かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:エルガー 宗教合唱曲集

今月のお買いもの、平成27年10月に購入したものをご紹介します。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスから出ているエルガーの宗教合唱曲集をご紹介します。

エルガーはこのブログでも何度か取り上げている作曲家ですが、合唱曲、しかも宗教合唱曲を取り上げることは初めてかと思います。

まず、エルガーという作曲家がどういう人なのかを、ウィキを再掲することで振り返ってみることにしましょう。

エドワード・エルガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC

19世紀から20世紀にかけて活躍したイギリスの作曲家です。プロムスで演奏される「威風堂々」の作曲家としてのほうが、日本ではわかりやすいかと思います。

しかし、単なる管弦楽作品作曲家ではなく、交響曲や協奏曲も作曲した人でした。そんな中、ふと棚をみれば、宗教合唱曲との文字が・・・・・

イギリスの作曲家たちは、たいてい合唱曲を作曲しているものです。今神奈川県立図書館所蔵CDでご紹介しているヴォーン・ウィリアムズもそうですし、アーノルドもそうでした。ホルストもむしろ本国では合唱曲作曲家として有名ですし、ブリテンも合唱曲を作曲しています。

合唱曲は、その源流が教会音楽であるため、作曲は一つのステイタスとも言えるジャンルです。そんな中で、エルガーよ、おまえもだったか!とすぐに手に取ったのがこのアルバムでした。

ウィキによれば、エルガーも教会音楽に親しんだ人でした。そのためか、エルガーも宗教合唱曲を作曲したのは、自然なことだったのかもしれません。

全部で13トラックありますが、曲としては大きく分けて10曲が収録されています。まず第1曲目が詩篇第29番「主に与えよ」。歌詞が英語なので始め違和感を感じますが、合唱団はきちんと「しゃべって」います。このあたりは素晴らしいところ。ま、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ聖歌隊なので、当然と言えば当然ですが。

で、この合唱団、実は以前神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーで、ハイドンのミサ曲を取り上げた時にご紹介しています。それだけ、力のある合唱団だと言えます。ただ、そのセント・ジョンズカレッジ聖歌隊であっても、高音部では苦労しています。それは実はそれだけ、エルガーの合唱作品は、難しさもあるということを意味しています。

幾つかの作品は、必ずしも英語の歌詞とリズムが一致していません。そのせいなのかもしれません。なぜなのかはわかりませんが、そもそもは彼が生まれた時、ローマ・カトリックで洗礼を受けているという点が言えるのかもしれません。つまり、ラテン語で歌詞を思い浮かべながら、作曲したけれども、歌詞は英語だった、ということです。

エルガーの生まれたイギリスは、基本的にイギリス国教会が「国教」、つまり国の正式宗教です。ところが、以前取り上げたルネサンス期の作曲家ウィリアム・バードもイギリスの作曲家ですが、カトリックです。実はエルガーも同じなのですね。そして、エルガーがバードとは異なりいくぶん不幸な点は、エルガーが生きた時代は、ネットが普及した今ほどではありませんが、情報の伝達がバードの時代よりは早かったという点です。

となると、今でもネットで炎上が起きるのと同様に、エルガーも非難の対象になる可能性がある・・・・・そのため、歌詞はラテン語を念頭に書くけれども、実際は英語ということもあったのではないかと、私は推測するわけです。それくらいしか、このような事態がお声りえないだろうと思います。

2曲目の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」からは、3トラックで収録されている作品の番号が一連であり、一つの作品であることを示しています。アヴェ・ヴェルム・コルプス、アヴェ・マリア、そしてめでたし、海の星と、いずれも作品2になります。しかし、その3曲では、歌詞とリズムに違和感がありません。とても素直な作品となっています。ですから、おそらく作品によってはラテン語を念頭に置いているのでは?と思うのです。

作品2と言えば、1887年と、エルガー駆け出しの頃の作品です。ウィキでは「3つのモテット」と表記されており、一連の作品になります。本当にすがすがしいモテットです。

