かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:安部幸明 交響曲第1番、シンフォニエッタ 他

今月のお買いもの、平成26年10月に購入したものをご紹介していますが、今回はディスクユニオン新宿クラシック館で購入しました、ナクソスの安部幸明作品集を取り上げます。

またコアなクラシックファン(所謂「ヲタ」)しか知らないような作曲家が出てきました。安部幸明は、主に戦後に活躍した、反チェレプニン派の作曲家です。

安部幸明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%83%A8%E5%B9%B8%E6%98%8E

チェレプニン派というのをおさらいしておきますと、簡単に言えば日本国民楽派と言ってもいい人たちです。例えば、伊福部昭がその筆頭でしょう。東洋、特に日本の文化を反映させる、ナショナルこそインターナショナルであるという人びとです。

一方でそれに反対する人たちがいました。主にドイツ音楽をよしとする人たちですが、その一人に安部幸明がいました。面白いのは、安倍幸明は実は軍人の家に生まれたという点であり、しかも父は日露戦争で武勲がある人でした。普通なら音楽をそもそも目指さないはずですし、仮に目指したとしても、むしろチェレプニン派になったであろうはずが、それに反対する意見を持つ人となったからです。

それには、彼が音楽に触れたのが父の転勤で住むことになった松戸にてであったということが大きいでしょう。千葉の内陸部は習志野や松戸など、陸軍に関係する町が多いのですが、一方で東京に近いことや、我孫子白樺派の町であったことなどから、アカデミックなものが流入する土地柄でもありました。

そこで彼は音楽に触れ、がちがちの陸軍軍人であった父の大反対を押し切って音楽の道へと進むことになります。恐らく、安部氏の反チェレプニン派の姿勢は、こういった父との関係が深く関わっているものと想像します。

だからと言って、日本の文化に対して、ネガティヴなのかと言えば、そうではありません。安部氏は戦後、宮内庁楽部の指揮者を務めています。宮内庁楽部は基本的には雅楽を演奏する部門で、そのメンバーが西洋音楽も演奏するというスタイルを、現在に至る迄とっています。ですので、日本の旋律に触れないってことは、彼の人生でなかったのです。むしろ、楽部の職に就いている間は、雅楽を聴く機会が多かったと言えるでしょう。

ですから、安部氏も日本の文化が大事だと思っているわけですが、だからと言って、自らの作品に使うかと言えば別なわけです。ただし、オスティナートなどを巧みに内包させています。それはむしろ、戦前に出会ったオルフの音楽が大きいのです。

少なくとも、ネットあたりで調べる限り、安部氏が所謂日本国民楽派に対してかなりネガティヴなのは戦前であり、戦後はそれほどでもないようです。実際、オスティナートは伊福部昭も得意とした表現方法ですし、様式的に安部氏と離れていたわけではないからです。

そういったスタンスに立つ安部氏の作品は、基本的に古き良き西洋音楽の残滓であると言っていいでしょう。調性を重視し、古典様式に立脚するといったものです。それは当時の前衛音楽である無調音楽とは、一線を画すものでした。

まず、交響曲第2番は1957年に完成した作品ですが、不協和音多用ですが様式的にはソナタ形式の範疇にあり、調性もあります。ただ、この時代の作品同様。主調がないため作品に調性の記載はありません。しかし、各楽章の調性は存在しており、実際3楽章の内第2楽章と第3楽章は旋律線がはっきりしています。

交響曲第1番 (安部幸明)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E5%AE%89%E9%83%A8%E5%B9%B8%E6%98%8E)

さらに注目なのが、3楽章制を採っているということです。これは明らかに、当時の潮流から自由でありたいという、安部氏の考えが私には見えてきます。

続くアルトサキソフォンとオーケストラのための嬉遊曲は、1951年に完成した作品で、交響曲第1番よりもさらにはっきりと旋律線がはっきりしており、調性音楽となっています。近代の楽器であるサキソフォンで古典的な、まるでモーツァルトか前期ロマン派かと見まごうばかりの、気品を持ちつつ優雅な作品を作曲するあたりに、安部氏のスタンスがはっきりと見て取れます。

最後がシンフォニエッタですが、1964年に作曲された作品です。勿論、シンフォニエッタですから基本交響曲という事になりますが、これは4楽章制を採っています。シンフォニエッタではなくシンフォニーであっても可笑しくありませんが、がちがちの交響曲でありながら、言葉通りに軽妙な音楽となっており、肩が凝りません。しかし、三楽章制などを採用する安部氏のことですから、もう少し斜に構えた何かが隠されていると考えるのが自然でしょう。主張するというよりは、むしろ知を楽しむという感じでしょうか。

こういった作曲家がいることは、日本のクラシック音楽界においてとても重要なことだと思いますが、そういえば、佐村河内氏問題があった時に、安部氏の作品が出てこなかったのは、いまだこの国では無調音楽こそ最先端なのであるという考えが強いのだろうと思います。政治的にカテゴライズを無理やりすれば、安部幸明は明らかにリベラルだと思いますが、それでも隅に追いやられるという状況(しかも、無調音楽がソビエト共産党に弾圧されたことで自由を象徴している状況)において、愚直に自らの姿勢にブレがなかった安部幸明を、もっと再評価してもいいのではと、聴いて率直に思います。

海外で再評価が進んでいるというのは、これらの作品がつまりはコスモポリタンだからなんだろうと思います。演奏しているのはナクソス日本作曲家撰集シリーズではおなじみの、ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィル。アルトサキソフォンはアレクセイ・ヴォルコフ。チャイコフスキーショスタコーヴィチなど、古典的な作曲家も多い国のオケが、日本のコスモポリタニズムの作品を演奏するとどうなるかというこのアルバムは、素晴らしく知的で楽しく、かつ喜びに満ちている演奏であると思います。まるで日本人の作品だろうかと見まごうばかりの作品を、自然に音楽の使徒として演奏し、聴き手に伝えようとしています。それはまさしくすがすがしく、聴いていて気持ちがいいものです。

日本がかつて実効支配していた満州国にあった、満鉄(南満州鉄道)は、実はコスモポリタンが多かったことで知られています。戦後、満州国がなくなり引き上げてきた旧満鉄の社員たちは、日本の政治・経済組織に入り、その中で手腕を発揮しましたが、それ故戦後日本社会はコスモポリタンであり、クラシック音楽以外では調性音楽が好まれているという一つの理由でもありましょう。むしろ、そういった人たちには、安部氏の作品は受け入れられやすいように思います。ゲーム音楽にも近く、それでいて知的なこれらの作品を、しっかりと演奏しきっているオケは、さすがです。なるほど、ロシアを代表するだけのオケだと思います。





聴いているCD
安部幸明作曲
交響曲第1番
アルトサキソフォンとオーケストラのための嬉遊曲
シンフォニエッタ
アレクセイ・ヴォルコフ(アルトサキソフォン
ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
(Naxos 8.557987J)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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