かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲全集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第2集を取り上げます。

この第2集には第2番である「ロンドン交響曲」と、ヴァイオリン協奏曲、そして「すずめばち」が収録されています。

まず第1曲目の「ロンドン交響曲」ですが、1912年から13年にかけて作曲された作品ですが、第1次世界大戦の影響で初稿譜が失われたため、完成は1936年頃までかかったものです。

ロンドン交響曲 (ヴォーン・ウィリアムズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2_(%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA)

伝統的な4楽章形式を取っていますが、循環形式のような部分もあり、ウェストミンスター寺院の鐘の音が第1楽章と第4楽章に使われています。ええ、日本でも学校のチャイムなどで使われているものですね。

アッと驚くような前作とは異なり、正統な交響曲が出てくる点からも、ヴォーン・ウィリアムズはごく普通のシンフォニストだと言えますが、かといってこの作品でも映画音楽のような旋律も多用されており、その点がホルストと比べても評価が低い理由なのでしょうが、かといってではホルストの声楽曲が正当に評価されているとは到底思えないのですが・・・・・

次の作品が、アカデミックな協奏曲。これは借りた音源で書かれていたタイトル通りに書いていますが、要するに現在でいうヴァイオリン協奏曲の事です。

ヴァイオリン協奏曲 (ヴォーン・ウィリアムズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA)

何処から聴いても、ふつーのヴァイオリン協奏曲であるからこそ、おそらくヴォーン・ウィリアムズは「アカデミックな協奏曲」、つまり古風な協奏曲という題名をつけたのでしょうが、後にいや普通なのだから普通に表記しようと思ったのでしょう。アカデミックなという名称を辞めて、普通に「ヴァイオリン協奏曲」としたのですが、おそらく図書館の司書がそれではヴォーン・ウィリアムズの特徴が出ないということで昔の「アカデミックな」という名称で書いたのではないかと思います。

というのも、実はこの音源は輸入盤なのです。ですから、日本語名称は司書の方が付けています。その時に、おそらく輸入盤でもアカデミックとあったのでそのまんまにしたのだと思います。そのほうがヴォーン・ウィリアムズらしさがありますから。でも、現在では普通に「ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれるということだけは、申し上げておきたいと思います。

3曲目が「すずめばち」。同名の音楽劇のための序曲なのですが、後に「アリストファネス組曲」の中に組み込まれます。実に生き生きとした作品で、ワクワク感がたまりません。

どれも、明るく屈託ない作品です。演奏するプレヴィンとロンドン響も思い切りノリノリですが、かといってそこに軽薄さはありません。上質の芸術が存在します。豊潤な和音がきちんと豊潤としてこちらに伝ってきて、幸せな気分になります。

それもまた、祖国の作曲家へのリスペクトが働いているのでしょう。特にロンドン交響曲ヴォーン・ウィリアムズ絶対音楽として書いた作品で、つまり標題音楽ではないわけですから、様々な想像が働く余地があります。そこにまさしく「ロンドンっこ」の想像力を思い切り解放させているように思います。

それはおそらく、ヴォーン・ウィリアムズがイギリス民謡などにも題材を求めていることもあるでしょう。そう、実はこのヴォーン・ウィリアムズを借りたのは、全シリーズだったバルトークと関連があるのです。ともに民謡を収集したという点で、20世紀の民謡収集運動と関係が深いのです。

バルトークは不協和音を多用する方向で作曲しましたが、ヴォーン・ウィリアムズはもっと旋律的な作品を生み出しました。それは二人の生まれた地域が異なるという事もあったでしょう。しかし、ともに民謡を収集したという点で、共通する土台を持つのです。それが20世紀音楽の、特に初頭において、非常に重要な役割を担ったことは間違いありません。それは現在の映画音楽をみれば明らかです。

時として、映画音楽はポップスを使うこともありますが、その源流はこのヴォーン・ウィリアムズにあると言ってもいいでしょう。一方で、もっとクラシック音楽的な作品の源流はバルトークショスタコーヴィチにあると言っていいでしょう。20世紀はナショナリズムの勃興とともに国民国家主義が広まり、その上で通信や交通手段が発達した時代です。様々な要素が絡み合い、そしてその伝達速度が上がった時代です。その時代の中で、自分たちを見つめるという点で、民謡はいい題材を与え続けました。

ヴォーン・ウィリアムズもそういった歴史に生きた人でした。当然ですが、明るく屈託ないということは、国民楽派からは距離を置いているとも言えます。つまり、ナショナリズムとは一線を画し、むしろ愛国主義パトリオティズム)のほうに親しみを感じていると言えます。それでも、バルトークのほうがまだ強く、ヴォーン・ウィリアムズにはあまり愛国主義が見られません。それでも、映画音楽や歌曲などに、そのスタンスが見え隠れします。

この緩やかな愛国心とも言うべきものは、多くの賛同を得やすいものですが、その成果が演奏に出ていると言えましょう。しっかりとアンサンブルに反映されており、プロだからという当然論とはまた違った統一感があります。オケの団員個人個人がもつ共感がまさに一つになって奔流として聴き手をつつんでいくのです。

まさしく、ヴォーン・ウィリアムズの生き方が反映されている演奏ではないかと思います。




聴いている音源
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ作曲

ロンドン交響曲交響曲第2番)
アカデミックな協奏曲ニ短調
劇音楽「すずめばち(難し屋)」序曲
ジェイムズ・オリヴァー・ブスウェル四世(ヴァイオリン)
アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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