かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 交響曲全集5

神奈川県立図書館所蔵CD、ショスタコーヴィチ交響曲全集の今回は第5集を取り上げます。第8番が収録されています。

第8番というのは、少し日陰になってしまっている作品かな〜って思いますが・・・・・・

交響曲第8番 (ショスタコーヴィチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

録音は多いのですよねえ。まあ、インパクトは強い作品ですから。ただ、本当に暗い作品です。しかし、そこにショスタコの意思を感じます。

ソ連軍の攻勢が始まっていた時に、あえてこのような作品を作る・・・・・私は政府の広告塔ではない!とはっきり宣言したようなものです。

しかし、それでも、ショスタコは「攻勢を知らないわけはない」と政府に従って見せています。でも、音楽は明確に、必ずしもそうではないことを示しています。

確かに、第5楽章では明るい、穏やかな部分がありますが、まさしく、まだまだ戦争は終わらない、その不安を表現したのがこの作品のように思われます。

ショスタコのような知的な人が、ちょっといいことがあっただけで喜ぶほど単純なのだろうかと考える時、この作品は出来るべくしてできた作品であると思います。つまり、それまでの不安と、ようやく光明が見えてきた現状、そしてそれは希望を「担保」するものではないという内面。それがこの第8番だと言えるでしょう。

バルシャイは、この第8番に置いては極限までアインザッツを強烈にし、粘りまでオケに要求して、暗さを徹底的に、強烈に表現させています。ティンパニはぶっ叩かせていますし、弦は「吠えて」います。トレモロも強烈で、不安の極致です。

よく、ショスタコの音楽は悲哀だとか、悲しみだとか言われますが、私はやはり「不安」という一文字が浮かびます。この第8番においても、そのほとんどが不安に支配され、何かが抑圧されつつ、しかし内面ではドグマが全開となる・・・・・そんなショスタコの精神性が、映し出されているように思います。

悲しみを通り越して、絶望とも言えるかもしれません。本来ならば、それをもっと美しく彩ってもいいのだと思いますが、そもそも、飢餓まで発生したスターリングラード攻防戦を生き抜いたショスタコーヴィチです。絶望を経験した作曲家が、ようやく不安のレヴェルまでに「落ち着いた」時に、いったいどのような精神状態だったのでしょうか・・・・・

そんなことを推し量る一つの材料が、私はこの第8番であるように思います。

この音楽のメッセージを受け取るには、もしかすると現在の日本人では難しいのかもしれません。それだけの経験をしている人が少ないからです。絶望を見た、感じた、経験した・・・・・そんな人がどれだけいるでしょうか。しかし、まったくいないわけではありません。

もし、これを読んでいるあなたがかつて自殺したいと思うほど絶望し、今でも不安の極致にいるのでしたら、是非ともこの作品を聴いてみてください。できれば、このバルシャイの指揮したものを。きっと、今だからこそ共感できる部分が、たくさんあるのではないでしょうか。

ドミトリーはきっと、そのあなたのために、寄り添いそしてあなたに生きてほしいがために、生き抜いたのだと思いますよ。




聴いている音源
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第8番ハ短調作品65
ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルン西部ドイツ放送交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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