今回のマイ・コレは、ナクソスから出ているブルックナーのモテットです。ジョーンズ指揮、セント・ブライド教会聖歌隊の演奏です。
このCDを買いましたのは4年ほど前。ブルックナーのモテットが聴きたい!と思ったのがきっかけです。当時、ブルックナーは交響曲がもてはやされていましたが、合唱をやられている人たちにとって、ブルックナーと言えばモテットなのです。そしてそれは、30年ほど前から変わっていません。
逆にそのせいもあるのでしょうね、交響曲が好きな人たちにとっては、ブルックナーとはモテットだけという意識があったのが、ようやく交響曲もという忸怩たる思いがあるのでしょう。しかし、それが一方で今、ブルックナーのモテットを忘却の彼方へと押しやろうとしています。
それに、元合唱団員の私としては、異を唱えたい・・・・・そんな気持ちがあって、ブルックナーのモテットを買い求めたのです。
そもそも、ちょうどブルックナーの交響曲に興味を持ち始めていた時でした。たまたま、合唱団時代の友人と話す機会があり、「ブルックナーと言えばモテットなんだけれどねえ」という話になり、ではきいてみたい!という気になったのでした。そして、決定的だったのが、ウィキのこの文章です。
「ブルックナーは当時最も腕の立つオルガン奏者だった。」
アントン・ブルックナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
ということは、当然ですが、その基礎は教会音楽にあるわけなのです。つまりは、声楽、特にアカペラ曲ということになります。専門家もそうですが、多くのブルックナーファンが、この点をスルーしているなと感じたわけなのです。知っている人もいるかとは思うのですが、モテットまでに言及している人はほとんどいません。
なぜ、ブルックナーはベートーヴェンの第九に影響を受けたのか。それはそもそも、彼が教会音楽に触れていたからということが大きかったと思います。単にその時ワーグナーの音楽に傾倒していただけではないと思っています。
ブルックナーは比較的保守的な作曲家だと言われます。その基礎は、敬虔なローマ・カトリック信者であったという点に集約されるでしょう。その点をしっかりと触れていて、さらに合唱曲も挙げているウィキは、ブルックナーに関しては素晴らしい説明だと思います。彼の交響曲が神々しいのは、たぶんに私はこのモテットが基礎になっていると思うのです。
実は、モテットはブルックナーが生涯を通じて作曲をしています。ベートーヴェンにおける弦楽四重奏曲と同じ位置にあります。
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/bruck_f/motet.htm
時代的に、どうしても交響曲のほうに注目しがちなんですが、曲数としてはそれ以上、生涯を通じてモテットを作曲し、さらにはミサ曲も作曲をしているという事実に、私たちは目を向けるべきだと思います。その基礎があって交響曲が作曲されていますし、また交響曲の結果がモテットにフィードバックもされています。
その証拠が、殆どアカペラで歌われるモテットに、管楽器が使われていることです。8曲目の「おとめたちは王の前に招かれん」(1861年作曲)にはトロンボーンが使われています。これは明らかにモテットを材料として、さらに大編成の曲を書こうとするブルックナーの遺志を感じるものですし、オルガンを管楽器のように使うことで効果を上げている第10曲目「おおマリア御身はなんと美しく」(1878年)は、それまで作曲された7つの交響曲(ヘ短調〜第5番)の金管が反映されています。
そして、ブルックナーのモテットを聴く楽しみと意義は、なんといってもブルックナー終止の発展の跡をたどることが出来る点です。このナクソス盤は抜粋ですが、ブルックナーのモテットの歴史をたどることが出来るよう編集されていて、交響曲を聴くよりも手軽に学ぶことが出来ます。
交響曲の壮大かつ長大さからは想像できないくらい、モテットはコンパクトで演奏時間が短く作られています。それでいて、声部は複雑で、特に第11曲「エサイの枝は目をだし」やタントゥム・エルゴは、実は一度楽譜を見たことがありますが、歌いにくいなと感じました。なぜなら、教会旋法がその基礎になっているため、次の音が予測しにくいからです。しかし、決まりますと交響曲と同じかそれ以上に神々しい世界が一気に広がります。
このCDの合唱団が聖歌隊というのは、ナイスチョイスでしょう。教会旋法に慣れている聖歌隊であれば、アンサンブルが崩壊することはなく安心して聴いていられます。しかも高音部での透明な音質は、普通の合唱団ではなかなか難しく、さすが聖歌隊だとうならされます。
勿論、このナクソス盤と同じかそれ以上に素晴らしい録音はほかにもありますが、総合的には私はこのナクソス盤を推したいと思います。ブルックナーという作曲家がどういう人だったのかを知るために、とてもいい編集をしているなと感じるからです。
聴いているCD
アントン・ブルックナー作曲
正しい者の口は知恵を語る
この場所を作りたもうたのは神である
主よわれを解き放ちたまえ(ヘ短調、1854年)
アヴェ・マリア ヘ長調
見よ、大いなる司祭
王の旗は翻る
救いたまえ御身の民を(1884)
おとめたちは王の前に招かれん
パンジェ・リングァ(1868)
おおマリア御身はなんと美しく
エサイの枝は目を出し
私は僕ダヴィデを選び
すでに明るく星は昇り(1868)
タントゥム・エルゴ(ニ長調、1846/1888改訂)
キリストはわれのために死をつかせたもうた
マシュー・モーリー(オルガン)
ダニエル・ノーマン(テノール)
サイモン・ウィルス、リチャード・チェーザム、エイドリアン・レーン、スティーヴン・ソーンダース(トロンボーン)
ロバート・ジョーンズ指揮
セント・ブライド教会聖歌隊
(Naxos 8.550956)
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