今回は1か月ぶりくらいにコンサート雑感をお届けいたします。オーケストラ・ナデージダの第8回定期演奏会です。
このコンサートに行こうと思ったきっかけは、直接的には3月のダズビの定演にチラシが入っていたことがきっかけでしたが、SNSなどで話題になっているオケではありました。ですので、一度聴きに行きたいなと思っていたところに、3月のダズビに入っていたチラシが後押しをしてくれたことになりました。
ナデージダの姿勢として評価できるのが、ロシアやその周辺国の作曲家の、埋もれた作品に日の目を当てるという明確な目標を掲げている点です。
http://www.ac.auone-net.jp/~nadezhda/
この日の演目も、そうしたオケの姿勢を明確にしたものでした。
1.ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲第3番(タネ―エフ版)
2.ヒューゴ・アルヴェーン作曲 交響曲第2番
まず、第1曲目のチャイコフスキーピアノ協奏曲第3番です。あれ、チャイコフスキーを取り上げるってことは、オケの姿勢とどう関係するのか?と思う方もいらっしゃると思いますが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲は日本ではほとんど珍曲扱いになっているって、ご存知でしょうか。そもそも、チャイコフスキーがピアノ協奏曲を3曲書いていますが、ほとんどの方が聴いたことあるのは第1番だと思います。日本ではそれ以外が演奏されることが稀(第3番に至ってはまずないはず)であるから、なのです。
ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)
以前、私も「マイ・コレクション」で取り上げています。
マイ・コレクション:チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番、第3番
http://yaplog.jp/yk6974/archive/262
もともと、この曲は交響曲として構想されたものです。ですので、たとえば主題展開部などはかなり堂々としていまして、そこでピアノが引っ張られるということはあるんだと思うんですが・・・・・
ピアノは、いきなりオケと張り合おうと、引っ張られてしまっているなあと感じました。というより、それに気づいたのはアンコールでだったのですが・・・・・・
というのも、当日演奏されたのはタネ―エフによって補完された3楽章制のものですが、第1楽章のみはすでに上記エントリで取り上げた、ロジェストヴェンスキー/ポストニコワ/ウィーン響で持っているわけで、それと比較しながら聴いていまして、さらに、この3楽章制のものは、某SNSのイヴェントで聴いていたものでして、それも同時に比較をしながら聴いていたためです。
第1楽章は、冒頭のファンファーレが静かに入るのですが、ポストニコワはそのため大切に、歌うように入ります。決して力任せではありません。いっぽう、3楽章制の(ピアニストはアシュケナージだと記憶しています)ものは、力任せに弾いている感があります。恐らく、今回の演奏は後者を参考にしたのでしょう。ピアノは全くオケと協奏せず、闘っているような気がしました。もちろん、演奏自体は素晴らしいものでしたが、オケとの関係がどうもなあという気がしました。
このあたりは、本当はゲネプロで指揮者とピアニストとの間で摺合せすべきだったろうと思いますが、オケが声を挙げてもよかったのではと思います。オケの定期演奏会なのですし、ピアノとオケのバランスは本当にこれでいいのかと、問いかけをしてもよかったと思います。ポストニコワは最初実に繊細に入っています。それはもちろんですが、オケが繊細に入っているからなのです。だからこそ、ピアノだけ力任せということはしません。恐らく、アシュケナージのものはオケもかなり激しく入っていたと記憶しています。
今回の演奏は、入りはロジェストヴェンスキー指揮のものに近かったように思います。ですので、ピアノはもっと繊細に入ってよかったのではないかと思います。それ以外は、すべて素晴らしかったと思います。
アンコール曲はこのチャイコフスキーの第3番のあとにのみありまして、それがババジャニアンの「ノクターン」です。この曲及び作曲家も私も知りませんでして、さすがナデージダだなあと思うとともに、この演奏がとても繊細で、ピアノがそれと一緒に歌うように演奏していたことから、「第3番」はおそらく既音源に引っ張られたのだろうと判断しています。もっと楽譜に向き合う「自分自身」に、オケやピアニストが自信をもってもいいように思います。
