かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ヨアヒム編曲 ハンガリー舞曲

今月のお買いもの、平成26年7月に購入したものをご紹介していますが、今回はディスクユニオン新宿クラシック館で買いました、ハンガリー舞曲をご紹介します。

ハンガリー舞曲と言えば、言わずと知れたブラームスの名作です。名作と言っても、一応編曲扱いですから、作品番号はありませんが。

ハンガリー舞曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%88%9E%E6%9B%B2

管弦楽のほうで知っているって人、多いのではないでしょうか。しかしこの作品、元々はピアノ作品なのです。ブラームスがピアニストであるということを、如実に表している作品でもあります。

ただ、さらに大元の、ジプシーの音楽はと言えば、ヴァイオリンやアコーディオンということが多いのですね。

ロマ音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E9%9F%B3%E6%A5%BD

当然ながら、ブラームスが出会った実際の音楽も、少なくともピアノってことはあまり考えづらいわけでして、となると、編曲とは言え、やはりブラームスの「香り」が色濃く反映されている作品ではある訳です。

それを、ヨアヒムがヴァイオリン・ソナタにしてみた、というわけです。

ヨーゼフ・ヨアヒム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A0

もともと、名ヴァイオリニストであり、さらにはブラームスのヴァイオリン協奏曲でも指南役を務めるなど、当時ヴァイオリニストとしてだけでなく、オーソリティとして名声を博していた人物の、編曲の編曲なんですね。

だから買ったのです。名曲は図書館で借りる、という方針に則って、普通の「ハンガリー舞曲集」を買うってことは先ずは考えずに、此方を買ったというわけです。

とは言え、感のいい方はわかっていらっしゃいますが、実は私はハンガリー舞曲集は管弦楽のものしか取り上げておりません。

マイ・コレクション:ブカレスト・フィルのブラ4とハンガリー舞曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/633

ですから以前から、ピアノのが欲しかったのです。が、その前にこの編曲を買ってしまったのでした・・・・・

それにも伏線があって、図書館でハンガリーの音楽のCDを借りていたということもあるのです。で、ハンガリーの民衆音楽で主役なのは、ヴァイオリンです。となると、このヨアヒムの編曲は、実にハンガリ舞曲集としては、意義のあるものと考えられるわけなのです。ブラームスによってピアノ曲と生まれ変わった「チャールダ―シュ」を、再びクラシック音楽の視点でヴァイオリン音楽として「復活させた」訳だからです。

むしろ、管弦楽も含め、ハンガリー舞曲集が編曲のほうがよく知られているというのは、そもそもがチャールダ―シュがヴァイオリンで演奏されることが多いからではないか、という気がするのです。編曲も、チャールダ―シュに近い編成のものが採用されていることにも、注目すべきだと思っています。

実際の演奏を聴きますと、ヴァイオリンの甘い音色が音楽に抜群に似合っているんですね。それをしっかりと寄り添って支えるピアノ。ヨアヒムの編曲はまさに、二重奏であるのにまるでオーケストラであり、そしてチャールダ―シュの香りがするのです。

実はカップリングで、ヨアヒムのヴァイオリンとピアノのための作品が2曲収録されていますが、後期ロマン派の、豊潤な香りがたっぷりで、素晴らしい作品です。その能力をして、ハンガリー舞曲がまるで生き返ったかのように、生き生きとしているのには目をみはるものがあります。

ブラームスがピアノ音楽にした当時、様々な議論が沸き起こったのでしたが、その背景として、ナショナリズムは避けて通れないと思っています。排他的なものではなく、むしろ自国のものに誇りを持っているからこその他国の文化への尊敬。ブラームスのものが果たしてその尊敬の念を持っているのかという、問いかけが、いくつものヴァージョンを生むきっかけになっているように、私には見えるのです。

ブラームスという作曲家のいい点は、他の文化を自家薬篭中のものとして自作に表現できるという点です。それは視点を変えれば、ともすればそのオリジナルを超越して、オリジナルがかすんでしまうということもあり得るという事なのです。実際、ハンガリー舞曲集だけでなく、作品番号が付いている作品では「運命の歌」でそれをやっています。

運命の歌 (ブラームス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)

マイ・コレクショ:ヘルダーリンという狂気を音楽にした一枚
http://yaplog.jp/yk6974/archive/521

それはそれで、素晴らしいものなのですが、ナショナリズムという視点で見た時、疑義が出てくるということでもあるのです。それに一つの回答を示したのが、このヨアヒムの編曲である、と言えるでしょう。では、チャールダ―シュがそうであるように、ヴァイオリンを中心に表現してみたら、どうなるだろうか、という・・・・・

それもそれで、素晴らしい作品に仕上がったということです。私たちはそのどちらも、全く偏狭なナショナリズムに左右されることなく聴けることは、とても幸せなことであると思います。それに感謝しつつ・・・・・

聴いていたいと思いますので、この辺で。




聴いているCD
ヨハネス・ブラームスピアノ編曲、ヨーゼフ・ヨアヒムヴァイオリン編曲
ハンガリー舞曲集
ヨーゼフ・ヨアヒム作曲
アンダンティーノ イ短調
ロマンス 変ロ長調
マラト・ビゼンガリエフ(ヴァイオリン)
ジョン・レナハン(ピアノ)
(Naxos 8.553026)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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