かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:アルヴェーン 交響曲全集2

今回の「今月のお買いもの」のコーナーは、5月に購入しましたアルヴェーンの交響曲全集の第2集をお届けします。

まず、再びですがアルヴェーンという作曲家がどんな人か、ウィキのURLをご紹介しておきます。

ヒューゴ・アルヴェーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3

主に20世紀に活躍したスウェーデンの作曲家です。20世紀という時代であるにもかかわらず、音楽的には後期ロマン派あるいは国民楽派といった趣が強い作曲家です。国民楽派と位置付けるほうが適当かもしれません。

先日コンサート雑感でもご紹介したクルーセルなどもそうなのですが、ヨーロッパの周縁の国というのは、やや遅れて芸術が中欧から入ってきますから、やや保守的になるのですね。ですので、こういった作曲家や作品が出来るのはごく自然な流れだといえるかと思います。

これはわが国でも実際に文化の波及で起きたことで、たとえば奈良時代、造東大寺司という役所があり、そこで寺院の仏像を建立していました。しかし平城京から平安京へと都が移り(つまり時代が移り)、造東大寺司がその役割を終え解散すると、そこで働いていた仏師が全国へ散り、中央(都)での仏像の流行が地方へと伝播していきます。すると、同じ時代でも都に比べ地方は仏像の流行はやや遅れた様式になります。

これに言及しますと長くなりますので、是非とも読者の皆さんでいろいろ調べたりして勉強していただきたいのですが、たとえば東北に残っている平安時代の仏像は、平安中期ごろの造立であっても平安初期の様式だったりするのです。

おなじことがクラシックにおいても起こった、そう考えればなにも不思議なことではないのです。ただ、その後進性ゆえに、アルヴェーンのような作曲家があまりわが国では評価されていないという点はぬぐえないと思います(それは同時に、我が国の文化に対しても同じように地方には時代遅れのものしかなく見るべき文化財がないという意識をはっきりと持っている証拠でもあるのです)。

この第2集では、そんなことをはっきりと認識させてくれる楽曲が並んでいます。

まず、第1曲目がスウェーデン狂詩曲第1番「夏至の徹夜祭」です。所謂白夜のお祭りで、いかにも北欧らしいですし、それを題材に取り上げる点からしても、いかにも民族主義的な点が見えます。民謡を使っているかどうかまでは確認できていませんが、使っていれば間違いなく国民楽派とカテゴリー付していいと思います。現段階では後期ロマン派と私は記述しておきます。

第2曲目は交響曲第2番。面白いことにこの曲は5楽章あります。幸いこれはウィキに説明がありました。

交響曲第2番 (アルヴェーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3)

この曲では、アルヴェーンの立ち位置というものが見え隠れします。5楽章ではありますが、第4楽章が長いプレリュードであり本編が第5楽章のフーガと考えますと、この二つは実は関連していて、一つと考えれば4楽章の変形だということもできるでしょう。その上で、第3楽章スケルツォでは民族的な旋律が出てきますし、いかにも北欧的な雰囲気が醸し出されています。

となりますと、アルヴェーンははやり国民楽派と言っていいのではないかという気がするのです。これに明確に応えてくれる解説は残念ながら今のところありません。

この当時、中欧では後期ロマン派、そして東欧では国民楽派が大きな音楽的な潮流でした。そんな時代の中で、その二つがいっぺんにスウェーデンへと入ってきて、アルヴェーンの創作にともに影響を与えたとすれば、この独特の雰囲気は理解できるような気がするのです。特に第2番では、主調はニ長調でありながら第2楽章以降は短調が特徴的な音楽を形成していまして、時に劇的ですらあります。

スウェーデンは当時独立国でしたが、さまざまな外交戦略の狭間で揺れていた時期でもありました。そんな中で、アルヴェーンもごく普通のナショナリストとして、思うところがあったのだと思います。

歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

フーガも、形式的ではそうですが、実際の音楽はバロックのような知的なものというよりはどちらかと言えば憂国の念がそこかしこに溢れているような、民族自決の雰囲気を有している勇壮なものです。いうなれば、勇壮さと冷静さが同居するような、そんな音楽です。ここに、私にはアルヴェーンの気持ちが伝わってくるように思うのです。

わが国でもそうですが、時としてナショナリズムは、勇敢な言葉によって扇動され、国民を盲目にする(つまり、国粋主義へと走る)ことがあります。それに「一人の自然なナショナリスト」として、アルヴェーンは警鐘を鳴らしつつ、しかし国家の危機には団結を示すという意思を示したのだと思うのです。そのために、彼が用いたのがフーガの導入だったのではないかという気がします。

和魂洋才という言葉が聴かれなくなって久しいですが、まさしくアルヴェーンはそのスウェーデン版をやろうとしている、そんな気がします。なら私も、「日本精神」をもつ一人として、アルヴェーンの音楽には敬意を表さなければなりますまい!

それにしても、ネーメ・ヤルヴィという指揮者はそれを淡々とオケに演奏させるんですね。でも、第2番の終楽章ではやはり気持ちが前面に出ているように思います。しかし、そこでも決して冷静さは失っていません。「情熱と冷静さの間」がきちんと取れているからこそ、アルヴェーンの祖国愛がしっかりとこちらに伝わってきます。



聴いているCD
ヒューゴ・アルヴェーン作曲
スウェーデン狂詩曲第1番「夏至の徹夜祭」作品19
交響曲第2番ニ長調作品11
ネーメ・ヤルヴィ指揮
ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
(Brilliant Classics 8974/2)



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