かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:アバド/ベルリン・フィルの第九

忙しくて先週の土曜日にアップできなかった分を、本日アップします。

今月のお買いもの、平成26年9月に購入したものをご紹介していますが、今回はアバド指揮、ベルリン・フィルの第九をご紹介します。ディスクユニオン吉祥寺店での購入です。

えー、また第九ですか・・・・・って、今月のお買いもののコーナーでは、おそらく2年ぶりくらいになるかと思いますけれど・・・・・

今月のお買いもの:宇野功芳が振る「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/897

実際には、3年近く前のエントリです。ですので、本当に久しぶりということになります。第九大好き人間の私が、3年ほど第九のCDを買わなかったなんて、おそらく記録です・・・・・

さて、アバドベルリン・フィル音楽監督に就任してから、第九のアルバムを2つ出しています。これはその2つ目のものになります。

正直言えば、その1つ目が出た時、いまだカラヤンに拒絶反応があったにも関わらず、アバドにもあまり食指が伸びませんでした。勿論、アバドカラヤンとでは音楽の方向性は必ずしも一緒ではありません。でもだったのです。恐らくテンポが速いって点がネックになったのだと思います。ちょうどそのころ、アバドは来日を果たしてNHKFMでその指揮が流れていたこともあり、それを聴いてそれほど心に残らなかったのだと思います。

しかし、月日は移り変わり、アバドカラヤンよりも快速演奏を聴くにつれ、アバドの演奏に拒絶反応を示さない私が出来上がりました。特にそのきっかけになったのが、ブラームスの「運命の歌」でした。

マイ・コレクショ:ヘルダーリンという狂気を音楽にした一枚
http://yaplog.jp/yk6974/archive/521

この一枚がすべてを変えたと言っても過言ではないでしょう。アバドの指揮も、これからどんどん聴いていきたいなと思っていた、その刹那・・・・・

アバドは、今年の1月20日に、この世を去りました。

クラウディオ・アバド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%90%E3%83%89

ウィキの記述通り、私も彼は現代に近い作品で手腕を発揮する人だと思っていますが、それはこのアルバムを聴きますと、その理由が見えてきます。

どんなことかと言いますと、このアルバムは、一言でいえばアンチ新ベーレンライター原典版、なのです。

一言すぎて、実はこれ事実とはちょっと異なるんですけどね。この演奏は1996年のザルツブルクで録音されており(つまり、ベルリン・フィルハーモニーではない!それだけでも、この一枚は画期的なのですが)、世界初の新ベーレンライター原典版での録音は、その2年後の1998年です。

マイ・コレクション:新ベーレンライター原典版世界初演の第九
http://yaplog.jp/yk6974/archive/731

マイ・コレクション:「完全忠実な新ベーレンライター原典版による世界初演」の第九
http://yaplog.jp/yk6974/archive/732

しかし、ヨーロッパではすでに、原典版がどういった校訂をしているかというのは、現場レヴェルでは少しずつ情報が入っており、さらにすでにピリオド演奏も盛んだったことから、所謂「大指揮者時代」の解釈にアンチを唱える人たちが大勢いたわけです。そして私もそれに乗っかった一人です。

ところがアバドは、スコアリーディングの観点から、それに異を唱えるのです。実はこれ、最近特に目立ってきた姿勢なんですが、アバドは新ベーレンライター原典版の初演よりも前に、それを唱えていたことに正直驚いています。が、実はすごくなっとくなのです。

アバドがこの演奏でやったことは、歴史学でいえば史料批判なのです。つまり、アバドは新し物好きのようにみられますがいやいやどうして、実はしっかりと「実証史学」主義なのです。

例えば、第1楽章で新ベーレンライター原典版では幾つか音が旧来のブライトコプフとは異なる部分がありますが、アバドはそれをベートーヴェンの間違いだとして、旧来のブライトコプフの記譜に戻しているのです。その理由も、ベートーヴェンの他の作品の楽譜から、和声構造を解析したうえで示しています。

これは、実証史学を学んだ私としてはうなるしかありませんでした。なるほど、それはたしかにブライトコプフにも一理ある、と。

ですから、上二つのエントリで示した演奏の内、日立フィルのものにスタンスは近いのです。テンポも幾分落とし、快速アバドはどこ行った?という感じになっています。ただ、所謂アコーギクなどの粘りといった部分では、すっきりして先に行くという感じは否めませんが・・・・・

これは推測にすぎませんが、日立フィルが新ベーレンライター原典版の初演をした時、すでにこのアルバムは世に出ていました。このアバドの校訂を参考に指揮者がしたという可能性は、十分あるでしょう。なら、完全忠実ではなかったのは、自然な行為であると言えるでしょう。そしてそれは、このアバドのアルバムを聴く限り、妥当であったと結論付けざるを得ません。

今後、これまで行われてきた新ベーレンライター原典版による演奏は修正を迫られることでしょう。それがアバドが残した、このアルバムの意義だと思います。

さて、私がこのアルバムを買った理由は、こういった学究的な点ではありません。むしろ、合唱団にスウェーデン放送合唱団が入っていることが一番でした。当時、それはそれは話題になったものです。

その後、私は実際にスウェーデン放送合唱団のコンサートに足をはこびますが、実はこの一枚の存在もその理由でした。

音楽雑記帳:スウェーデン放送合唱団コンサートを聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/372

このアルバムでも、力強い演奏を聴かせてくれます。一緒のエリック・エリクソン室内合唱団とも素晴らしいアンサンブルで、横の線で合わせているのに完璧という、思わずうなる歌唱です。

しかーし!このアルバム、実は学究的な割には、不可思議な点もあります。そこが実はアバドの近代性ともいえる点なのですが、まず第2楽章。ティンパニを連打する部分(タッタタン!が連続する場所)で、小さく弱く叩かせているのはなぜなのか。ちょっとわかりかねます。そして第4楽章。vor Gott!の部分はvor一拍に対して、Gott!の伸ばしは4拍のみ・・・・・

1000000%完全な変態演奏でございますm(_ _)m

いやあ、さすが20世紀音楽を得意とするアバド。突っ込みどころというか、何と言っていいのかわかりかねる部分が多々あります。しかしそれも、スコアリーディングの結果ですから、おそらく何らかの理由があってのことだと思います。気が触れてってことは、多分ないでしょう・・・・・

え、あるかもって?

・・・・・あの世でアバドにきいてみてくださいな。私もその時には是非ともその理由をきいてみたいもんです、ハイ。

その意味では、やはり素晴らしい指揮者を亡くしたと思っています。アバドのご冥福をお祈りしたいと思います。




聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
ジェーン・イーグレン(ソプラノ)
ヴァルトラウト・マイアー(メゾ・ソプラノ)
ベン・ヘップナー(テノール
ブリン・ターフェルバリトン
スウェーデン放送合唱団
エリック・エリクソン室内合唱団
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Sony Records SRCR 1669)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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