かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:グラズノフ 交響曲第5番、バレエ音楽「四季」

今月のお買いもの、ようやく「今月」のものをご紹介することが出来ました。少しは買うペース落とせよって話ですけどね・・・・・・

さて、今回はグラズノフ作曲の交響曲第5番バレエ音楽「四季」のCDです。ホセ・セレブリエール指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏です。ディスクユニオン吉祥寺ジャズ&クラシック館での購入です。

実はこのコンビ、すでに図書館で借りておりまして・・・・・それもあって、即買いしたものです。

さて、グラズノフはすでに幾つかご紹介していますが、もう一度ウィキのURLをご紹介しておきましょう。

アレクサンドル・グラズノフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95

もともと国民楽派の人ですが、他の作曲家のいいところも積極的に取りいれた人でした。ウィキではその点がネガティヴに書かれていますが、この演奏を聴く限りでは、私はそうは思いません。

叙情的で聴きやすい点がネガティヴに捉えれるのでしょうが、かといってグラズノフはただ聴衆が求めた音楽を書いただけであって、それはグラズノフが求めた音楽とそれほど齟齬がなかったのです。ただそれだけです。

確かに、グラズノフの独自性というものはないと思います。しかし、音楽は私達に様々な感情を生じさせる、素晴らしいものです。

例えば、ショスタコの音楽は確かに個性的ですが、それ故幅広い支持が得られるかと言えば、それは戦後日本でもようやくであるといえるでしょう。一方、グラズノフはもっと早く人気が出てもいいほど、ロマンティックです。ところが、「独自性のなさ」で演奏頻度はショスタコに劣るという不名誉なことになってしまっています。

本当であれば、もっと演奏されてもいい作曲家だと思います。少なくとも、クラシック初心者に聴かせるには、私はショスタコーヴィチよりはグラズノフだと思います。

さて、第5番は実は世紀としては20世紀に入っての作品となりますが、所謂「20世紀音楽」ではなく、あくまでもロシア国民楽派の延長線上の、ロマンティックな音楽です。

交響曲第5番 (グラズノフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95)

ドイツ・ロマン派にその範が取れるとはいえ、音楽そのものはロシア的です。むしろその芸術性は、前記ロマン派において、メンデルスゾーンが合唱曲でバロックに範を取ったのとよく似ています。構造的にはバロックだが、音楽は前期ロマン派、というように。それがこの第5番です。

演奏は、まるで広いロシアの地平線に広がる風景を切り取ったように感じられ、しかもその風景は画ではなく、動画です。特に奇をてらっていない演奏からそれが導き出されているということは、この作品もロシアの民謡の影響が強いことを意味し、明らかにロシア国民楽派の音楽であることを、しっかりと表現しています。

次の「四季」は、グラズノフが作曲したバレエ曲です。彼はバレエ曲を3つ書いていますが、物語性がないのはこの曲だけです。

四季 (グラズノフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8E%E3%83%95)

とはいうものの、実際には一つのストーリーは透けて見えます。まずその一つが、この作品が冬から始まる、という点です。普通、四季を描くときには大抵春から始めるものです。例えば、ヴィヴァルディの協奏曲であったり、ハイドンのオラトリオだったりです。

四季 (ヴィヴァルディ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3)

四季 (ハイドン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3)

ところが、グラズノフのこの「四季」は、冬から始まるのです。そういえば、ハイドンの「四季」も、春からとはいえ、実際には早春、もっと言えば晩冬から始まっています。

ヨーロッパは、どこも厳しい冬ですが、特にロシアはそうだといえます。そのロシアにおいて、いきなり春が来るというのはむしろ実勢に合わないように思います。長い冬が終わりを告げて、春がやってくる。それがロシア人の印象なのではないでしょうか。

実際、全体のバランスを見てみると、春が一番短いのです。長い冬が終わると、短い春がやってくる・・・・・そういうストーリーです。実際、ロシアはそういう気候なのですから。

さらに、冬の各章を見てみると、冬が深まって行く順番に気象が並んでいます。霜が降り、氷が張り、霰(あられ)が降って、それが雪に変わる・・・・・そして積もって一面の雪景色になって、真っ白になると、後は春の訪れを待つばかり、というわけです。単に風景をえがいているのではなく、明らかに一定のストーリーはあります。

ただ、物語性というのは確かに薄いわけです、登場人物はいないわけなので。しかし、季節の移り変わりのストーリーはしっかりと踏まえている、ということです。

春にしても、花が咲き、小鳥が囀りという順番です。その後の夏と秋は、あまりストーリー性がありません。本当に風景を切り抜いています。ただ、交響曲第5番同様、動画性はあって、例えば夏には舟歌がありますし(舟歌という場合、これはゴンドラの漕ぎ手の労働歌を意味します)、秋にはバッカナールの章があり、祭りの狂乱を描いています。

この様に、あくまでもバレエ音楽として、動きを意識した音楽がそこかしこにちりばめられており、単に風景を描いたという説明では作品の素晴らしさ、あるいは本質を見落とすように思います。風景を「動き」で見せる・・・・・これはこれで、私は革新性のある音楽だと思います。様式は以前国民楽派のようなロマン派の範疇を出ないものですが、その構想において、革新性を持っているのです。

深夜、テレビをつけていると、NHKが風景を流していることがありますが、あれをバレエでやろうというのです。そんなことはそれ以前ではなかなかないわけで、それに音楽を付けたグラズノフの非凡さを、この作品はしっかりと私達聴衆に突きつけています。

指揮者セレブリエールは実は作曲家でもあり、ナクソスから作品が出ている人でもあります。

ホセ・セレブリエール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB

それだからでしょうか、グラズノフの音楽に対して、奇をてらうことなく、同じ作曲家として対等に向き合い、音楽を作りあげているように思います。それでもスコットランドのオケを使いながらも、つむぎだされる音楽は豊潤で、艶やかで、美しくかつ力強いものばかりです。特に第5番の第4楽章や、「四季」のバッカナールは喜びにあふれ、グラズノフの人間臭さを十分に私たちに伝えてくれます。

ロシアにおける二つの潮流を一つにまとめようと資力したグラズノフの音楽を、再認識させてくれる演奏だと思います。



聴いているCD
アレクサンドル・グラズノフ作曲
交響曲第5番ロ長調作品55
バレエ音楽「四季」作品67
ホセ・セレブリエール指揮
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
(Warnaer 2564 61434-2)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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