次が、作品64の「耳を傾けよ」。作品番号が大きくなるにつれて、歌詞とリズムが必ずしも合わない作品が出てきますが、第1次大戦の影響なのでは?という疑問のある方もいらっしゃるかと思います。確かに、1曲目の作品74は第1次大戦の頃なのですが、例えばこの後ご紹介する作品57は1909年なので、必ずしも歌詞とリズムが合わないのは戦争による不安を理由にすることは出来ません。やはり、同じ不安や恐れであっても、国教会が宗教的に支配する中で、エルガーカトリックであったということにしか、理由を見出すことは出来ないのです。

4曲目はテ・デウムとベネディクトゥス、作品34。ベネディクトゥスはミサ曲ではサンクトゥスと遂になるものですが、ここではテ・デウムと対になっています。

5曲目は作品番号がない作品、「おお、救い主なるいけにえよ」。短いですが、静謐な作品です。

6曲めが、詩篇第48番「主は偉大なり」作品67。歌詞とリズムが比較的あっている作品で、美しさが魅力です。

7曲目がオラトリオ「使徒たち」作品49から、「主の精神は」。静謐な中にも、堂々としたものがある作品で、さすがオラトリオからの作品だと思います。

8曲目が「行け、私の歌よ」作品49。歌詞とリズムが必ずしもあっておらず、ラテン語を念頭に置いているかもしれないと私は推測する作品です。オルガンと合唱団とのバランスもよく、全体としてはよくできています。

9曲目がオラトリオ「生命の光」作品29より「七つの星を作る者を求めよ」。この作品もオラトリオからのものですが、歌詞とリズムが必ずしも合っていません。転用かも知れませんね。オラトリオだけに、この作品も堂々としています。

最後10曲目はこれも同じオラトリオ「生命の光」から「世界の光」。これは歌詞はリズムと比較的あっており、かつ堂々としています。オルガン伴奏だと静謐さが備わっており、原曲ではどうなのだろうと、エルガーのオラトリオに興味を持たせる作品です。

これらの作品がすべて、伴奏はオルガンのみです。それと合唱団とのバランスが絶妙!聖歌隊だからこそ、オルガンでならばバランスがいいのかもしれませんが、それと録音のロケーションがセント・ジョンズ・カレッジのチャペルであるということもあるのでしょう。となると、使用オルガンは当然ですが、当該チャペルのものであるわけで、日ごろ慣れている場所、楽器、編成であるということがうかがい知れます。当然ですが、エルガーもそういった場所で演奏されることを念頭に、収録作品の殆どは作曲したはずで、エルガーが作品に込めた祈り、希望、畏れなどが、素直に聖歌隊を通じて現出されているのではないかと思います。

聖歌隊ものびのびとしており、喜びに満ちているのが印象的です。イギリスの聖歌隊は、ルネサンスから20世紀まで、多くのレパートリーがあって幸せだよねえって思いますし、実際、演奏からはその幸せが滲み出ています。

どんなに逆境であっても、後の人たちのための作業をする・・・・・こういった作品を聴きますと、自分はどう生きればよいのかと、振り返らせてもらえるので、幸せです。なぜなら、これらの作品は、イギリス国教会が強いイギリスにおいて、カトリックの作曲家が残した、正にマイノリティによる作品だからです。




聴いているCD
エドワード・エルガー作曲
詩篇第29番「主に与えよ」作品74
3つのモテット 作品2
 アヴェ・ヴェルム・コルプス 作品2-1
 アヴェ・マリア 作品2-3
 めでたし、海の星 作品2-3
詩篇第5番「耳をかたむけよ」作品64
テ・デウムとベネディクトゥス 作品34-1、34-2
おお、救い主なるいけにえよ 作品番号なし
詩篇第48番「主は偉大なり」作品67
オラトリオ「使徒たち」作品49より「主の精神は」
行け、私の歌よ 作品57
オラトリオ「生命の光」作品29より「七つの星を作る者を求めよ」「世界の光」
ジョナサン・ヴォーン(オルガン)
クリストファー・ロビンソン指揮
ケンブリッジ大学セント・ジョンズカレッジ聖歌隊
(Naxos 8.557288)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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