かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの;メンデルスゾーン 聖パウロ

今月のお買いもの、今回は銀座山野楽器本店で購入しましたメンデルスゾーンの「聖パウロ」をご紹介します。マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他の演奏です。

パウロは、メンデルスゾーンのオラトリオです。メンデルスゾーンはオラトリオを2つ完成させていますが、そのうち「エリア」に関しては以前ご紹介しています。

ykanchan.hatenablog.com



この時にも触れていますが、メンデルスゾーンのオラトリオを理解するときに大切なのは、彼の家の宗教遍歴なのです。

フェリックス・メンデルスゾーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3

元々ユダヤ教であったのを、プロテスタントへ改宗しています。これが、メンデルスソーンの人生に大きな影響を与えることとなりました。「エリア」だけではなくこの聖パウロでも、いやエリア以前にこの聖パウロですでに、出ているのです。

いや、その影響によって成立したというべきでしょう。作曲の着手は1831年か32年と言われており、それはまさしくメンデルスゾーン自身のバッハ「マタイ受難曲」の復活演奏がきっかけとなっています。

実際、この作品はテクストが聖書から取られており、曲の内容としては以下のウィキのパウロの記述と殆ど変りません。

パウロ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD

2部構成となっており、その様子は以下に詳しく載っています。作曲の背景などもこちらのほうが詳しいので、是非ご一読ください。

湘フィル通信ブログ版
オラトリオ「聖パウロ」覚書2
http://sho-phil.com/report/2012/04/post-17.html

オラトリオで表現されているのは、パウロがイエスと出会ったことに最初の殉教者となった、聖ステファノのまさしく殉教から始まります。そしてそれに便乗して教会を荒らしまわり、キリスト教徒を皆殺しにするところからパウロが登場します。しかし、これだけでは単なるドラマです。実は、その聖ステファノとパウロとは密接な関係にあります。つまり、二人ともキリスト教を布教したことで迫害を受け、殉教したという点が共通しているのです。

そのテクストでもっとドラマティックにパウロの改宗から殉教までをメンデルスゾーンは描きたかったようですが、実際には後半部分はかなり削除されてしまったようで、確かに後半パウロが布教に赴いて行く様子からはドラマ性が少しかけ、淡々とした様子に変わります。しかし、その淡々とした様子がまた緊張感を生み、最後の殉教までを描ききることに成功しています。

コラールは実際にバッハがやったのと同じ手法で使われており、一見するとバロックかと思わんばかりですが、それ以外の部分は前期ロマン派の音楽で貫かれています。それ故、特に前半はドラマティックです。

湘南フィルハーモニー合唱団さんのブログでも触れられていますが、この作品が成立する直接的な原動力として、ライプツィヒという町と、メンデルスゾーンの父の希望という2点が挙げられます。この二つはこの作品の核心とも言うべき部分と密接な関係を持っています。それこそ、バッハと改宗という2点なのです。だからこそ、私は上記で「メンデルスゾーン自身のバッハ「マタイ受難曲」の復活演奏がきっかけとなっています。」と述べ、さらにエリアのエントリを再掲したわけなのです。

そもそも、彼がマタイの復活演奏へと動かされた理由として、彼の改宗という事実とそれによる彼自身が受けた影響を見逃すわけにはいきません。そのため、彼はこのテーマを音楽にする機会をうかがっていたようです。その途中でオペラも作曲しようとしていたようですが、それは実らず、オペラが一作も残されていない代わりに、二つの素晴らしいオラトリオが残されることとなりました。「聖パウロ」はその記念すべき第1作です。

この作品では後半本来なら劇的になる部分を、バロック的なレトリックを使うことで何とかつじつま合わせを行っていますが、しかしそれは真っ直ぐエリアへと繋がり、結実しているなと感心しました。エリアではその淡々とした様子が本来相いれないはずのドラマティックさになっており、「聖パウロ」ではしきれなかった反省点を見事に修正し、さらに素晴らしいものへとしている点は脱帽です。

では、この作品はエリアと比べると劣っているのかといえば、それほど劣っているとはおもいません。むしろ、エリアではやらなかった工夫もみられます。前半イエスと出会う場面では、イエス役に児童合唱を当てています。イエスというか、むしろイエスの代わりの天使という形で語りかけています。その上でエリア同様、イエスの代わりに布教し福音を広めていくパウロには、バスを当てるなどバロックに範を取った手法も見られます。この点からも、彼のバッハ・リスペクトが見られる一方、先進性も見て取れるので、すでにエリアの構成が完成しているとも言えましょう。

演奏面では、マズアとオケが大先輩の音楽監督である作曲家へリスペクトしつつ、のびやかな演奏を見せています。それが「情熱と冷静の間」の絶妙なバランスとなって、私たちをまさしくステファノとパウロという、二人の聖人が殉教した時代へと連れて行ってくれます。歌詞を読めば自然とそのドラマのなかへと引きずり込まれ、しかし冷静に傍観して、自らの行為は果たして「義」なるや?と問わずにはいられなくなります。軽めの合唱は時として力強く、時として柔らかく、オケも一緒にアンサンブルして、さらにその効果を高めています。

そう、私はメンデルスゾーンの二つのオラトリオのメイン・テーマは「義」だと勝手に考えています。パウロは果たして本当にキリスト教徒を殺すことを本気で「義」だと思っていたのでしょうか?もしかすると、そうではないかもしれない・・・・・

こういった音楽を聞きますと、聖書の該当部分を読みたくなります。それについてはまたこう書いていましても様々なことが浮かんでは消えていきますので、近日中に「想い」で述べたいなと思っています。この作品のこの演奏を聴いて、ふつふつと湧き上るものを押さえることが出来ません。久しぶりにコラムでいろいろ述べたくなってきました。



聴いているCD
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ作曲
オラトリオ「聖パウロ
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ�T)
ローゼマリー・ラング(ソプラノ�U)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツテノール
テオ・アダム(バス)
ゴトハルト・シュティール(バス�T)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス�U)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:イェルク・ペーター・ヴァイグレ)
ゲヴァントハウス児童合唱団(合唱指揮:エッケハルト・シュライバー)
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(DECCA UCCD-4033/4)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。