コンサート雑感、今回は久しぶりに中央大学の団体を取り上げます。平成26年12月21日に聴きに行きました、中央大学音楽研究会混声合唱部の「メサイア」です。場所は、杉並公会堂。
となると、並びはコア・アプラウスと比較することになる訳なんですが、毎度の事・・・・・
中大混声と、コア・アプラウスは、12月にコンサートをやる時はなぜか2週間くらいの間でやるんですよね。以前、第九を演奏した時も、杉並公会堂でした。
音楽雑記帳:コア・アプラウスの2010年コンサートを聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/483
音楽雑記帳:中央大学学友会文化連盟音楽研究会混声合唱部第九演奏会を聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/490
で、コア・アプラウスが客席で今回も歌ったのと異なり、中大混声は舞台に降りてきました。この差は、とても大きいと思いました。勿論、ホールにもよるんですが・・・・・
以前、私は中大混声でメサイアを聴いていますが、その時のホールは文京シビックでした。
コンサート雑感:中央大学音楽研究会混声合唱団創立60周年記念演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/859
この時は、比較的前方の席に座っており、音が上から降ってくるという感じでしたが、文京シビックというホール自体が、それほど高いところに席がないという事情もあります。
http://bunkyocivichall.jp/guide_mainhall_point.html
しかし、杉並公会堂では、今回自由席だったのですが、2階席でした。これは文京シビックよりも高い位置にあります。
http://www.suginamikoukaidou.com/guide/hall_l.html
完全に見下ろすのです。つまり、合唱団としては、声を上の方へ飛ばさなければならないことを意味します。これは、中大混声が第九を歌った時に触れた通りです。コア・アプラウスが声が「塊」となって飛んでくるのとは異なり、声がまさしく「降ってくる」のです。そしてそれは、しっかりとした発声があってこそです。
中大はその点が、申し分なかったと言えます。それはもしかすると、今回のメサイアがまさしく、文京シビックの時と異なり、「原典版」、つまり、ヘンデルが作曲したものを使っているという点もあるでしょう。
とは言え、メサイアもバッハのマタイ同様、ヘンデルが幾度も手を入れており、大きな編成から小さな編成までやっているのですが、今回中大混声が選択したは、比較的小さな編成でした。オケも20人いるかいないかという人数。これもまさしくチャレンジャーでした。
いやいや、コア・アプラウスだってオケの数は少なかったですよ!と、稲見先生には言われそうですが、中大はさらに少なかったのです・・・・・オルガンとチェンバロを合わせても23名。ヴァイオリンは5人だけと言う少なさです。それはつまり、私達はヘンデルが作曲した当時に近いスタイルで演奏しますということを、演奏前から高らかに宣言したのと同じです。
さらに言えば、今回中大混声が選択した版は、ほぼ間違いなくBCJが以前CDにしたものと同じであるはずです。
マイ・コレクション:BCJの「メサイア」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/718
CDにはどの版を選択したとは記述がない(編成は1753年のものとの記載有)のではっきりそうだとは言えないんですが、楽譜の色が青だったのでおそらくベーレンライター(今年のコア・アプラウスのシューベルトがそうであるように)であり、BCJも同一だと思います。それは例えば、「なぜもろもろの民は騒ぎたち」など、特に受難部分を表現したアリアのいくつかが、BCJのものと完全に一致するからです。
メサイアは、私自身、「マイ・コレクション」のコーナーでは2回取り上げています。BCJと、ピノック/イングリッシュ・コンサートとです。実は両者で細部が異なります。どちらかと言えばピノックのほうが私は好みなのですが、原典重視のBCJも決して悪くなく、むしろいい演奏です。特に復活部分の「トランペットが」は素晴らしい!
そのBCJとほぼ同じスタイルをとったというわけなのです。しかし、合唱団はいくらなんでも学生が全員出られないという訳にはいきませんから、BCJとは異なり、合唱団は100人くらいいるという編成となりました。
にも拘わらず、実に軽く、しなやかで、しかし力強い合唱が聴こえてきたのには、感動しました。しかも、オケが合唱に埋没していない!ともに存在感があり、受難部分からは緊張感にみなぎり、聴いているこちらは様々思索する材料をたくさんいただきました。
いい演奏というのもは、思索の材料をたくさんくれるんですね。今回の中大混声は、ほとんど注文つける点がなく、まさしく音楽から思索することができるという、プロオケでも最近はなかなかできないことをさせて頂けたのは、本当に幸せでした。
途中の「私達は解放された!」はアップテンポで、まさしく解放を叫び喜ぶという表現で、若い学生が演奏する素晴らしさを感じましたが、ハレルヤはどっしりと構え、今度はじっくりと喜びを表現する・・・・・特に、ハレルヤは、同じ言葉が何度も繰り返される曲ですが、それはまさしく強調であり、また、メサイア自体、バッハの受難曲の影響を明らかに受けている作品だけに、合唱団は時として語り、時として群衆として演技する必要がありますが、それも抜群でした。
各パートがしっかりと聴こえてきて、さらにハレルヤでは「王の王、主の主」という、キリストを表現する言葉が繰り返されるたびに、音が上がっていきますが、それも強調なのです。それが、クライマックスへと向かっていく表現が完璧!いやあ、是非ともコア・アプラウスのトラに入って下さいまし。いや、それよか団員に(って、私がいうことじゃないよね〜)!
さらに、最後の「神にほふられたる小羊たちは」は、前奏がないだけに実はとても難しい曲ですが、アンサンブルばっちり!私も歌ったことがある曲ですが、ハレルヤも最終合唱も、息継ぎが本当に大変なのです。それを微塵も感じさせないのは、若さなんでしょうか。実に素晴らしかったです。アーメンコーラス直前の部分ではテンポが若干早く、それもきちんと発音できていたのも素晴らしい!その部分はなかなか言い切れないものなのですが、それも完璧!
いやあ、突っ込みどころ、ないです・・・・・軽やかでその上力強くしなやかで、ソリストも素晴らしかったですし(ただ、カウンターテナーは少し調子悪かったですね)、オケも少ないのに合唱団と十分渡り合い、当初オケは合唱に埋没しやしないかという心配は全く杞憂でした。
こんな素晴らしい、喜びに満ちたメサイアを聴けて、本当に幸せです。今年はBCJもメサイアだったのですが、そちらは日程の関係で行けなかったのです。しかし、それを全く後悔させなかった、中大混声に感謝です!
次も素晴らしい演奏を聴かせていただくことを楽しみにしたいと思います。
アマオケの皆さん!杉並公会堂という比較的小さなホールで、これだけの結果が出ますので、是非とも中大混声がやる時には足をお運びください!必ず、演奏のヒントが隠されていると思います。
さて、「コンサート雑感」のコーナー、実は2週にわたって中央大学を取り上げますが、その次週は管弦楽団の「第九」です!さて、どんなレビューになるのか、お楽しみに!
聴いてきた演奏会
中央大学音楽研究会混声合唱団「メサイア」演奏会
ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル作曲
オラトリオ「メサイア」
石田亜希子(ソプラノ)
上杉清仁(アルト)
大島博(テノール)
大森いちえい(バス)
白石卓也指揮
アレクテ室内管弦楽団
中央大学音楽研究会混声合唱団
平成26(2014)年12月21日、東京杉並、杉並公会堂大ホール
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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