かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第4集を取り上げます。

収録されているのは、交響曲第5番、映画「イギリス女王エリザベス」より三つの肖像画、そしてバス・テューバ協奏曲です。

まず、交響曲第5番ですが、1938年から1943年にかけて作曲された作品です。第4番の不協和音多用からは少し離れて、より旋律的な作品に回帰していますが、映画音楽的なものとは離れていますし、第4楽章ではパッサカリアも採用するなど、伝統を意識もしている作品です。

交響曲第5番 (ヴォーン・ウィリアムズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA)

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲は全体としてホンワカしていることが多いのですが、それよりも透明感がありなおかつ不協和音もピリリときいていて、おいしいそばを食べているような気がします。粋ですねえ。

第2楽章は献呈されたシベリウスの音楽らしい部分もあり、また全体としても静謐です。第4楽章最後も静かに終わりますし、しかも終わったのかもわからない終わり方をしており、旋律的ではありますが決して通常の終止になっていないのが特徴です。旋法的というか、結果旋法的になっているのかなという気がします。

それよりも、もっとごった煮というか、何でもありというイメージが私にとっては強い作品です。20世紀の交響曲の特徴をしっかりと持ちながら、どこかに伝統をしこませている・・・・・その結果、様々な要素が入り込んでいる、ユニークでかつ静謐な、凛とした雰囲気を漂わせる作品になっています。

シベリウスはこのころから、祖国の風景に自分の内面を投影させた作品を書きはじめますが、ヴォーン・ウィリアムズもそうなのかは私にはわかりかねます。ただ、第1次大戦の従軍経験があるヴォーン・ウィリアムズとしては、作曲中に勃発した第2次世界大戦を、やや不安をもって受け止めていたことは想像できます。しかし、この作品からはあまりそれを受け取ることは出来ません。

ですから、この作品と戦争を結びつけるのは早計だろうと思います。勿論、ヴォーン・ウィリアムズは愛国的作品も書いているのですが、不安を持っているはずですが、その不安をあまり交響曲には反映させていないとだけは、言えるかと思います。

二つ目の「イギリス女王エリザベス」より三つの肖像画は、同名の映画音楽を再編成した作品です。誠に旋律的なこの作品は映画音楽らしいですが、その中にも陰影が入っていたり、不協和音をうまく入れ込んでいます。作曲が1955年ですから当たり前かも知れません。旋律的からもまたあからさまな不協和音多用からも距離を置くヴォーン・ウィリアムズ独特の世界が、旋律線をより前面に出すことによって実現されています。

最後のバス・テューバ協奏曲は、1954年に作曲された作品で、上記「イギリス女王エリザベス」より三つの肖像画が映画音楽として完成された年の前年に作曲されています。此方はどちらかと言えば不協和音を前面にだした作品で、楽章構成は古風ですが、時代というものを色濃く反映した作品です。

チューバ協奏曲 (ヴォーン・ウィリアムズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA)

ウィキではテューバ協奏曲となっていますが、正式にはバス・テューバのための協奏曲です。ただ、注目はその正式名称よりも、管楽器の協奏曲という点だと思います。20世紀に入って殆ど顧みられなくなった金管楽器のための協奏曲ですが、バス・テューバというあまり顧みられない楽器をソロにして、あまり顧みられなくなった金管楽器による協奏曲を作曲すると言う点に、ヴォーン・ウィリアムズの意図を私は感じます。

第1楽章が五音階で作曲されているというのも、注目点だと思います。この音階のために不思議な雰囲気をもつ作品ですが、五音階が主にアジアで使用されている音階であり、西洋ではないという点に、ヴォーン・ウィリアムズが込めた想いをくみ取れないだろうかと、私は思うのです。

なぜなら、作曲当時のヨーロッパで全盛の音楽は、シュトックハウゼンなど、不協和音多用がさらに進み、分析的な作品でもって人間の内面を表現できないかという試みがなされていた時期だからです。しかしそれらの作品は、かなりアカデミックというか、知識がないと理解できない代物にもなりかねない状況で、作曲家たちも試行錯誤していたのです。恐らく、そこにアンチを唱える意味があったのではないかという気がするのです。

五音階は、アジアで長く音楽表現として使用されてきた伝統ある音階です。そこに眼をつけるということは、むしろヴォーン・ウィリアムズの伝統へのオマージュが含まれているように、私は受け取るのです。

実際には、不協和音的な作品に仕上がっていますが、実は和声重視である訳です。音階が西洋音階とは異なるだけで。これも人間の内面表現として使えないのですかという、ヴォーン・ウィリアムズの投げかけのように、私は思うのです。勿論、当時の潮流を非難しようとしたわけではないでしょうが、一つ皮肉ったとは言えるでしょう。これもかなり知識がいる作業ではありますが、知識層に訴えるには、格好のやり方だったことでしょう。

これらの作品を、ロンドン響は当たり前のように、ごく自然にふるまうんですよねえ。そりゃあ、プロオケだから当然でしょ?と考えがちですが、こういった旋律的な作品は必ずアラが出るものです。プロだからこそ、まさしく自然に「そこにあるがごとく」演奏されているのが素晴らしいのです。ヴォーン・ウィリアムズの作品がコンサートピースに乗りにくい日本の現状からすると、果たして日本のオケはどこまで「あるがままに」演奏できるのかと言えるでしょう。

プレヴィンがまだ若い時代だと言いますが、かといってこの第4集に収録されている作品は、殆どが味のある、所謂「渋い」作品ばかりです。旋律と不協和音がまじりあう、切り替えが難しいこれらの作品を見事に統率するその指揮ぶりは素晴らしいと言えるでしょう。オケは実力があることをごく自然に現出していますし、しかも声高ではない。作品そのものも声高ではないその点を十分に考慮されているのが演奏から聴き取れます。それをプレヴィンが見事に統率しているわけです。

そこが素晴らしい点ですね。交響曲第5番の凛とした透明感も美しく、さすがロンドン響だなあとおもいます。その「素晴らしい点」をきちんと弾きだしているプレヴィンもまた、素晴らしいといえる演奏なのです。




聴いている音源
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ作曲
交響曲第5番ニ長調
「イギリス女王エリザベス」より三つの肖像画
 探検家
 詩人
 女王
バステューバ管弦楽の協奏曲ヘ短調
ジョン・フレッチャー(バステューバ
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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