かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:アントン・ルビンシテイン 交響曲第5番他

今月のお買いもの、今回から平成27年3月に購入したものをご紹介します。まず1枚目は、ディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスのルビンシテイン作品のアルバムです。

ルビンシテインと言えば、皆さまはいったい何を思い浮かべますか?チャイコフスキーの師匠?

確かに、そう思ってしまうのも無理もありません。ロシア五人組よりも前にロシア楽壇において有名であった実力作曲家であったにもかかわらず、その作風がその後抹殺とも言うべき事態に至ってしまったのですから。

アントン・ルビンシテイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3

でも、音楽史の中でかなり有名であるにも拘らず、なぜ音楽はそれほど有名ではないのか、不思議に思ったことはありませんか?実はこのブログでも何度かロシア楽壇の対立構造は述べてきていますが、それが「西洋音楽」、つまりクラシックの伝統に基本立脚する楽派と、民族色が強い国民楽派の流れを汲む楽派の対立です。

そしてそれは、作曲としては、国民楽派という、ナショナリストが勝利していくことになります。私たちが普段ロシア音楽として聴いている作品の殆どは、ナショナリズムの強い作品だと言えます。かろうじてそこから抜け出るのが、このルビンシテインの弟子である、チャイコフスキーであると言えましょう(そのチャイコフスキーも実はとてもロシア的な音楽を書きますし、また愛国者として作曲した「1812年」は有名です)。

ルビンシテインは、愚直に自分のスタンスである「西洋音楽的」を崩しませんでした。それ故、彼は後の時代にロシア楽壇から作品ごと抹殺される憂き目にあいます。

しかし、祖国ロシアの人たちを中心にして、ルビンシテインの作品の再評価が、今始まっています。このアルバムはそういった流れにそったものです。

第1曲目はアルバムのタイトルにもなっている交響曲第5番「ロシア風」です。1880年に作曲されたこの作品は、ロシアを題材にした愛国者としての作品です。音楽はたしかに西洋的ですが、少なくとも第1楽章はロシアの旋律を使うなど、実にロシアの作曲家としての色となっています。

それはもしかすると、当時勃興していた民族主義に迎合したのかもしれませんが、かといってルビンシテイン自身のスタイルが変わったわけではありません。がっちりとした4楽章形式に、ソナタ形式を備えた西洋音楽そのものの作品は、後のチャイコフスキーを彷彿とさせます。

第2曲目の「ドミートリ―・ドンスコイ」序曲はなんでルビンシテインが排除されなくてはならないのかと聴くこちらが訝しるほどロシア色が濃い音楽です。題材も古いロシア指導者に依っていますし。ただ、この指導者の晩年が問題にはなったのだろうなあとは思います。

ドミートリー・ドンスコイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%A4

第3曲目の音画「ファウスト」は、「ゲーテによる音楽の肖像画」とも呼ばれる作品で、1869年の作曲です。まるでリストの交響詩のようなその音楽は、それでも所々にロシア的な旋律や雰囲気を持っており、同時代の作曲家達の作品よりも完成度は高いと言えましょう。

この3曲を聴いたかぎりにおいては、ルビンシテインが決して凡庸な作曲家だったのではなく、むしろ才能あふれる気鋭の作曲家であったことが明白なんですが、確かに基本的にはドイツ音楽の延長線上にあるので、ロシア五人組らの攻撃対象になってしまったのです。恐らく、ラフマニノフがうつになったのも、ルビンシテインの作品が抹殺されたのと同様になるようにという、バラキエフの策略だったのかもしれません。

私自身としては、ロシア五人組の作品同様、このルビンシテインの作品も素晴らしく思います。歴史的には、ロシア五人組が登場すべく、ロシアに西洋音楽を導入することに資力した一人でありましょう。現代において、再評価が行なわれているのは当然であると言えます。ルビンシテインが居なかったら、彼らがクラシック音楽に触れる機会は少なかったでしょうし、何よりもロシア・ナショナリズムとはと考えることもなかったことでしょう。

同様の議論や闘いは他の国でも当時起っており、有名なのがドヴォルザークチェコでした。チェコドヴォルザークが力を持っていたため、楽壇は極端な民族主義に走らず、その後スメタナの作品やドヴォルザークの作品など、国民楽派でありながら普遍性を持つ作品が生まれ、チェコという国がさまざまな憂き目にあおうとも、世界中の音楽ファンが支持してきました。ところが、ロシア音楽においては、チャイコフスキーラフマニノフの作品が好まれる傾向にあり、ロシア五人組リムスキー=コルサコフがかろうじてという状況です。それ以外の作曲かはまるで華麗なる一発屋のような扱いです。勿論、そんなことはないということは、このブログでも何度もご紹介している通りですが・・・・・

冷戦が終わり、共産主義国家が斜陽しつつも、勝利したはずの資本主義国でも経済的に破たん状態に陥る国家が増えてきたこの現状で、ルビンシテインの作品が日の目を浴びるにようになってきたのは偶然ではないように思います。

そんな作品を、ハンガリーのオケであるジョルジュ・エネスコ・フィルが演奏するというのは、素晴らしいことですがこれも偶然はないような気がします。ハンガリー動乱で抑圧されたハンガリーですが、ここもチェコ同様、民主化を粘り強く行って勝ち取った解放であったからです。実はこのオケ、以前ブカレスト・フィルとしてご紹介したことのあるオケでして、現在では都市名ではなく、冠にしたハンガリーの作曲家、エネスコの名前をそのまま名称としているようです。このブログでご紹介した時はブラームスの作品でしたが、西洋音楽を基礎とするルビンシテインの作品を演奏するのに適当であると言えます。

西洋音楽演奏の基礎(リフレインは弱くなど)に忠実なその演奏が紡ぎだす世界は、ルビンシテインという作曲家の非凡さを浮きだたせます。明快、快活、そして気品、陰影。どれをとってもチャイコフスキーと並ぶロシアの素晴らしい作曲家であることが、まるで金太郎飴の如く何処を聴いても滲み出ています。

かといって声高に話すように、ドラスティックな演奏をするのかと言えばそうではなく、むしろ淡々と作品と向き合い、愚直に真っ直ぐ楽譜と向き合い、端正さを追い求めるそのスタイルが、じわり私たちを感動へと誘っていきます。

ピアノ作品も素晴らしいものが多いようですし、管弦楽作品もこのアルバムを聴いたかぎりにおいては、素晴らしいものが多いと思いますので、是非とも今後も追いかけて行ければと思い、このブログでご紹介できればと思います。




聴いているCD
アントン・ルビンシテイン作曲
交響曲第5番ト短調作品107
歌劇「ドミートリ―・ドンスコイ」序曲
音画「ファウスト」作品68
ホリア・アンドレ―スク指揮
ジョルジュ・エネスコ・フィルハーモニー管弦楽団
(Naxos 8.557005)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。





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