かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト全集より 宗教音楽3

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルト全集からの宗教音楽の第3集です。今回の音源もケーゲル指揮、ライプツィヒ放送響・合唱団他の演奏です。収録曲は、ミサ・ソレムニスK337と、ミサ・ブレヴィスK.194とミサ曲K.275です。

この演奏も、これまでの2つと同じ特徴をもち、ミサ・ブレヴィスではアンティフォナを楽譜にないからと省略しています。この点を問題にしている評論は少なくともネットでは皆無であるといっていいでしょう(紙媒体でもあるんでしょうかねえ)。

ただ、演奏自体はとても素晴らしいと思います。リフレインではきちんと弱くしていますし、いかにも古典派の作品らしさというのが演奏から伝わってきて、モーツァルトの宗教曲に新たな光を当てています。その点では、とても評価できる演奏です。

でも、私はこう言い切りたいと思います。それでも、聴くべきは「ミサ」であり、「ミサ・ブレヴィス」ではない、と(この第3集でいえば聴くべきはK.337のみ!)。それは勿論、本来省略しては「いけない」アンティフォナを省略しているからです。

「ミサ曲」、つまり、「ミサ・ソレムニス」ですが、それは「ミサ・ブレヴィス」では省略されていないアンティフォナに、音楽が付けられていることが楽譜に記載があるので、省略をしていないわけですが、確かに、「唯物史観」ではそのスタンスであっています。しかし、実際には日本の有職故実同様、アンティフォナを歌うことは慣習としてあるわけで、それを省略しているこの演奏はどんなに素晴らしいものであっても評価できないわけです。

それに異を唱えたのが、アーノンクールの全集であったと考えることもできるでしょう。ピリオドを使うという姿勢だからこそ、アンティフォナをきちんと歌うことは欠かせなかったと思います。ただ、それゆえに例えばヴェスペレでもアンティフォナが歌われるのはどうなのかと思いますが・・・・・

というのも、ミサ・ブレヴィスにおけるアンティフォナは、ミサ通常文のなかにあるものだからです。いっぽうヴェスペレはその都度異なるので、そこまで入れる必要があるのかとも思います(実際、アーノンクールですらヴェスペレではあるなしどちらも収録しています)。

ただ、ここで演奏面で歴史的な点をきちんと踏まえている点を評価もしなければいけないでしょう。それはアーノンクールもやっていることではあるんですが、曲の最後をリットせず、等速で突っ込んで演奏している点です。

ではなぜ、それを評価するのかと言えば、モーツァルトの時代は「だんだん遅くする」というリズムが基本的にないからです。ですから、よほどのことがない限り、その指定はないからです。私ももう一度楽譜を見直してみないとはっきりとは言えませんが、少なくともモーツァルトのミサ曲には、最後にフェルマータがついていることはなかったと記憶しています。

最後にフェルマータがついているというのは、「6拍前からリタルダンドしてください」という意味になりますが、それがないということは、最後まで同じリズムで演奏し続けてください、つまり、リズムは等速で突っ込んでくださいという意味になります。それをケーゲルはまさしく「唯物史観」であるからこそ、愚直に行なっています。その点は、オーソリティだからこそアーノンクールは評価してそれは取り入れたと考えると、なぜアーノンクールの全集にアンティフォナがやたら出て来るのかが推測できます。

そういう評論って、ないんですよね。私は残念ながら楽典を勉強したわけではありません。単に元合唱団員としての経験でかたっているにすぎません。でも、勉強次第でここまで書けるわけです。しかし、本来専門で勉学したはずの批評家や評論家から、おなじような評論が見られないのはとてもさみしいことだと思っています。

この第3集でいえば、ミサ・ソレムニスの演奏はまさしく古典派的なリズムと強弱のつけ方を行っています。その結果、まるでドラマであるかのような演奏が展開され、気高さも存在することを気づかせてくれます。それが、ケーゲルの残した偉業なのです。

でも、私が幾つか足を運んだ演奏会では、演奏家側はこういった「約束事」を知っていると思います。なのに、評論家が評価する点は全然違うところなのだなあという声が聞こえてきそうです。それは翻って、私たち聴衆の「聴く姿勢」にも関わってきます。

果たして、私たちはどこに目をつけて演奏を聴いていますかと、このケーゲルの演奏でも私は自らを顧みざるを得ないのです。それは必ず、日本の団体の高評価へとつながっていくはずなのに、それが出来ない・・・・・

橋下市長に「補助金全額削除!」と言われても、私たちにはオケを助ける力がありませんと初めから白幡を上げているのと一緒なのでは?と思うのです。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ミサ曲ハ長調K.337
ミサ・ブレヴィス ニ長調K.194(186h)
ミサ曲変ロ長調K.275(272b)
白井光子(ソプラノ)
ローズマリー・ラング(アルト)
アルド・バルディン(テノール
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:イェルク=ペーター・ヴァイグレ)
ミヒャエル=クリストフリート・ヴィンクラー(オルガン)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団



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