かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 交響曲全集7

神奈川県立図書館所蔵CD、ショスタコーヴィチ交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第7集を取り上げます。収録曲は第11番です。

第11番は、1957年に作曲された作品で、1905年に起きた「血の日曜日事件」を題材にしています。

交響曲第11番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC11%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

血の日曜日事件 (1905年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1905%E5%B9%B4)

これだけ見ると、確かに共産党プロパガンダとという、旧来の西側解釈はあっているように見えますが・・・・・

第10番が作曲されたのが1953年。そこから4年かかっているというのは、戦前までのショスタコーヴィチからは明らかな変化です。となると、ショスタコにこの作品を書かす、何らかの原因があったように思います。

ウィキには、それを推測させる一文が載っています。「作曲当時のハンガリー動乱との関連も指摘される。」

ハンガリー動乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%8B%95%E4%B9%B1

これまでのショスタコ交響曲の書き方から推測すると、ハンガリー動乱との関連は私は否定できないと思っています。なぜなら、直接ハンガリーを支持すればまたジダーノフ批判どころか、命が危なくなるでしょう。ですから、祖国の歴史的同様の事件である「血の日曜日事件」を題材とし、それをレトリックとしてハンガリーを支持し、ソ連当局を批判したと考えるのが筋ではないかと思います。

ショスタコの音楽は、バッハやマーラーの影響を受けています。しかも、この作品は4楽章形式ですが、実際にはつながっていて、交響詩のような形になっています。映画音楽的だとも言わるこの作品からは、私はバッハのカンタータの臭いがするのです。それが、テーマである「血の日曜日事件」と作曲当時にハンガリー動乱があったという点なのです。

第4楽章の標題は「警鐘」です。しかも、半終止で終わります。これは「何のための警鐘」なのでしょうか?とても考えさせられます。ロシア革命を表現した?勿論、標題通りに受け取ればそうです。しかし、これがレトリックだとすれば、それはソ連当局へ向けられた警鐘であると推測できます。まさしくそれは、バッハがカンタータにおいて聖書の内容を聴衆に「警鐘」として表現してみせたのと同じです。

それだけに、ショスタコの心中、複雑だったことでしょう。ところがこの作品、レーニン賞をもらってしまうんですねえ・・・・・

レーニン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E8%B3%9E

それはショスタコにとって不本意だったのでしょうか?いいや、おそらくしてやったりだったと思います。なぜなら、作品の「本意」を知られることなく、多くの聴衆にその本意を伝えることに成功したことになるからです。政府のお墨付きですよ?誰が批判しましょうや!

つまりは、この作品、ショスタコにとっての「あっかんべー」だったわけです。

バルシャイは、第4楽章に向かってオケをぐいぐいと引っ張って行きます。第2楽章では激しさもありますが、それは第4楽章のほうがはるかに凌駕します。ホルンは音がひっくり返らんかまで強く吹かせ、まるでドグマ全開です。第1楽章と第3楽章は低音を丁寧に演奏させ、悲痛な風景を描いて見せます。そしてクライマックスの最終部分では、思いっきりチューブラーベルをぶっ叩かせ、その乱打は鬼気迫るものがあります。

それはとりもなおさず、バルシャイもこの作品を単なる「第一革命」を描いたものとは考えていないことを示しています。その風景をレトリックとして、ハンガリー動乱に対するショスタコの懸念とハンガリーに対する支持を表現した作品であることを、明確に示していると思います。

こういった作品が、今後日本人作曲家から出るのでしょうか?日本もいつこういった作品が出るかもしれない社会になりつつあるように思えてならないのですが・・・・・さて。



このエントリ、今年最後のものになります。そして、諸事情により、本来の曜日ではなく、水曜日に掲載という事になりました。

そこで、本来は予定していた、年末のあいさつに代えて、この場で読者の皆様に、御礼申し上げます。

今年も、このブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。来年もこのブログを、どうぞよろしくお願い申し上げます。

みなさまにとって、来年が「第11番」で表現されているようなことのない、良い年でありますよう。





聴いている音源
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第11番ト短調作品103「1905年」
ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルン西部ドイツ放送交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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