かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:松村貞三 交響曲集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は元音源ナクソスの、日本作曲家シリーズ、松村貞三の交響曲集を取り上げます。

神奈川県立図書館には、ナクソスの該当シリーズがそこそこあるのです。買うよりも借りてきたものもある程度ありますし、すでに幾つかは取り上げてもいます。

その中でも、また特徴的なのが、この松村貞三氏であると言えるでしょう。

松村禎三
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9D%91%E7%A6%8E%E4%B8%89

氏の作品の原点は、学生時代に罹患した結核の経験であろうと思います。ここに収録されている3つの作品には、とにかく一点を見つめていく姿勢が凝縮されています。また、松村氏自身も、一点から展開していくのだと述べており、それが実は最初の2つの作品とも関連しています。

まず、交響曲第1番ですが、1965年に作曲された作品で、時代の影響を受け不協和音は多用され、和音は何処へ行ったという作品ですが、3楽章形式を取るのです。単一楽章でもいいはずですが・・・・・

交響曲第1番 (松村禎三)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E6%9D%BE%E6%9D%91%E7%A6%8E%E4%B8%89)

では、なぜ3楽章なのか?ウィキにも、そして元音源のCDについている解説でも触れられてはいません。しかし、推測することは十分できるように思います。西洋音楽が複数の旋律から構成されることが多いことのアンチとして、一点から展開していくのですが、それは西洋音楽の法則に囚われることから自由になることを意味します。

以前から私は、3楽章という楽章構成を作曲家が選択するときには、その背景として「自由」があると述べていますが、この作品でも同じことが言えるでしょう。私も西洋音楽は好きなので否定はしませんが、しかしそれには法則もあるのは事実です。そして、その囚われでは表現できないものもあることも知っています。その囚われから解放されるために、日本的なもののみならず、その源流である東南アジアやインドへと松村氏は至るのですが、その「囚われからの解放」という「自由」をテーマとして掲げるために、3楽章形式を採ったと私は考えます。

西洋的なものからも、そしてともすればナショナリズムに陥る可能性もある日本的なものからも解放されるため、インドへと至った松村氏の姿勢・・・・・それを、ベートーヴェン以来の交響曲の伝統である、弁論的な性格に反映させるために掲げたテーマが、私は「西洋音楽からの解放」ではなかったかと思います。それを暗示するために、3楽章である、と。つまり、西洋音楽と境界線を引いた作品であると言えるでしょう。

第2番ではその傾向はさらに強くなります。完成は1998年ですが、幾度も手を入れ、最終的な完成は2006年、この音源が録音されるためになされた改訂によってでした。

交響曲第2番 (松村禎三)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E6%9D%BE%E6%9D%91%E7%A6%8E%E4%B8%89)

ウィキの説明には、大切な部分が抜け落ちてしまっています。それは、この作品を作曲するときにインスピレーションを受けたのが単なる金剛力士像ではなく、興福寺と指定があることなのです。

では、その興福寺金剛力士像とは、どんなものであるかをまず説明しなくてはならないでしょう。

http://www.kohfukuji.com/property/cultural/091.html

え、何か違うような・・・・・もっと巨大で、堂々としていますよねという、ア・ナ・タ。それ、東大寺南大門の金剛力士像と勘違いしておられます。

http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/todaiji/todaiji-nandaimon.htm

しかし、二つとも鎌倉時代に活躍した、慶派仏師によってつくられたことには変わりないのです。だから勘違いを起こしても不思議はないんですが、しかし、松村氏は敢えて「興福寺金剛力士像」と言及しているのです。京都出身で、その京都でも寺院が多い下京区仏光寺通室町西入ルで生まれ、少年時代までを過ごした松村氏です。東大寺ではなく、興福寺のものを見てとわざわざ言及しているのには、当然ですが「興福寺の」ものを見てのインスピレーションであり、単に自分が見たことを頭の中でまとめてファンタジーにしたというわけではないという事を意味するのです。

なぜ私がそこにこだわるかと言えば、当然ですがそれは作曲の過程において、作品の構成と無関係ではないからです。東大寺興福寺とを見比べて、気が付いた点は、読者の皆さま、ありますでしょうか?

