にあります。つまり、シュポアのような古典回帰的な作曲家の作品を教えてもまったく不思議はないわけです。チャイコフスキーが入学時、シュポアの作品に親しんだ可能性は、かなり高いと言えるでしょう。

オケはNDRハノーヴァー放送フィルハーモニー管弦楽団。ドイツの放送オケはどこも実力揃いですが、この演奏でもステディな演奏を聴かせてくれます。指揮者のグリフィスも、シュポアの知的な側面を引き出すために、オケのそのステディな面を前面に押し出し、余計な抑揚などはつけていません。所謂端正な演奏ですが、それがまたいいのですよね〜。

つまり、シュポアという作曲家のこの3つの作品は、音楽を素直に楽しむためにある・・・・・そんなことを教えたいがためなのかと思います。余計なことをせず自然体で音楽を「奏でる」と、不思議と自然に作品の魅力が滲み出てくる・・・・・そんな演奏はたくさんありますが、これもそのうちの一つであり、しかも何度繰り返しても飽きが来ません。

グリフィスが、素晴らしいオケをしっかりと鳴らすことによって、一見すると他愛もない作品が、じつは喜びに満ちあふれている作品であると分かるこの幸せは、何者にも変えられない宝物を、私達聴衆にもたらすことでしょう。




聴いているCD
ルートヴィヒ・シュポア作曲
交響曲第7番ハ長調作品121「人生の世俗と神聖」
交響曲第9番ロ短調作品143「四季」
小オーケストラのためのワルツ「マリエンバッドの思い出」作品89
ハワード・グリフィス指揮
NDRハノーヴァー放送フィルハーモニー管弦楽団
(cpo 777 746-2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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