今回の神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは、モーツァルト全集からの宗教音楽第13回目です。リタニアK.125とK.195、ディクシットとマニフィカートK.193の3曲です。
リタニアK.125は結構評価が高い曲なのですが・・・・・
聖体の祝日ためのリタニア 変ロ長調 K.125
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op1/k125.html
ええ、全体的に私も素晴らしい曲だとは思います。実際、私自身もかつて評価しています。
マイ・コレクション:モーツァルト宗教音楽全集11
http://yaplog.jp/yk6974/archive/779
一方で、ケーゲルの演奏はこの曲の問題点も浮かび上がらせています。それは、第1曲キリエの冒頭、前奏から合唱が入る部分でのテンポの違いです。
基本的に前奏は、テンポを決める役割を持っています。しかも、たいてい旋律も一緒です。ところが、K.125では前奏と合唱で歌われる旋律とが異なり、それゆえかテンポまで異なります。
それを、ものの見事に演奏するケーゲルの統率力とオケと合唱団の実力は素晴らしいですね。普通、そうなかなか行きません・・・・・どこかでアンサンブルが崩れます。
普通、モーツァルトはこんな曲を書かないと思うんです。前奏が主題と異なり、かつテンポが違うなんてものは・・・・・交響曲で、オペラの序曲として使われて複数の楽章にまたがる場合では在りますが・・・・・
恐らく、やっつけ仕事にならざるを得なかったのでしょうね。そのため冒頭はどうしても苦しい形になってしまったのだと思います。しかし、それ以外の部分は以前評価したとおりの素晴らしさです。
それよりも、私はK.195のほうが素晴らしいように思います。全体的なまとまりはとても歌いやすく、かつ荘重で軽薄な点もありません。
このあたりのケーゲルのスコアリーディングは素晴らしいなと思います。もう、元合唱団員としては溜め息しか出ません・・・・・
ディクシットとマニフィカートも、教会音楽らしい荘重さと、モーツァルトの作品が持つ明るさとが同居し、それがまるで天使の歌声のような効果をもたらしています。モーツァルトの宗教音楽はミサ曲だけに非ず!という好例を呈示しているかのような演奏だと思います。
こういった演奏を聴くと、出来れば何かの全集というのは二つは持っておいたほうがいいなあと思います。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
聖体の主日のリタニア 変ロ長調K.125
元后、童貞聖マリアのためのリタニア ニ長調K.195(186d)
ディクシットとマニフィカト ハ長調K.193(186g)
レナーテ・フランク=ライネッケ(ソプラノ、K195)
白井光子(ソプラノ、K.125、193)
アンネリース・ブルマイスター(アルト、K.195)
ハイディ・リース(アルト、K.125)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:ホルスト・ノイマン)
ヴァルター・ハインツ・ベルンシュタイン、フォルカー・ブロイティガム(オルガン)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
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