かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:未検閲モーツァルト

今回のマイ・コレは、モーツァルトの面白いカノンを中心にしたアルバム「未検閲モーツァルト」です。

このCDを買いましたのは8年ほど前だったと思います。国内盤も出ていたと思いますが、残念ながらこれは輸入盤。それでも買い求めましたのは、たんなる興味本位です^^;

なぜ「未検閲」とあるのかといえば、その歌詞に主に原因があります。たとえば、以下のサイトをご紹介しましょう。

http://seeds.whitesnow.jp/blog/2005/05/16-071525.html

ここに上げられた歌詞を見て、皆さんはどう思いますか?はっきり言って、あまりにもお下劣で凍りつくかと思います・・・・・

そう、あまりにお下劣なんです!訳次第では、ちょっと憚れるくらいです。K.233はまだいいです。K.558「プラータ公園へ行こう!」はとても・・・・・

それは、モーツァルト自身が歌詞をさしかえたほどです。つまり、ご本人も自覚したうえで作曲をしてもいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%BA%E3%81%AE%E5%B0%BB%E3%82%92%E3%81%AA%E3%82%81%E3%82%8D
(これがウィキにあることが奇跡です!)

とは言え、実はこのCDは当時のモーツァルト家や、南西ドイツの社会や風習を伝えてくれるものでもあるのです。それは、スカトロ(というよりも、それを現す表現)が家庭内ではそれほど憚れなかったという史実です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88#.E4.BA.BA.E6.9F.84

この時代、スカトロの言葉が結構よく会話上で用いられたことが、いろんな資料で確認されていますし、ウィーンでは王室でもごく普通だったという記録もあります。

私たちも、結構汚い言葉を使ったりしますよね。所謂「スラング」です。それをモーツァルトも使っていたという、貴重な史料なのです。

では、音楽はどれだけおふざけなのかといえば、これが実にきちんとした作品にそれぞれが仕上がっているんですね。実はこのアルバムはその点を特に強調したものになっています。

モーツァルトという作曲家は、決して高い身分ではありません。庶民だといっていいと思います。それがはっきりとわかるのがこのアルバムなのです。

以前、ラッススのヴィラネッラとモレスカを集めたアルバムをご紹介したことがあったと思います。

マイ・コレクション:ラッスス ヴィラネッラとモレスカ集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/808

モーツァルトはこの伝統の延長線上にある作曲家です。恐らくその最後のと述べてもいいかと思います。汚い言葉を綺麗な旋律に乗せたらどうなるのか、ここで現出させています。まさに庶民の生活が芸術として表現されたのが、このアルバムに収められた作品の中心です。

その一例を、私はすでにモーツァルト自身の作品をご紹介することで提示しています。「音楽の冗談」がそれです。これは逆に「旋律でふざけてみたら?」というアプローチですが、基本的な精神は同じです。

友人提供音源:アーノンクール指揮、ベルリン・フィルモーツァルトハイドン
http://yaplog.jp/yk6974/archive/235

マイ・コレクション:「音楽の冗談」 モーツァルト・セレナーデ集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/877

そもそも、モーツァルトもラッススを尊敬していましたし、その音楽も知っていたのです。だからこそごく自然に、汚い言葉を音楽に載せることが出来たというわけです。

しかし、それはその後の作曲家たちはほとんどやっていません。ベートーヴェンもそれらしいことは確かにやっていますが、ここまでお下劣なことはしていません。それは明らかに時代の変化でもあります。芸術家としての評価が高まっていった時代であったからです。

ではなぜ、モーツァルトはこんな音楽を作曲したのでしょう?それは単にラッスス以来の伝統であるだけでもなく、当時の風習であっただけでもなく、モーツァルト家の日常であっただけでもありません。何か不条理なことを、こういったお下劣な形で吹き飛ばそうという意識があったということなのです。それも、私的なサロンの音楽で。

つまり、現代でいえばお笑いに相当するような、そんな作品たちなのです。実際、このアルバムに収められている作品はそれぞれ、マンドリンと少人数合唱や、チェンバロと少人数合唱という私的サロンにおける編成を念頭に置いたものばかりです。

それをこのアルバムの演奏者たちは、ラッススの時同様、高いアンサンブルで私たちに提示しています。だからこそ、私はこのCDを聴いたときには、衝撃を受けたとともに、笑い転げるのを抑えることが出来ませんでした。しかし今一度聴きなおしてみると、それはきちんとした音楽におかしな歌詞が乗っているからであるということ(場合によっては、くそまじめな歌詞に当時としてはおかしな旋律が乗っているからであるということ)に気が付いたというわけです。

それは、ラッススの時同様、この言葉が適当だろうと思います。

「これがヨーロッパの芸術の基礎なのだなと理解するまでにはしばらく時間がかかりましたが、そういった素養がもとめられるのがそもそも本場の音楽なのだなと知ったきっかけの一枚です。きちんとした音楽と形式で、性的なものまで表現する・・・・・それが、クラシックのそもそもの基礎なのだ、と。」

ラッスス同様、まじめな曲も収められていますし、それとお下劣な曲を聴き比べますと、いかにモーツァルトの仕事というのがいい加減ではなかったのかが分かる編集となっています。

もし、歌詞がどうしても知りたい!という方は、東京書籍「モーツァルト事典」カノンの項目でいくつか訳が示されていますし、以下のサイトでもいくつか歌詞が紹介されています(モーツァルトをご紹介するときに度々参照しているとご紹介しているサイトではありますが)。

Mozart con grazia
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/index.html#kno

ただ、衝撃を受けても責任は持てません。覚悟してみてくださいね・・・・・ただ、ある程度の素養が付けば、それが大爆笑に変わることでしょう。

これが歴史が下って、たとえばショスタコーヴィチのレトリックへも形を変えてつながっているので、決して無視できないのです。それを知ることは必ず、現代社会の問題点にも気づくきっかけとなることでしょう。本来は1曲ずつ取り上げて特集にしてもいいくらい、各々は短くてもヴォリュームがあるアルバムです。



聴いているCD
未検閲モーツァルト
ザ・ソングス・カンパニー
(TALL POPPIES TP009)




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