かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 交響曲全集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、バルシャイ/ケルン西部ドイツ放送交響楽団ショスタコーヴィチ(略してショスタコ交響曲全集を取り上げていますが、今回は第2集を取り上げます。今回は第4番です。

実は、一番最初にショスタコを聴いてから、この第4番にはずっと興味を持っていたのでした・・・・・なぜなら、一番最初に聴いたのが、第5番だったからです。

第5番はショスタコソ連当局の追及を逃れるため、第4番を封印して作曲したものです。だとすれば、その封印した第4番はどんなものかという興味が、自然と沸くと言うものです。

交響曲第4番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

ショスタコの「それまで」の集大成と言える作品であるという解説がありますが、まあ、確かにそういった側面はあるでしょう。しかし、私は様式や構成から、別なメッセージを受け取っています。

まず、この作品は3楽章形式です。それは「それまで」のショスタコが作曲した3つの交響曲にはない特徴です。第1番は4楽章制、第2番と第3番は1楽章制です。で、ここでショスタコは「集大成」として突如3楽章制を持ってくるのです。

第4番自体、マーラーや他の作曲家の影響を受けて成立した作品ですし、また、終楽章は変奏曲とクラシック音楽の伝統をうけつぐものです。しかしそれなら、シンフォニスト・ショスタコであれば、4楽章制をとってもおかしくないところですが・・・・・

3楽章制なのです。私はそこに、ショスタコのメッセージを感じます。そしてなぜ、この第4番を封印せねばならなかったかの一端を、私は見ることが出来ると思っています。

ウィキの説明の中に、プラウダ批判という言葉が出てくると思いますが、そこをクリックすると、このページに飛ぶことが出来ます。

プラウダ批判
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%80%E6%89%B9%E5%88%A4

さて、みなさんはどうお感じになりますでしょうか。プラウダソ連共産党の機関紙)は要するに、所謂戦後でいう「西側」的な音楽を批判したのです。で、第4番はそんな西洋音楽の伝統に即するものが数多く詰まっています。その上で、3楽章制なのです。

3楽章制はこのブログでは結構触れていますが、新古典主義音楽の影響により、「自由」や「抑圧からの解放」を意味すると、私は説明してきました。言葉では問題があっても、楽章数で隠然と主張するやり方です。ショスタコも同じ意図をもって第4番を「社会主義者」として作曲したというのが、私の見方です。

ところが、ソ連当局はプラウダ批判によって、それを露骨に抑圧したのです。音楽自体に諧謔性を持ち、伝統の重視や抑圧からの解放というメッセージを持つこの作品を弾圧する意図をもってプラウダ批判はなされたとなれば、ショスタコとしては封印せねばならなかったでしょう。みずからの命と家族を守るために。

なぜ戦わなかったのだ!だから、ショスタコ共産党の犬なのだ!という意見もあるかと思いますが、私の意見は少し違います。まだソ連という国家が存在していた時代を知っている人間としては、KGBににらまれることは命の問題なのであるということを知っています。みずからの家族までいる人間が、どうすれば命を懸けて戦うことが出来るでしょうか。しかも、たった一人で、です・・・・・

応援、或はかくまってくれる人がいない限り、そんなことは出来ないはずです。本来かくまってくれたり、或は応援してくれる人たちが次々と検挙される状態で、ショスタコはどう戦えばよかったのでしょうか。一色さんがどれほど恵まれていたか・・・・・

そんなことを考慮せずに、ショスタコを批判する人は、まず音楽を聴いて下さいと言いたいです。彼の悲痛な叫びが、この作品には詰まっています。まず第1楽章冒頭の荒れ狂う金管。そして、第3楽章の激しさ・・・・・この第4番は、様々な意味でショスタコがそれまでの情勢を楽譜に叩きつけた作品であると、私は考えています。

バルシャイは、とにかくその激しい部分のアインザッツを強く演奏させているので、鬼気迫るものが演奏から滲み出ています。その上で、例えばマーラー風のかっこう部分は、まるで慟哭のようです。同じく精神疾患を持っていたマーラーと同じ気分になっていたであろうことは容易に想像がつきますし、バルシャイはまるでそうなのだというかのように、強弱を見事に対比させて、不安と絶望、そして希望を表現しています。

まるでショスタコはこの作品から精神的におかしくなっていったかの如くの演奏です。で、おそらく私も同意見です。当局から名指しで批判された一市民である作曲家が、通常の精神状態でいられるわけがないでしょう。このプラウダ批判はその後、第5番を作曲した後もショスタコを苦しめますし、当局の監視はますます強まって行きました。特にスターリンの時代は法治ではなく人治だったこともあり、ショスタコの精神状態は悪化の一途をたどり、それは極致とも言うべきところまで行ったのでした。

そんなショスタコの人生を、バルシャイはオケをして雄弁に語らせている・・・・・そんな気がします。時代の転換点に生きる私にとってはこのような作品と演奏に巡り合えて、幸せだと思います。自分の不安を、分かち合い共感してもらえるような気がするからです・・・・・・




聴いている音源
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第4番ハ短調作品43
ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルン西部ドイツ放送交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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