私は大学時代、古美術研究サークルに所属していたので、その差ははっきりと述べることができますが、東大寺はとかく堂々とすることに重きが置かれていますが、興福寺はとにかく躍動感と、その存在感です。

松村氏が作品で表現したかったもの、それは興福寺金剛力士像の躍動感と存在感だと言えるでしょう。第1楽章では躍動感に焦点が当てられ、そして第2楽章では存在感に焦点が置かれ、第3楽章ではそれらが混然一体となって、立体である仏像を、音楽で表現していくのです。

この作品は京都出身である松村氏らしいなあと思います。その逆を、仏像で持って表現したものが京都にはあるからです。それが、東寺講堂の諸仏像です。

http://www.toji.or.jp/mandala.shtml

立体曼荼羅といわれるこれらの諸仏像は、絵画である曼荼羅を彫刻という立体で表現したものです。それを同じことを、松村氏は逆に立体を音楽で表現してみせようとしたわけです。仏像からインスピレーションを受けるのは当然であると言えるでしょう。

勿論、それは西洋音楽の伝統から受け継がれているものでもあります。例えば、ドビュッシーが幾多のピアノ作品を絵画からインスピレーションを受けて作曲したように。しかしそれだけでは、なぜこの第2番も3楽章なのかの説明にはなり得ないでしょう。ここからは私の論ですが、ドビュッシーはあくまでもフランスバロックにその原点を求めました。その意味では、愛国心に囚われているのです。一方で松村氏は、日本的なものすらとっぱらって、仏像の源流であるインドへと想いを馳せています。愛国心からの解放という「自由」を表現するため、3楽章を採用したと言えるのではないかと思います。

その松村氏の想いが凝縮された作品が、最後に収録されている「ゲッセマネの夜に」だと言えるでしょう。おや、ゲッセマネとは、仏教ではないのですかというア・ナ・タ。素晴らしいです!そう、ゲッセマネは、イエスを裏切るユダが、そのイエスに接吻をしたあの夜の事、なのです。

この作品は2002年にオーケストラ・アンサンブル・金沢のために作曲されましたが、その時松村氏はキリスト教の洗礼を受け、仏教にすらこだわることを辞めていたのです。インスピレーションを受けたのはジョットの「ユダの裏切り(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)」です。

■ ユダの裏切り(スクロヴェーニ礼拝堂壁画連作)
http://www.salvastyle.com/menu_gothic/giotto_giuda.html

この絵画はとてもキリスト教的ですが、その絵画を表現するのに、あえて今度は今まで自分が表現してきたものを使っていくのです。キリスト者である自身が、キリスト教にこだわらず、あえて仏教を表現してきたものを採用していく・・・・・しかし、そのテーマは仏教ではない。そこに、松村氏の創作世界が広大に広がっているのです。

ともすれば、コスモポリタン的な作品がここには並んでいますが、おそらくその影響は伊福部ら戦後日本をけん引した作曲家達だけではなく、スクリャービンなど20世紀前半に活躍した作曲家達もなのではなかろうかという気がします。

演奏しているのは、湯浅卓雄指揮アイルランド国立交響楽団。ピアノは神谷郁代。アイルランド国立響の、ナクソスでは珍しいダイナミックな演奏は、松村氏の作品に様々な顔があることを教えてくれます。一つから多声的な性格が与えられているこれら3つの作品を、自家薬篭中のものとして演奏しているは素晴らしく、この作品は果たして日本人の手によるものなのかと錯覚してしまうくらいです。

そう、コスモポリタンなのですね。そこをしっかりと認識して生き生きと表現しているのはさすがです。ピアノも臆することなくオケと対当し、それでいてオケを引き立てることに成功しています。それが作品の魅力を十分伝えてくれます。

元々、日本のオケの演奏してきたこれらの作品ですが、コンサートピースに乗ることは少ないです。もう少し乗っていもいいのではないかなあと、海外オケが演奏するのを聴きますと思います。戦後は悪い時代だとよく言われますが、そんなことはありません。これだけのコスモポリタン的作品が書かれ、そしてこうやって海外オケによって演奏されることで、全世界に日本の誇りが拡散していくことの、どこが悪い時代なのでしょうか。

松村氏の作品を理解するには知性が必要ですが、私達日本人には広大な知性の世界があることを、全世界に知らしめてくれたこの演奏に、私は拍手と感謝の言葉を送りたいと思います。




聴いている音源
松村禎三作曲
交響曲第1番
交響曲第2番
ゲッセマネの夜に
神谷郁代(ピアノ)
湯浅卓雄指揮
アイルランド国立交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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