アルノ・ババジャニアン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%B3
「ノクターン」という曲は、とても甘い旋律でして、初め聴きますとクラシックというよりもムード音楽という印象が強い作品です。せいぜいライト・クラシックというべきでしょうか。しかし帰ってきてどんな作曲家であろうかと原稿を書くためにウィキで調べましたら結構しっかりとした作品を残していまして、聴きたくなった作曲家です。それにしても、初めて聴いた作曲家の作品を聴いて、「あ、この作曲家いいな、他のも聴きたいな」と思わせるのは簡単ではないのです。それだけ、ナデージダの実力が高いことを意味します。
二つ目のアルヴェーンは、とても素晴らしかったと思います。アルヴェーンもあまり日本人に知られていない作曲家ですが、一度このブログでもご紹介しています。だからこそ、この演奏会に足を運んだといういきさつもあるのです。
今月のお買いもの:アルヴェーン 交響曲全集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/969
上記エントリを上げた時にもご紹介しましたが、もう一度アルヴェーンの説明のウィキのURLを再掲しておきます。
ヒューゴ・アルヴェーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3
ナデージダのプログラムでは後期ロマン派と説明がありましが、時代的にはそれで正しいと思います。ただ、やはりアルヴェーンの作風は、完全なる後期ロマン派とは言い難い部分があるのは事実だと思います。特に、この第2番ではそんな雰囲気が漂います。
交響曲第2番 (アルヴェーン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3)
祖国の風景を音楽的に表現したものとも言えるこの作品は、国民楽派的な部分もありますし、その後の新古典主義音楽の萌芽とも言えるブラームスの影響も受けている作品です。第4楽章にフーガを取り入れているというのが、その証拠です。それが、恐らくアルヴェーンという作曲家の評価を下げているのでしょうが、オケはそれをみじんも感じさせない、真摯で素晴らしいアンサンブルでした。
特に、その第4楽章は、フーガの様子が手に取るようにわかる素晴らしい演奏で、アルヴェーンという人の立ち位置を、今一度はっきりと私たちに印象づけるものになったと言っていいでしょう。けっして急がず、堅実に音楽を積み上げていく端正なその演奏は、作品を丸裸にして、私たちにしっかりと作曲家がどんな人なのかを教えてくれました。
それだけに、チャイコフスキーのピアコン第3番が惜しいなあと思うのです。これはオケではなくあきらかに指揮者の責任だと思います。ピアノがどんどん演奏していくのであればもっとオケもイケイケどんどんでいいでしょうが、オケが結構繊細に演奏しているのに、ピアノがイケイケどんどんであるのは明らかに指揮者とピアニストとのすり合わせがきちんとなされていない証拠で、そこだけとても残念でした。アマチュアオケですから多少音がやせる部分もありますけれど、それはごくわずかでしたし、オケの能力はとても高いと思いますし、また、伸びしろもあるなあと思います。将来がとても楽しみなオケです。
だからこそ、チャイコは・・・・・まあ、これも経験だと思うしかないでしょう。恐らく、私の思い違いでなければ、団員もピアニストも同じように思っているのではないでしょうか。指揮者はぜひとも素晴らしいオケを振っているという幸せと誇りを、持っていただきたいと思います。それだけで、もっといい演奏ができると私は信じています。
聴いてきたコンサート
オーケストラ・ナデージダ 第8回定期演奏会
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
ピアノ協奏曲第3番変ホ長調作品75(タネ―エフ補筆つき)
アルノ・ババジャニアン作曲
ノクターン
ヒューゴ・アルヴェーン作曲
交響曲第2番ニ長調作品11
浜野与志男(ピアノ)
渡辺新指揮
オーケストラ・ナデージダ
平成24(2012)年9月2日、東京渋谷、渋谷区総合文化センター大和田 さくらホール
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