今回の神奈川県立図書館ライブラリは、モーツァルト全集の宗教音楽第7集です。収録曲はK.258と「ミサ・ロンガ」です。指揮は再びケーゲルに戻ります。
さて、この2曲は一応、ミサ・ソレムニスになるので、グローリアとクレドで省略がありません(楽譜に記載があるので)。その分安心して聴いていられます。
全体的にはゆったりとしつつ、八分音符では跳ねさせ、しかも2曲ともサンクトゥスはまるで暗い中を切り裂くようにさっと光が差し込むような情景が表現されています。
そういった表現に、私はケーゲルを単なる社会主義者として切り捨てることはできないのです。確かに、演奏面では社会主義リアリズムが反映されています。しかし、それだけでは割り切れない、とても人間的な部分がケーゲルの指揮する音楽には存在すると思うのです。
ミサ・ソレムニスでは常にそういった点が強調されています。もし、これが完全に社会主義リアリズム「だけ」であれば、たとえば、ソ連で戦後行われたように、チャイコフスキーの「1812年」のロシア国歌を新しいものに差し替えたりということが行なわれたはずですが、それは一切していません。そもそも、ミサ曲を収録するなど、考えられないはずです。
しかし、こうやって演奏は残っている・・・・・ここに、当時の情勢というものがとても複雑であったことがうかがい知ることができます。
この演奏が、西側に影響を与えたことは、アーノンクールの全集を聴けば確かです。この演奏でもなんですが、リタルダンドが一切ありません。最後まで同じテンポで突っ走ります。K.258で一部最後を長く伸ばすくらいです(恐らくそこにはフェルマータがついているはずです)。それはアーノンクールの演奏に確実に影響を与えています。
宗教曲であるから、重々しくというのがそれまでのイメージであったのを、ケーゲルはスコアリーディングで疑問を呈してみせました。そして、アーノンクールがそれを補完し、「モーツァルトの時代の宗教音楽の姿」迫ろうとしていることは、専門家の間では高く評価されています。それはピリオド、モダンの垣根を越えた、「モーツァルトの音楽」へ迫ろうとしたものです。
合唱団も素晴らしいアンサンブルですし、表情が豊かです。オケも大編成ではなくコンパクトで、宗教音楽に適した編成だと思います。それが、生き生きとして華麗なモーツァルトのミサ曲に生命を吹き込んでいます。
特にミサ・ロンガでは、テンポを速めにとるのがとても好印象です。クレドでは若干おそめなのが私としてはなんだかな〜と思いますが、それが冗長には感じないのがケーゲルの解釈の不思議な点です。ただ、モーツァルトのミサ曲は「実用音楽」であったことを踏まえてだとすれば、それは決して間違いではないわけです。
この点を鑑みれば、なぜケーゲルがミサ・ブレヴィスにおいてアンティフォナを省略したのかの一端が見えてきます。明らかに政権の圧力がそこに見え隠れします。となると、ケーゲルはどんな「社会主義者」だったのでしょう。あるいは彼は本当に「社会主義者」だったのでしょうか?もしかすると、中間から少しだけ左だっただけだったのではという気が、私はします。
いずれにしても、合唱団を指揮することに長けていたケーゲルの、素晴らしい統率力がなせる業を聴くことができるでしょう。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ミサ曲ハ長調K.258
ミサ・ロンガ ハ長調K.262(246a)
白井光子(ソプラノ)
マルガ・シムル(アルト)
アルミン・ウーデ(テノール)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:イェルク=ペーター・ヴァイグレ)
ヴァルター・ハインツ・ベルンシュタイン(オルガン)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
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