かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:コア・アプラウス2014演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は平成26年12月7日に聴きに行きました、コア・アプラウスの演奏会を取り上げます。

まあ、あんたも好きねえと言われるかもしれませんがー

好きですから、仕方ありません。この合唱団は本当に実力ありますからねえ。だから当然ですが、「ちょっとだけよ〜」とはなりません(って、カトちゃんか!って突っ込まないでください)。

さて、今年はオールシューベルトプログラム。私がコンサート評で取り上げるせいなのか、編集面でかなり考えた路線に変ってきているように思います。

�@シューベルト 交響曲第7番ロ短調「未完成」D759
�Aシューベルト マニフィカート ハ長調D486
�Bシューベルト ミサ曲第5番変イ長調D678

シューベルトの声楽曲ではそれほど長い作品はないという事情もあるかと思いますが、それでも、こう並べてどう思いますでしょうか?私などは、かなりニヤリって感じですよねー。

未完成はクラシックファンであれば、たいてい知っている作品ですが、後の二つはそうでもないでしょう。ところがです、実はその二つ、このブログで取り上げているんです。

今月のお買いもの:シューベルト ミサ曲第5番変イ長調D678他
http://yaplog.jp/yk6974/archive/695

いやあ、この二つを採り上げるときいて、正直びっくりしました。しかも、マニフィカートは後から追加したとのこと。となると、この選曲は・・・・・

おや、これは私の自意識過剰でしょうか、純情愛情過剰で異常、ってところですかね(って、キョンキョンか!って突っ込まないでください)。でも、私としては、それは私のブログを見て決めたでしょ!って言いたくもなります。

まあ、演奏時間を埋めるには、適当な選曲だったとは言えるんですけどね。でも、シューベルトはマニフィカートのような作品をいくつも作曲しています。であれば、何もマニフィカートにしなくてもいいわけですから。それを後からマニフィカートを追加するってことはですよ、そりゃあ、それには理由ってものがあるってものです。

ここらで演奏についてと参りましょう。まず、未完成。特に冒険をしない解釈でした。もともと砂川先生が声楽家であるからなのか、とてもふくよかでつやのある演奏でした。フレージングも伸びやかで、歌曲王シューベルト交響曲であるということを、私達に示してくださいました。

テンポもゆったりとしていて、急いでいる点もなく、落ちついていたのも好印象でした。そのほうが砂川先生の芸術性が滲み出るように思いました。

次に、マニフィカート。合唱のとても力強いこと!そして、毎年男声が少なく人員のバランスは悪いのですが、よく頑張っているように思います。今年はトラが少なかったとのことですが、私も見ていて今年はトラ(つまりエキストラ)が少ないのに、よく男声が聴こえるとびっくりしました。かなり練習したのだろうと思います。え、飲み会ついでにって?・・・・・稲見先生の御体も考えてくださいねー。アルコールの摂りすぎは脳に悪影響を及ぼしますから。

そして、ミサ曲第5番。この作品のむずかしさは、すでに上記エントリで述べていますように、前奏がない部分があることです。そのあたりが本当に秀逸なんですよね、何時聴いても。ほれぼれします。なかなかできることじゃないですよ、これ、本当に。常に語っていますが。上記エントリから引用させていただきます。

「帯には「最も美しく創造的」という評価だという記述がありますが、確かに創造的であるなあと思います。それがよくわかるのがクレド。前奏が金管によってなされてますが、これがファンファーレなのですね。いやあ、これは歌いだしが難しいです。

前奏というのは、その後に続く合唱のテンポを規定する役割を持っています。それがファンファーレだと、その役目を果たすことにならないのです。ですから、合唱はタクトだけを信じて出るしかないのです。」

にも関わらず、なのです。指導されているソプラノ・ソロの稲見先生の前を向きつつ不安そうな顔と言ったら!でも、合唱団はよくアンサンブルしていたように思います。途中、クレドの「十字架につけられ」の前の部分、pあるいはppだと思いますが、そこで多少の乱れがあっただけで、後は力強く、しなやかな演奏を聴かせてくれました。

その稲見先生も、本当に伸びやか!マニフィカートでは合唱団のあまりの力強さにご自分もかなり力が入っていましたが、それでも、不安なく聴けたのは素晴らしかったです。ま、なるようになるしかないですからね、演奏って。自分より偉大な力にお任せするしかないですから。それが恐らく今回ほぼできていたのかな〜って思います。他のソリストでは、テノールが秀逸!軽くそして力強い発声は、男声注目です。もし何かの機会でまたお会いすることがあれば、技術的に盗めるものは何でも盗んで、真似していいと思います。

多分、上記エントリでご紹介したCDの合唱団と比べてもそん色ない演奏が実現したのではないでしょうか。その意味では、この演奏もまた、基準となるものでありましょう。あまたのアマチュア合唱団が続いて下さることを祈念します。

ちょっと話題を変えますが、この演奏を聴きながら、感じたことがあります。このところ、シューベルトの作品を聴くことが多いのですが、今回のコンサートを聴きながら、ふと思い出したが、ハルオケさんのプログラムで書かれてあった、シューベルトの人となりです。それをとても感じたのが、マニフィカートだったのです。

ミサ曲第5番でもあるのですが、オケは動き回り合唱団はとうとうと長音をうたいあげるという構造は、名作らしい作りだと思いますので、二つとも名作と言っていいと思いますが、恐らく世間でそういう評価になっていないのは、その声楽部分が殆どまさしく合唱であり、フーガがあったり、カノンがあったりというのが少ないせいだろうと思います。劇的というのも少し違いますし。

しかし、シューベルトが友人たちと、ともすれば下ネタあたりまでを和気藹々と話すような、とても人なつっこい人だったとすれば、そのような構造は必然なのではないか、と。

そして、シューベルトベートーヴェンと会った時に、魂の友であると言われたというエピソードがありますが、ベートーヴェンはどこに共通項を見いだし、魂(霊的)の友であると言ったのだろうかと、考えさせられました。飲兵衛で人なつっこい男声、そして毒舌ながら稲見先生にはついていく女声・・・・・なんか、コア・アプラウスがシューベルトのサロンに見えたのです。合唱団がとても生き生きしているように見えたので。

それが、冒頭の、のびやかで力強い演奏に繋がったのだとすれば、いい演奏に必要なものってなんだろうと思います。やはり、霊的な交流なのでしょうか・・・・・

そんなことを考えさせられた、いい演奏でした。次回は再来年1月にケルビーニのミサ・ソレムニス第2番。これもあまり有名ではない作品を採り上げるということで、是非とも足をはこびたいと思います。ただ、中大混声がメンデルスゾーンの「野に歌う6つの歌」全曲を、第九とセットで3年かけてやったような例もあるとだけ、述べておきたいと思います。




聴きに行ったコンサート
コア・アプラウス シューベルトの午後
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第7番ロ短調D759「未完成」
マニフィカート ハ長調D486
ミサ曲第5番変イ長調D678
稲見里恵(ソプラノ)
淀和恵(アルト)
山崎裕視(テノール
小川哲生(バス)
砂川稔指揮
サノン・フィルハーモニック管弦楽団
コア・アプラウ

平成26(2014)年12月7日、東京杉並、杉並公会堂大ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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