かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:大バッハの息子達7

神奈川県立図書館所蔵CD、大バッハの息子達のシリーズも、今回が第7回目で最後となります。今回はヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハの登場です。

この人、本当にバロックなどが好きな人でないとあまり知られていないようです。実際、音楽史上でも他の息子たち以上に不遇な扱いとなっています。

ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

でもですね、私はではフリーデマンを評価するのなら、どうしてこのクリストフは評価しなかったのかなあと思います。

クリストフは、はっきりとバロックではなく古典派の作曲家と言っていいでしょう。父ヨハン・セバスティアンがなくなった年にビュッケブルクの宮廷に職を得ましたが、その時代はすでに音楽は多感様式、つまり前古典派とも言うべき時代へと移り始めていました。ハイドンが初の交響曲を作曲するのは、その4年後のことです。

ほぼハイドンと同年代だと言っても差し支えないでしょう。それが故に、評価されなかったとも言えるでしょう。バッハ的なもの、つまりバロックの気風なり、ヨハン・セバスティアンのような和声なりを感じないからです。

では、音楽は様式的に中途半端なのですかと言えば、そんなことはありません。通奏低音を演奏する楽器としてチェンバロが使われることがありますが音楽的にはハイドンなどに通じるものをしっかりと持っています。でも、不幸なことにその時代、もう一人彼の存在を薄くする存在がいました。モーツァルトです。ハイドンですら真似できない、強烈な個性でもって古典派に於いてベートーヴェンに次ぐ芸術性を交響曲にもたらしたモーツァルトの前では、前古典派的な音楽はすでに陳腐となってしまったのは致し方なかったことでしょう。

しかし、彼は決して先進性を取り入れなかったわけではありません。自分が何者であって、どんな作品を生み出すべきか、ハイドン同様理解していた作曲家です。少なくとも、音楽からは彼がわきまえた「分」が前面に押し出されています。

第1曲目は、彼晩年の作品である交響曲変ロ長調。ウィキにも記述がある作品です。

交響曲第20番 (J.C.F.バッハ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC20%E7%95%AA_(J.C.F.%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F)

古典的な交響曲の楽章構成と様式を持つ4楽章制の作品です。これは時代もあるでしょう。1794年に作曲された作品です。この時期はすでにモーツァルトもなくなっていて、時代的にはベートーヴェンの登場です。交響曲としてはいまだハイドンですが、モーツァルトから影響を受けてハイドン自身もまた作風が変化した時代で、まさしく大きく時代が変化していた時で、はっきりと音楽は古典派となった時期でもありました。それをこの作品でも踏襲しています。

だからと言って、誰かのまねのように簡単には思えないのが不思議なところで、むしろたとえば父モーツァルト、つなりレオポルトなどのほうが真似しているようにさえ思います。先達としてはシュターミッツの影響を見ることが出来るでしょうが、さらに洗練させ、軽快でかつ気品をもった作品に仕上がっています。

2番目と3番目の曲はともに3楽章の交響曲。これも時代ですね。しかも、3番目の交響曲ハ長調は何かの序曲のような構成となっており、モーツァルトがなぜそういった交響曲を作曲していたのかがうかがえる作品だと思います。

ウィキにもありますが、彼はとても器用だったのだと思います。それはこれら3曲からもしっかりと聞き取ることが出来ます。それゆえに誤解され、評価は低いものでしたが、しかし彼は父のように勤務にまじめに取り組み、古典派の時代にふさわしい、軽めでかつ気品にあふれた作品を生み出したのです。それはおそらく、当時の他の作曲家たちには大いに刺激になったことでしょう。大バッハの息子の作品なのです。興味を持たないほうがおかしいでしょう。モーツァルトのような抜きんでた人はともかく、他の多くの作曲家には影響を及ぼしていたであろうことは、逆に評価の低いこの文章から推測できます。

「「大バッハには息子が3人いる。クリスティアンカール・フィリップ・エマヌエル、そしてフリーデマンだ。(ビュッケブルクに4人目がいるが私はその中に数えたくない。はっきり言うと「バッハ的なるもの」がないのだから。)」

