かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 交響曲全集1

神奈川県立図書館所蔵CD、今回から11回にわたってショスタコーヴィチ交響曲全集を取り上げます。まず第1回目の今回は第1集。第1番〜第3番までが登場します。

さて、いま一度ショスタコーヴィチという作曲家がどういう人か、ウィキを再掲しておきます。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

以前、マイ・コレで取り上げた時にも述べましたが、初め私はショスタコを聞くなんて考えられませんでした。なぜなら、わたしも一人の愛国者であり、しかも当時東西冷戦まっさかり。共産主義の作曲家なんてって、思っていたのです。

しかし、それこそ一枚のCDがそれを変えたのです。それが、マイ・コレでご紹介したハイティンクの全集からの分売でした。

マイ・コレクション:ショスタコーヴィチ 交響曲第5番・第9番
http://yaplog.jp/yk6974/archive/305

このCDのブックレットで、私は「ショスタコーヴィチの証言」という書物があることを知ったのです。

ショスタコーヴィチの証言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80

当初からこの書物に関しては、真偽が取りざたされ、私自身100%信じているわけではありません。しかしその後の創作を見てみると、100%偽書と決定づけるわけにはいかないだろうと思っています。大学時代に聴いて20年以上も経って第12番を聴いたときの、共感は、この証言に一定の真実があると思ったからです。

ショスタコ自身が記述したわけではないわけですから、どこかで聞いた本人の主観も入るでしょうし、そもそも精神疾患を抱えていたショスタコーヴィチが、感情的になって言った部分だってあるはずで、時間がたって様々見方が変っていることだってあります。人間とはそういうものだと私は思っています。

ですから、この証言を完全に信じず、また嘘であるというのも信じず、己の内的世界と音楽との対話に集中したら、一体どうなるのかということが、私のショスタコを聴くときのスタンスです。それで気づかされたものが、歳をとるにつれて多くなってきました。

そこで、交響曲全部が聴きたい、という気持ちに変わり、この全集を借りたのです。指揮はルドルフ・バルシャイ、オケはケルン西部ドイツ放送交響楽団ショスタコ好きなファンの間ではいいといわれていた演奏です。

さて、まず第1番です。1925年に完成した作品で、レニングラード音楽院の卒業制作でした。

交響曲第1番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

ショスタコーヴィチの作品を考える時、彼がレニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)の卒業であるということを踏まえる必要があると、常に私は考えています。なぜなら、レニングラード音楽院はその前身であるサンクトペテルブルク音楽院は、どちらかと言えば保守的な姿勢であったからなのです。

サンクトペテルブルク音楽院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%99%A2

卒業生を見てみると、殆ど古典派に範を取るような作曲家が多いことに気が付かれるでしょう。ショスタコもそういった学生の一人だったわけです。

一方、モスクワ音楽院は、前衛音楽も受け入れるような学校でした。

モスクワ音楽院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%99%A2

それが、ロシア革命後変化が起き、ソビエト共産党の息がかかるようになると、どちらもあまり変わらなくなっていくのです。このあたりはあまり触れていますと長くなりますので、興味がある方はロシアの社会史などを紐解いていただきたいと思います。

ただ、そういったクロスオーヴァーロシア革命前後からロシア国内では起きており(ロシア・アヴァンギャルド)、ショスタコーヴィチもそういった影響を受けた一人です。だからこそ、革命後当局から「使える」と目を付けられたとも言えるでしょう。

で、第1番に戻りますが、この作品は古典的なのです。音楽自体は不協和音多用で、そんなようには一見見えませんが、楽章構成を見てみると、とても古典的であることが分かるでしょう。だからこそ、「社会主義リアリズム」を標榜し、「人民にわかりやすい音楽」を創ろうとしていた共産党当局に、目を付けられて当然であったといえるのです。

この第1番を作曲したということが、その後のショスタコーヴィチの人生を決定づけたといえるように、私は考えています。もし第1番が全く違うものであったら、もしかするとショスタコは亡命していたかもしれません。だからこそ、わたしはこの第1番は重要だと思うのです。

この全集は番号順に収録されていますが、それはいい編集だと思っています。勿論、そうでなくてもいいこともありますが、ショスタコの音楽を理解するには、私は番号順のほうがいいだろうと思っています。

そういったつながりから、しばらくは体制迎合の音楽を書くことになります。それが続く第2番「十月革命に捧げる」と第3番「メーデー」です。

交響曲第2番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

交響曲第3番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

ただ、第2番と第3番とでは異なる点があり、第2番は委嘱であるが、第3番はショスタコの意思によって作曲されたという点です。それがよく分かれているのが、合唱部分です。

え、ショスタコも合唱付きの交響曲を書いていたのですか?という方もいらっしゃるかと思いますが、今年ダズビが取り上げたのが第2番です。つまり、「十月革命に捧ぐ」です。これは合唱付きなのです。だからこそ、聴きに行きたかったのですが、諸事情にてそれはかなわなかったのが残念です。

第2番は委嘱作品なので、ことさらにレーニンを賛美する構成になっており、確かに聴きますと少し僻僻しますが、自らの意思で書き始めた第3番は、そんなことがないのです。歌詞の流れが流麗で、自然な美しさがあります。しかし第2番はそれこそ第5番の第4楽章のような、不自然な印象が否めないのです。

さらに圧巻(というべきなのかはわかりませんが)は、レーニンを賛美するシュプレヒコールが織り込まれているという点です。まあ、私もかつてはユニオンショップの労働組合員でしたからシュプレヒコールといったものはやりましたし、それに抵抗はないんですが、その経験をもってしても、この第2番のシュプレヒコールは、人を賛美するという点でやはり不自然さを禁じ得ません。それは後にショスタコーヴィチ自身が回想してもいます。

つまり、すでに第2番でショスタコ自身と体制とのかい離が生じているという事になるわけです。それを表現したのが、第3番だといえるでしょう。こういった事象を知って後の作品を聴くのと知らないで聴くのとでは、その受け取り方は全く異なる事でしょう。

確かに、ショスタコ社会主義者であったと思います。ただ、其れゆえに後に苦しんでいく・・・・・そんな一端が、すでに第2番、第3番といったあたりに見られることを発見しただけでも、私は幸せだなあと思うのです。自由主義陣営で資本主義の社会で暮らす私も、おなじような苦しみを負っているからです。こんなところに同士がいたんだ・・・・・

苦しみの中で、作品を生み出してくれたことに、感謝したいと思います。

さて、演奏は端正ながらも、ダイナミックさは随所にある、素晴らしい演奏であるといえるでしょう。アインザッツの強烈さ、それが表現する苦しみや悲しみ、そして喜び。ショスタコーヴィチと親交があったバルシャイゆえかもしれませんが、ムラヴィンスキーのような爆演では決してないのに、胸を突かれるだけの強烈さと、説得力は、特に合唱が入った第2番や第3番で顕著であり、鬼気迫るものがあります。

今後、順番を追うにしたがって、それは顕著になると思いますが・・・・・それはまた、その時に触れましょう。




聴いている音源
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第1番ヘ短調作品10
交響曲第2番ロ長調作品14「十月革命に捧げる」
交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー
ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルン西部ドイツ放送交響楽団
ケルン西部ドイツ放送合唱団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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