かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:グラズノフ 交響曲第8番・ライモンダ

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はグラズノフ交響曲第8番とバレエ組曲「ライモンダ」が収録されたアルバムをご紹介します。

これ知ってる!セレブリエールのでしょ?とピン!とくる方も増えてきているかもしれません。そうなんです、前回グラズノフ交響曲を取り上げた時はヤルヴィでしたが、今回はセレブリエールの指揮です。オケはロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

取りあえず、指揮者とオケは後述するとして、まずは収録された二つの作品の御紹介をしましょう。グラズノフ交響曲を8つ書いていますが、第8番はその最後の作品です。第9番までを未完成ながらも書きあげた人はいますが、グラズノフは未完どころか、第9番はスケッチで終わってしまったがために、第8番までとなっています。

けれども、その完成度たるや、素晴らしいもので、楽しい部分もありつつも、和声やアンサンブルの妙味も素晴らしい作品です。

交響曲第8番 (グラズノフ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95)

ここを頂点として、グラズノフは作品を存分に書きあげることができなくなりました。様々な要因が考えられますが、グラズノフの作風が聴いている印象よりはかなり凝っていることが言えるでしょう。特に作曲した20世紀冒頭という時期のロシアは、社会の変革の嵐に見舞われており、保守的なグラズノフが安心して作曲できるような状況ではなかったことが言えるでしょう。

それを象徴するようなことは、何と言ってもその後出現した若手、ストラヴィンスキープロコフィエフです。彼らがロシア音楽に荒々しさとそれによる生命力と躍動感を加えたことは、音楽史においてもエポックメイキングなことでした。でもそんな彼らが尊敬していたのが、グラズノフだったのです。それだけ、当時の楽壇では、グラズノフという人は保守的と言っても、新しいことも許容するだけの懐深さがあるだけに、さまざまな見方があったことが窺えるのです。

作品としては、聴いている感じでは新しいことがないように見えますが、20世紀音楽が全体的にそうであるように、不協和音が多用され、それは確実にストラヴィンスキープロコフィエフ、さらに言えばショスタコーヴィチを用意したと言っていいでしょう。国民楽派という後期ロマン派の範疇の中で、次代を用意した作品であると言えます。それはまるで、ベートーヴェンのようです。グラズノフが意識していたかはわかりませんが・・・・・

それにしても、最後の交響曲も素直に聴いていて楽しめる作品で、それでいて気品があります。グラズノフの育ちの良さならではでしょうが、こういう作品がもっとわが国で演奏されるようになると、西洋音楽への理解がまた違った段階に入るのではないかって思います。

2曲目の「ライモンダ」。借りてきたCDのブックレットには「ロシアの音楽批評家・作曲家レオニド・ザバネエフが、「繊細で入り組んだ細部を持つグラズノフのバレエは、間違って激情に入り込んだ交響曲である」と主張したのはさすがに少し誇張し過ぎだろうが、少なくとも彼は、グラズノフロシア皇帝バレエに限ればチャイコフスキーの真正な後継者たらしめていた、きめ細かな仕事ぶりを評価していた。」とあるのですが、まさにライモンダはそもそもバレエ作品で、荒唐無稽なのですがその描写や展開は細かく、だからこそアッと驚くものに仕上がったと言えるでしょう。しかしこういう作品を書く人だったからこそ、当時の時代の変化についていくのがやっとだったのだと思います。

ライモンダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%80

で、実はこの音源に収録されているのはバレエ音楽から作曲者本人が抜粋した組曲、なのです。ですので作品番号の横にaが付いています。この点ではウィキは少し説明不足だと言えますが、元のバレエが分からないと面白くない部分もありますので、載せときます。

そうは言ってもバレエ音楽ですから、言わば舞曲であるわけです。こういった作品を書くという点でも、グラズノフは洗練された保守的作曲家でありつつ、革新的なものも持っていると言えます。まさに、この二つの作品がグラズノフの音楽の特徴を指ししめすものだと言えるでしょう。「ロシア楽壇における民族主義(ペテルブルク楽派)と国際主義(モスクワ楽派)を巧みに融和させた」というものです。

アレクサンドル・グラズノフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95

それはまた、保守的なものと革新的なものの融合でもありました。第8番で示した彼の芸術性は、ライモンダでは保守的な指向を持つわけですが、第8番は革新的でもあります。その二つが普通に存在する作曲家がグラズノフであり、しかもそれがごく自然に存在し、私達聴衆が楽しめる芸術として結実していると言う点にこそ、グラズノフの芸術の素晴らしさがあると思います。

指揮するセレブリエールは実は作曲家であり、その点ではこの音源は作曲家セレブリエールの視点というものも入っています。そのせいなのか、演奏はつねに躍動し、生命力に満ちています。特にライモンダでは単に楽しく演奏するのではなく、普通に演奏するだけで魅力的なのです。グラズノフの作品がとても豊潤で、魅力に満ちていることを演奏で指し示しています。特に、作曲しない指揮者が時として陥りやすい、フレージングの無視と言うことがなく、第8番においても、そして特にライモンダで、フレージングを大切にした演奏をオケにさせています。その演奏がとても自然なので、これはオケも同感であると考えていいでしょう。フレージングや息遣いを大切にするだけで、2つの作品が見る見るうちに魂が宿り、生命力溢れるものになるのです。

セレブリエールは作曲家だからこそ、楽譜から作曲者の意図を引き出すには、どのようなアプローチが良いのだろうということを、判断しやすいのだと思います。セレブリエールはグラズノフ交響曲を幾つか収録していて、今回と同じコンビのものを、実は以前第5番でご紹介しています。その時も思ったのですが、セレブリエールは実に見事に正当な解釈をしつつも、自らのオリジナリティも忘れないなあと思います。そこがフレージングであるわけで、合唱や管楽器出身じゃないと、ついつい忘れる点なのです。作曲をする人であれば、ここはこういうフレージングで演奏してほしんだよなあって思いながら作曲をするものです。その経験が、グラズノフの作品を解釈するのに役立っていると言えます。じつに人間味あふれる、楽しく素晴らしい演奏です。

クラシック音楽が今や一部の金持ちのものだけではなく、広く庶民のものとなった時代においてこそ、グラズノフの洗練された音楽はもっと聴かれるべきではないかと思います。その一助を、この音源は確実に担っていると言えましょう。




聴いている音源
アレクサンドル・グラズノフ作曲
交響曲第8番変ホ長調作品83
バレエ組曲《ライモンダ》作品57a
ホセ・セレブりエール指揮
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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