私はという言葉から、他の人は評価をしていたことが推測されます。しかし、後世はフリーデマン同様の低評価となり、クリスティアンカール・フィリップがかろうじて評価され、後期ロマン派ではついに父大バッハ以外は汚い言葉でいえば「クズ」扱いになってしまうのです。しかし、歴史は面白いものです。第1次世界大戦がまずその流れに待ったをかけたと言っていいでしょう。ベートーヴェンを祖先とする後期ロマン派から派生した国民楽派のような精神が一方でもたらした民族自決とそれによる戦争による災禍が、新古典主義音楽の勃興を誘引し、それはバッハや他のバロック期の作曲家へと目を向けるきっかけを作ったのですから。それが第2次大戦後、大バッハの息子達の再評価へと結びついていきます。

演奏しているのが、新バッハ・コレギウム・ムジクムというのがこの音源の一つの特色だろうと思います。コレギウム・ムジクムはそれこそ大バッハ管弦楽を演奏するときの団体でしたが、その名前を踏襲した、全く別の20世紀の団体です。

新バッハ・コレギウム・ムジクムによるモーツァルトの「ピアノ協奏曲集」
http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi2/article/14/

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが後に入ったという点が、この団体が目指したものをはっきりと示しています。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を創設したのは、バッハ再興運動の先頭に立ったメンデルスゾーンだったからです。私はメンデルスゾーンのエリアをとりあげたとき、こう述べました。

今月のお買いもの:サヴァリッシュ/N響の「エリア」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1027

メンデルスゾーンのイメージを日本人のどれほどが「保守」だと思っているでしょうか?左翼だと勘違いしていないでしょうか。メンデルスゾーンは「エリア」ではっきりと(いや、そもそもその前の「聖パウロ」ですでになんですが)、安易に流行、或いは新しいものに乗って行かないということを宣言しているのです。ブックレットにはそのあたりのメンデルスゾーンの言葉も載っていますので、この曲は出来るだけCDやDVDを買うことをお奨めします。

特に、前述しましたがエリア、つまりプロテスタントでいえばイエスに当たる存在にバスを当てることや、ヘンデルの楽曲に範をとるという、モーツァルトも「メサイア」の編曲でやったようなことをするというのは、明らかにバロック以来の伝統を大切にするという姿勢以外のなにものでもありません。これを保守と言わずして、なんというのでしょうか。メンデルスゾーンがマタイ復活演奏の時に「プロテスタントの音楽を復興したのが、他ならぬ自分のようなユダヤ人だとはね」という言葉は、メンデルスゾーンの心境を一言で表しているように思いますし、それを知りませんとメンデルスゾーンの音楽全体の理解を誤るような気がしてなりません。」

つまり、メンデルスゾーンは生存中からバッハなどのバロック作曲家に目を向けていました。その精神に立ち戻ることをはっきりと意味しています。リフレインでは小さくなっていますし、古典派らしく演奏されていて、彼らの美意識は古典派以前のものであることをはっきりと示しています。こういった演奏は私はとても重要であると考えています。それは新古典主義音楽によってもたらされた、現代音楽における新たな地平の重要性を、私たちに問いかけるからです。バロックに範をとってエリアが生まれ、それは後にワーグナーの立場では「ニーベルングの指環」や「パルシファル」といった楽劇へと昇華し、どちらかといえばそれとは距離を置いた作曲家たちは、フランスバロックなどを再評価し、或いはもっと自然なナショナリズムへと向かっていき、第1次大戦後に新古典主義音楽が花開くことに繋がっていくのですから。

そしてそれは、まさしく現代の音楽にもつながっています。複雑な現代音楽も、音楽史を俯瞰してみると、実に面白いものであるのだなと気づかされる点で、彼らの活動はとても重要であると考えるのです。



聴いている音源
ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ作曲
交響曲変ロ長調
交響曲変ホ長調
交響曲ハ長調
バークハルト・グレツナ―指揮
新バッハ・コレギウム・ムジクム



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